狭間




 溜め息と共に、深く吸い込んだ煙草の煙を吐き出す。
 くすんだ白い煙が宙に拡散し消えていくのをぼんやりと眺め、カズマは短くなった煙草を習慣的に口へと運ぶ。

「煙草って、そんなに美味しい?」

 背後から覗き込むようにして、興味深々と俺の顔を眺めていた彼女が、妙に楽しそうに尋ねる。
 大きな青紫の瞳、蜂蜜色の豊かなボリュームの髪は僅かに癖があり緩くウェーブし、滑らかな白い肌はナイトランプの仄かに照らされてハレーションを起こしていた。
 少女と呼ぶのには妖艶で、女と呼ぶのには無垢。
 そんな微妙な狭間に彼女は……セリアは達していた。

「さぁ」

 カズマはいい加減な返答を返すと、もう一度煙草を吹かし、既に吸い殻の山と化している陶器製の灰皿で煙草を揉み消す。

「私も吸ってみようかなぁ」

 いい? と、上目遣いで強請るセリアの頭を、カズマはちょっと手荒に枕へと押し戻す。

「いったぁーい」

 途端にぷうっと頬を膨らませてるセリアに、カズマは小さく溜め息を零す。
 こういうところは、またまだ「子供」だ。
 洋服と言うのには頼りない(下着なので当然だか)薄手のキャミソールの片方の肩紐が反動で滑り落ち、そこから豊満なバストが否応無しに目に入る。
 その身体と中身は、余りにも異質過ぎる。
 大人なのか子供なのか。
 言うならば、身体は大人、中身は子供ということだろう。
 仕方が無いとは言え、その身体に見合った色気が伴うのは何時になるのだろうか。

「いいじゃん、1本ぐらい吸っても」
「やめとけ」

 すっかり拗ねてしまったセリアに、カズマはきっぱりと言い切る。
 カズマ自身、煙草が美味い感じたことは一度も無い。
 それでも煙草を愛用する理由は、只の気休めに他ならなかった。
 一種の自己暗示のようなものだ。

「何でっ あたし充分大人だよぉ」
「……味覚が変わるぞ」
「え?」

 カズマの思い掛けない一言に、セリアは大きな瞳を益々大きく見開いて暫し沈黙する。

「正確には……微妙な味が分からなくなる」
「うーーーーーん」 

 真剣な表情で考え込むセリアの頭をぐりぐりと撫でて、カズマはベッドから抜け出すと手早く身支度を整える。
 味が分からなくなることはセリアには重大だ。
 煙草という好奇心に多少は心が揺れたものの、結論はあっさりと簡単に導かれる。

「じゃ……いらない」

 やはり、色気より食い気、だ。

 セリアの案の上の回答にカズマは微苦笑し、閉ざされた木戸を微かに押し開く。
 ひんやりとした大気。
 寒いとまではいかないが、半袖1枚では辛いだろう。
 深い霧が立ち込めていて見通しは頗る悪い。路地の向こう側の屋敷の壁も朧気だ。
 そんな何も見えない風景の中で、カズマはあるモノに気付き眉を潜める。
 それは視覚で捕らえたものではない。感覚として脳裏に直接届けられる信号。

「何? 何??」

 カズマの態度に何の異変も変化も無い。
 だがセリアはカズマの緊張感を敏感に肌で感じ取り、ベッドの上にちょこんと正座し、更なる好奇心溢れる瞳でカズマの次の言葉を待つ。
 カズマがその研ぎ澄まされた超人的な感覚で捕らえたもの。
 それは体調30センチほどの若葉色の音符だった。
 いや音符に似た生き物……ティールスだ。容姿は巨大なおたまじゃくし……手足が有るから蛙になりかけのおたまじゃくしで、首と胴体の狭間から昆虫の羽根に似た翼が有る。
 小さいが俊敏且つ狂暴な生き物で、人を襲うことも珍しくはない。

「ティールス、だ」
「えええっっ!」

 カズマの口から零れた僅かな呟きに、セリアは驚愕と歓喜の入り交じった……悲鳴のような歓声のような声を発する。
 辺りを劈くようなその声に、のそのそと石畳を這っていたティールスがびくんと身体を硬直させ、そして僅かに開いた木戸の隙間から届く臭いを感じ取ると、躊躇うこと無くその羽を広げ飛び上がる。

(しまった!)

 そう思った時には既に手遅れだった。
 それを阻止しようと伸ばした手は、あと一歩のところで届かない。
 疾風の如き速さで、カズマの肩を踏み台代わりにし、何かが吹き抜けていった。
 余りの速さにそれが何であるのかも判別出来ない。
 正に一連の風だ。

「セリアっっ!!」

 体当たりによって蹴破られた木戸は木っ端微塵で、大きく開かれた窓からは朝霧の冷たい風が部屋に容赦無く侵入してくる。
 だが背筋が震えたのは、その冷気の為だけではない。
 カズマの目前に展開された、惨たらしい惨状。
 攻撃はたったの一度、首の深く刺された鋭い犬歯。そして鈍く響き渡る骨の砕ける音と、口元から滴り落ちる赤黒い血液。

 目に焼き付いているのは、黄金色の残像だった。



「ごちそうさまでしたぁ」

 彼女は満足げに口の周りをぺろりと舐めと、行儀良くぺこりと頭を下げる。
 青紫の大きな瞳は変わらない。
 尖った耳に、大きな口、ふわふわの綿毛のような蜂蜜色の体毛に身体と同じ長さ程も有る巻毛の尻尾。
 その姿は……きつねと狼の狭間。

「お前ねぇ……」

 跡形も無く、きれいさっぱりと平らげられたティールスの死骸。
 痕跡と言えば……石畳を汚した僅かな血痕と、無残にもちぎれて散らばった薄い4枚の羽。
 もう数え切れないほど見届けてきた儀式。既に慣れたとは言え、獲物を目の前にした時の俊敏さと獰猛さには、毎回驚かされる。

 この世の中で最も強い魔力を持つ種族、ルレート。
 それがセリアの正体だ。
 彼等は獣と人間の姿を持つ。どちらかが偽りという訳では無い。人間の姿も、獣の姿も真実。
 彼等の好物がティールスなのだ。

 久しぶりの好物に有り付けて頗る機嫌の良いセリアは、手(前足)をぺろぺろと舐め終わると、ベッドへと駆け上がりころんと横になる。
 何事も無かったかのような(正確には木戸が破損したが)平穏な時間が戻り、カズマはやれやれと心の中で呟き、新しい煙草を咥える。

「カズマぁ、煙草やめたら」

 獣の姿から、人間の姿へと変貌を遂げたセリアが何時に無く真剣な表情でカズマを見据える。

「だって、煙草吸うと味が分からなくなるんでしょお?」

 セリアが何を言おうとしているのか瞬時に悟ったカズマはげんなりと、それでも目の保養と充分になり得るセリアのプロポーションを愛でながら、煙草に火を点ける。

「俺にもティールスを味わえと言うのか」
「うんっ!」

 当然とばかりに肯くセリアから目を背けると、カズマは深呼吸ほどに深く煙を吸い込んだ。



―Fin―





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祐浬 2000/7/1