碧き光
Illustration by YUKI(SNOW FLAKES) & Story by Yuuri
†† vol.1 ††
「何で俺が戻って来た時なんだよっっ」 目一杯の不機嫌さで002は、横で黙々と作業を続けているジョーを睨む。 ジョーは彼の言葉に苦笑すると、穏やかに返答した。 「別に『ジェットが戻って来たから』じゃないよ。元々、今日やることに決まっていたんだ」 「お前、1人でか?」 「まさかっ 大人とグレートに手伝って貰う手筈になっていたんだよ」 「で、その肝心の2人はどーしたんだよ」 イライラと足を鳴らしながら、ジェットは半眼になり、その2人の行方を問う。 彼等の姿は、此処――ドルフィン号の格納庫にも、地上の研究所にも無かった。 002が何の連絡も無く、ふらりと研究所に帰って来たのは、昨日の夜。その時からずっと…一度も006と007の姿は見ていない。 「2人とも、お店、だよ」 「作業が今日だってコトは前から分かってたんだろっ 何で来ねーんだよっっ」 「急に団体の予約が入ったんだって」 「はぁ? 何だよ、それは…」 002は自分の不運を呪い、がっくりと脱力する。 どうやら、どう足掻いても、この地味で面倒な作業から逃れる事は困難らしい。 ドルフィン号の塗料の塗り替え作業。 それが本日のサイボーグ達の課題(ミッション)だった。 ギルモア博士と001の力で、ドルフィン号用の優れた新しい塗料が完成したのは、つい1週間前の事だった。 塗料とは言っても無色透明な…所謂、皮膜のようなものだ。以前塗られていたものより10倍以上の強度があるらしい。 先ずは今までの塗料を特殊な洗浄液で洗い落とし、その後、新たな塗料(皮膜)を吹き付ける。作業自体はそれほど困難では無く、誰でも出来る至って単純なものだ。 だから、帰国しているメンバー全員を呼び戻す事はせず、研究所に残っているジョーと、日本在住の006と007の3人で行う予定になっていた。 「お客さんから、どうしても大人の店でやりたい、って強い要望があったらしいんだ。常連客らしいから、蔑ろにも出来ないだろ?」 ジョーはホースが絡まないように注意しながら、洗浄液をドルフィン号のボディに拭きつけていく。 洗浄液も、無色透明で匂いも無い。一見すると水のようだが、実はかなり強烈な劇薬で、普通の人間であるギルモア博士と001、そして自分達より皮膚の弱いフランソワーズは、元々この作業から外されていた。 「けっ 何処のどいつだよっ そんな物好きな奴はっ」 002はそう吐き捨てると、渋々作業を再開する。 逃げられないのなら、さっさと終わらせる以外に無い。 「えーーーーっと、確か……『SNOWFLAKES』という、女の子ばかりのサークルだったような気が……」 「女のコ!? 若いねーちゃんか? 美人は居るのか?」 「一度大人のお店を手伝っていた時に会ったけど、10代の子も居たし、子供連れの人も居たよ。何のサークルかは訊かなかったから分からないけど」 女の子と聞き、途端に態度が変わった002に、ジョーは生真面目な返答を返す。 「人妻も良いけどなーーー。やっぱり狙うのは、ちょっと歳上のナイスバディの色気のあるおねーさんだろーなぁ。もしくは歳下の可愛い大和撫子っっ そーゆーのは居たか?」 「そ、そんなこと、分からないよ」 |
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「肝心なコトだろっ ちゃんと見とけよっっ! あ……、お前の基準で判断されても参考にはなんねーか……」 「それ、どういう意味?」 「お前の基準はフランソワーズだからな。アイツを基準にされたら、世の中の大半の女性が泣くぜ」 「泣く?? どうしてさ?」 本当に意味を理解出来ずに仔犬のような瞳で尋ねるジョーに、002はくらくらと眩暈を覚える。 