夏日

†† 狭間 vol.3 ††



 夕闇の訪れと共にむわんっとする殺人的な蒸し暑さも幾分落ち着き、辛うじて涼を感じさせる風が漂い始めていた。
 恵みの風は、軟体動物化した身体を優しく労わり、生気を与える。
 それでも言わずにはいられない言葉………。

「暑い、暑いっ、暑いーーーーっっ」
「夏だから、当然だ」

 うーと獣のように(事実、獣ではあるが)唸るセリアに、包丁を持つ手を止め、カズマがぴしゃりと言い放つ。

「そーだけどぉさぁーっ 暑いんだもーーん」
「………お前は寒さにも弱いと思ったら、暑さにも弱いのか」

 既に熟知してはいるが、敢えてたった今初めて知ったと言わんばかりの口調を使い、カズマはテーブルの冷たさに縋ってぴったりと平伏しているセリアの頭をぐりぐりと撫で回した。
 その結果、当然の如く、頭を小刻みにテーブルへとぶつける事となってしまったセリアは、懸命にカズマの大きな掌を払い除け、恨みのたっぷりこもった眼差しで睨み付ける。

「痛いでしょっ」
「悪い」
「悪いと思ってない!」
「当然」

 涼しい顔でしれっと言い切ってしまうカズマに、セリアは二の句が繋げず、うっと口篭もる。この時点でセリアの敗北が決定したと言えるだろう。
 
「あたしはウール100%の毛皮着てるんだよー。暑さには弱いのが道理ってもんでしょ〜〜〜」
「どーりで、ここ数日、獣の姿にならない訳だ」
「良いじゃん、別に」

 最近、めっきり獣の姿に変貌する事無く人間の姿のままでいるその訳をずばり指摘され、セリアはぷう〜っと膨れる。

「別にお前が獣の姿でも人間の姿でも構いはしねぇが……」
「ほら、それに、この姿の方が色々と手伝ってあげられるしぃ」

 ね?、とひょいと立ち上がり、カズマの持っていた包丁を横取りしようと試みるが、危機を察したカズマに包丁を遠ざけられてしまい、セリアの手は虚しく空を切った。

「遠慮しとく」
「何でよぉ」
「お前を手当てするという手間が増える」

 手伝うというセリアの申し出を、カズマは素直に受け入れる気にはなれない。
 何故ならセリアには前科があるのだ。
 包丁を持たせれば肉や野菜を切る前に、自分の指を切る事は火を見るより明かだし、他を手伝わせれば『片付け』『事後処理』という仕事が増えるだけ。
 セリアに手伝って貰うよりも、自分1人で行った方が遥かに短時間且つ少ない労力で終わり、しかも身の安全が保証される。
 それが今までの数々の経験から導き出された揺るぎ無い、決定的な回答(こたえ)だった。

「……今度は大丈夫だもん!」
「そう言って大丈夫だった試しが無い」
「大丈夫だもん〜〜っ」
「……おい、セリア」

 尚も食い下がってくるセリアをカズマは微かに殺気を孕んだ瞳で静止し、やれやれと小さく溜息を零す。
 それがカズマが本気で「怒」モードに入る前兆であることを経験上良く知っているセリアはぴたりと静止すると、うるうると涙目になる。

「……カズマがいぢめる……」
「誰が誰を苛めたと言うんだ……」

 カズマは今度は深深と息を吐き出した。
 女子供の涙には頗る弱いカズマは、それだけで「怒」のボルテージが急速に萎える。

「だって……」
「だってじゃ無い。あのな……セリア、お前、腹減ってるよな?」
「うん。お腹空いた」

 カズマの問いに、セリアはきっぱりと即答する。

「早く食事に有り付きたいよな?」
「うん!」
「それなら聞くが……俺が1人で夕食の準備をするのと、お前が手伝ったのでは、どっちが早く夕飯にありつける?」
「カズマ1人の方」
「そこまで分っているのにまだ手伝うと言うか?」
「……言わない」
「じゃ、そこで大人しく待ってろ」
「……はい」

 流石のセリアもそれ以上手伝うとは言えなくなり、カズマが包丁で指し示した椅子へすごすごと座り直す。
 セリアが取り敢えず射程圏内から遠ざかったのを確認し、カズマは中断されてしまっていた料理を再開する。
 カズマの料理の腕は確かだ。魔獣を狩ることを仕事としているカズマ達ラナテリスは、魔獣を追って時には数ヶ月も旅をすることがある。人間が立ち入らない森には当然食事を提供してくれる施設は無い。必然的に料理はラナテリスにとっては必須科目なのだ。
 だからと言ってカズマが毎日毎度食事の仕度をしている訳ではない。
 屋敷に居るときは調理師免許を持った使用人が作っている。正確には使用人では無く、義理の父親であるマズリから強制的に送り込まれたお目付け役だが……。
 そのお目付け役は、今日は愛娘の結婚式の為不在なのだ。
 カズマとしては……何かと五月蝿い、だが決して嫌いではないので邪険には扱えないお目付け役から開放され、堂々と「遊べる」絶好のチャンスと言える……、常に自分にぴったりと貼り付いているセリアが居なければ、だが。

(……まぁ、良いけどな)
 
 セリアのお陰で退屈しないのも事実。

「ねぇ〜、カズマ、セリアのこと嫌い?」
「突然何だ?」

 何時になく沈んだセリアの声に、カズマは眉を顰める。
 
「あたしって本当に役立たずだよね…お料理出来ないし、お裁縫も出来ないし…」
「そうだな……」
「ひど〜〜〜〜い!!」
「自分で言ったんだろ〜が」

 態度がころころと変わるセリアに、カズマはくらくらと軽い眩暈を覚える。
 
「……馬鹿な事言ってねぇで、頼むから大人しく座っててくれ。第一、その服装は料理には向いてない」

 刻んだ野菜を鍋へと放り込むと、カズマはちらりとセリアの格好を再チェックする。
 足首丈の薄紫色のワンピース。それはかなり明確に身体のラインが現れている上、サイドにかなり際どいところまでスリットが入っている。(所謂チャイナドレスだ)

「え? 似合ってない?」

 自分自身を繁々と見つめ、困惑した表情でセリアが尋ねる。
 
「そういう意味じゃなくて…」
「????」

 セリアと一緒に暮らし始めてもう直1年。
 1年前、人間の姿では7歳程だったセリアはこの1年で15歳程に成長していた。
 獣の姿もあの時の仔犬と同じとは思えない程に立派に変貌している。
 ルレートは誕生から3年〜4年で大人となるのだから、セリアにとっては頗る順調な当然の成長だろう。

 ルレートは成長速度や寿命が普通の人間とはかなり異なるが、カズマのような力の強い魔道師(ラナテリス)も長寿だし、精霊(エルフ)達も混じって暮らしているこの国では更に違和感は少ない。
 現にカズマも実年齢よりはずっと若く見られる。

 今では普通の少女とおおよそ変わりは無く生活出来るようになったセリア。
 セリアの話によれば、ルレートは大概人間社会に紛れ込んで暮らしているらしい。確かに、知的レベルの低い強暴な魔獣がうようよと住む森よりも、人間社会の方が遥かに安全で暮らしやすいだろう。しかも愚かな人間は貴重且つ偉大な力を持つルレートがそんな身近に居る等と、夢にも思わない。
 だがセリアは祖父母と大半を森で過ごして来ていた。何度か街へ出てきたこともあり、人間社会の最低限のルールとマナーは心得ていたものの、四六時中人間社会で暮らすとなると話は別だった。
 街での生活に馴染むのにはかなりの努力が必要だったし、今もその努力が続いている事をカズマは知っている。
 だがそれを辛いとか辞めたいとセリアが言った事は只の一度も無い。

「…そーいや、前々から疑問に思ってたんだが……」
「何?」
「お前のその服ってどーなってるんだ?」
「どーなってるって?」
「だから…獣の姿から人間の姿に変わる度に、服装が違っているだろ?」
「あ、これ? これは、この姿に変わる時にだけ使える魔力なの」
「そうじゃなくて……そういう服装の情報は何処から仕入れているのかと聞いているんだが…」
「そんなのカズマからに決まってるじゃん」
「は?」