「アイツは上玉中の上玉だろーがっ 顔だって躯だって文句ねーだろーっっ」 ジェットの言葉にジョーはさぁっと顔色を変えると、ぐいっと彼を詰め寄る。 「躯って……ジェット、まさか…見たことあるのか!?」 「馬鹿っっ うわぁっ」 ジョーの凄みのある視線に、思わず一歩下がってしまった002は、危うく細い足場から転落しそうになる。 「ジェットっ!」 咄嗟にジョーが彼の腕を掴み支えた。 辛うじて転落を免れたものの、002の手に握り締められていたホースが、放出される水の勢いに暴れ、そこら中に洗浄液を撒き散らしながら、落ちていく。 「きゃぁっっ!!」 研究所へと続くエレベーターの入り口付近から上がった、小さな悲鳴。 |
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「フランソワーズ?」 「やべっ」 その悲鳴が誰のものであるのか、直ぐに分かった2人は、同時にその位置を覗き込んだ。 案の定、すっかりとずぶ濡れになってしまったフランソワーズが、状況が理解出来ず、困惑し泣き出しそうな表情で佇んでいた。 ジョーと002は顔を見合わせる。 002は『お前に任せる』と、首を竦めてジョーに合図する。 ジョーは小さく頷くと、ノズルを閉め、とん、と軽やかなジャンプで床に降り、フランソワーズの元へ向かう。 「大丈夫?」 「だ、だっ 駄目っっ 来ないでっ!」 やっと自分に起こった事態の一部を把握したフランソワーズは、真っ赤になりながら、ばっと羽織っていた白いカーディガンの前を閉じ、両手できつく押さえる。 「え?」 いきなりの頑なな拒絶に、ジョーは驚いて歩みを止め、フランソワーズを注視する。 ジョーの視線に気付いたフランソワーズは更に……耳まで見事なほどに赤く染まった。 濡れて肌に張り付いた亜麻色の髪からは、ぽたぽたと雫が落ち、モスグリーンの柔らかなスカートも脚に絡み付いている。 懸命に押さえているカーディガンと腕の僅かな隙間から覗く、爽やかな水色の薄手のブラウスは、シースルーの如く透け、白い素肌と、彼女の豊満なバストを包み込む下着の一部を映してしまっていた。 「み、見ないで……」 「ごめん…」 濡れたフランソワーズの麗しい姿に一瞬見惚れてしまっていたジョーは、はっと我に返ると、慌てて彼女の言葉通りに、彼女から目を逸らす。 フランソワーズが何故自分を寄せ付けないのか、その理由は既に明らかだった。 |
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ジョーの眼差しから開放された事を感じたフランソワーズは、ほっと小さく安堵の溜息を零すと、恥ずかしさの為に足元に伏せていた視線を、再びジョーへと戻す。 少しだけ朱に染まった心配そうなジョーの横顔を見、フランソワーズは肩の力を抜くと微苦笑する。 彼が本気で自分を心配してくれている事が、堪らなく嬉しかった。 「着替えて…来る、から……」 「あ、うん……1人で平気かい?」 「ええ。平気よ」 そう答え、エレベータへと歩き出そうとした時だった。 「!?」 ちくり、と、先ず右目に針で刺したような痛みが走った。続いて、左目。 それと同時に、視界が急速に白く霞み始める。 |
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「い、痛っっ」 その直後、強烈な痛みが両目を襲い、フランソワーズは掌で瞳を押さえると、崩れるようにその場に蹲る。 「フランソワーズっっ」 突然のフランソワーズの異変に驚いたジョーは、慌てて彼女に駆け寄り、肩を支える。 彼女の細い肩が、痛みの為に小刻みに震えいてた。 「……っ」 「どうしたんだ!? 目? 目が痛むのか!?」 怒鳴るようなジョーの問いに、フランソワーズは強く瞼を押さえ、苦痛に顔を歪めながら、小さく頷く。 痛みを堪えるので精一杯で、口も利けない。尚更、無線を使うことなど、考えもつかなかった。 