 セリアの思いがけない言葉に、カズマはぎょっとする。

「だって私はどんな服が良いのかなんてわかんないもん。だから、カズマが好きな服装にしてるんだけど……」
「おい、それって……俺の思考を読んでいるって事か?」
「まさか〜 もう少し大きくなったら一般人の考えぐらいは読み取れるようになるだろうけど、カズマみたいなラナテリスの思考を読むのは無理だよ〜」
「じゃ…」
「簡単だよ。人間の姿に変貌する時に『カズマの好きな服装にして下さい』ってお願いするの」

 にこやかに言うセリアに、カズマは今度こそ本当に絶句した。
 つまりは…今までセリアが来ていた服は全て自分の好み…願望が現実となったものなのだ。カズマ好みになって当然だ。

(…俺って……)

 結局、自分の趣味をまざまざと見せ付けらていたのだ。

(俺も男だからな…当然と言えば当然か)

 この際肯定してしまう以外に無い。
 だがそう思うとセリアの発展途上とはいえかなりのプロポーションへ視線を運ぶ事を躊躇ってしまう。
 辺りをふらふらと漂った視線が、ふと椅子にかけてあったセリア用のエプロンを捉える。
 料理は全く駄目だが、洗い物ぐらいは辛うじて出来るセリアの為に用意したものだ。薄い水色のフリルのついた可愛いエプロンだ。

(だったら…裸に…)

 一度転がり始めた過激な妄想は、止まる事無く堕(お)ちていく。

(何を考えてんだ、俺は!)

 一瞬後に我に返ったカズマは慌ててぶんぶんと頭を振る。
 身の破滅だ。

「どうかしたの?」
「いや、どうもしない」
「???? ……何よぉ、教えてよ」
「10年後に話す」
「変なの〜〜、まっいいや〜〜〜〜……それにしても、暑い〜〜〜〜〜〜っっ 暑いの嫌い、夏なんか大嫌い」

 再びテーブルに突っ伏したセリアがぽつりと呟く。

「? 毛皮、着ているからか?」
「それもあるけど……」

 見るからに酷く落胆しているセリアを見て、カズマはふっと苦笑すると、その鮮やかな金の髪を無造作に撫でてやる。

「お前に料理や裁縫をして欲しいなんて思ってねーよ。それに…役立たずでも無い」
「ホント?」

 拗ねた子猫のような視線でセリアはカズマ見つめる。

「…ああ。狩りの時は助かってる」

 狩り…それはラナテリスであるカズマが、魔獣を魔石『ラナス』に変える仕事のこと。
 この国の平和はそのラナスに寄り支えられているのだ。

「あたしカズマの役に立ってる?」
「ああ、役に立ってる」
「わぁい♪ 良かったぁ〜〜〜」

 途端に満面の笑みを浮かべるセリア。
 直ぐに落ち込むがそれ以上に立ち直りも早い。
 セリアの短所であり長所だ。

 突然真面目な表情に変わったセリアは小首を傾げ、上目遣いにカズマを覗き込む。

「…ねぇ、カズマぁ」

 本人には全くの自覚がないものの、その視線を受けた男はほぼ全員が悩殺されてしまうだろうと思われる色気と可愛らしさが融合した仕草。
 勿論、カズマとて例外では無く一瞬くらっとし、思わず次の言葉を期待する。

「……何だ?」
「お腹空いた」

 やはり色気より、食い気だ。
 カズマはセリアに期待することがどんなに愚かなのかを再認識する。
 期待通りのものがセリアから返ってくるようになるのには、少なくとも後10年はかかるだろう。

「お腹空いた。お腹空いたぁ。お腹空いた〜〜〜〜〜〜っっ」
「……待ってろ」

 カズマはお腹を空かせ、ぴーぴーと鳴く雛鳥(セリア)を静かにさせる為に夕食の準備を再開した。




―Fin―




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祐浬 2001/7/1