苦しむフランソワーズを前にして錯乱しそうになりながら、ジョーは懸命に現状を把握し、原因を突き止めようとする。 (一体、何が…) 何がフランソワーズの身に起こっているのだろうか。 この痛がり方は、尋常では無い。 何かが確実に彼女を蝕んでいる。 「おいっ ジョー! この洗浄液はソイツにはヤバイんじゃなかったか!?」 「!!」 002の切羽詰った声で、ジョーはやっと重大な事実を思い出した。 -----この洗浄液は強過ぎて、フランソワーズには害を及ぼす----- (水!) 今は一刻も早く、彼女の身体に纏わり付いている洗浄液を洗い流さねばならない。 ジョーはフランソワーズの元から離れると、塗装用に使う予定だった真新しいホースを水道の蛇口に繋ぎ栓を開くと、もう片方のホースの先を握り彼女の元に戻る。 「フランソワーズ、ごめん」 ジョーはそう謝罪すると、容赦無く清らかな水を床に座り込んでいるフランソワーズの頭から浴びせかけた。 |
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季節は初冬。水道水が彼女には冷た過ぎるのは分かっていたが、今は洗浄液を洗い流すことが先決だった。 フランソワーズは水の冷たさに叫び声を上げるでもなく、ぎゅっと唇を噛んで耐える。 頭から身体へと伝い、床へと流れ落ちていく水が、確実に体温をも奪っていくのを感じる。 冷たくなる躯、感覚の無くなる指先。痛みと凍えから来る震えは、どんなに封じても自分では抑え切れなかった。 フランソワーズの肌がみるみる蒼白く変色し、唇が紫色になるのを見て、ジョーは胸が痛む。 けれども、ここで止める訳にはいかなかった。 「フランソワーズ、目、開けられるかい?」 ジョーの問いに、フランソワーズは首を横に振る。 焼け付くように痛む瞳を開くなんて、到底出来そうなかった。 「だったら、目は瞑ったままで良いから、顔を上げて」 フランソワーズはその指示に従い、ゆっくりと顔を上げる。 ジョーは彼女の顎に片手を添え、俯かないように固定すると、フランソワーズの閉じられた瞼へ水をかけた。 「瞬きして。そう……ゆっくり、何度も」 瞼の隙間から入り込んだ水が、洗浄液を洗い流すにつれて、痛みも徐々に弱まっていく。 痛みに堪えていた彼女の表情が段々と解れて、完全に瞳が開かれると、ジョーは少しだけ安堵し、ホースを彼女から遠ざける。 「未だ、痛む?」 「ううん、もう……平気」 フランソワーズは消え入りそうな声でそう返答する。 本当に、もう痛みは感じなかった。 「他に、何処か痛む?」 「ううん。大丈夫。でも……」 「でも?」 「…………ないの」 「え?」 |
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フランソワーズの小さな声は、水音に掻き消されてジョーの耳には届かなかった。 フランソワーズは震える唇で、今度ははっきりと告げる。 「…………見えない、の」 何も、映らない。 自分が瞼を開いている事は分かる。 なのに、辺りはぼんやりとした乳白色で、その中で僅かに何かが揺れているだけだった。 物の形さえ描き出さない。 「見え、ない?」 ジョーの戸惑った心配そうな声。 フランソワーズはジョーへと…彼の声が聞こえて来た方向へと顔を向け、視ようとする。 だが、やはり視えるのは、光の揺らめきだけだった。 先刻まで確かに見えていた筈のジョーの顔が、今の自分の視界からは消去されてしまっている。 「……視えないのか?」 ジョーは食い入るようにフランソワーズの碧い瞳を覗き込んだ。 いつもは澄んだ海の色を湛える彼女の瞳は、今はくすんだ灰色に近い色をしていた。 何かを追って微かに瞳は動くものの、視点は完全に自分をすり抜けてしまっている。 フランソワーズはこくんと頷くと、無理に笑顔を浮かべる。 「ごめんなさい……貴方が、視えない」 |
祐浬 2003/1/15