雑 踏

 

 『ねぇ、何処かに寄って行こうよ』
 『そうだね。何処にする?』
 『マックで良い? そこで宿題、皆で手分けしてやっちゃわない?』
 『賛成!』
 『私も賛成ーっ じゃ、行こ』

(……私ったら…)

 目の前を、同じ制服を着た女の子達が弾むような足取りで通り過ぎて行く。

 何気なく耳に届いてしまった彼女達の会話に、フランソワーズはそっと苦笑する。
 盗み聞きなんてするつもりは無かった。
 ただ、自分の名を呼ばれるのをここで待っているだけのつもりだった。
 なのに…早く、その声を聞きたくて、探し出したくて……いつの間にか、サイボーグとしての耳の力を使ってしまっていた。

 フランソワーズは行き交う人々から目を逸らし、薄い雲が浮かぶ空をぼんやり眺める。
 微かに朱の混じった空。
 次第に凍えていく風。
 冬の夕暮れは早い。駅から自宅へと帰る人達が、足早にフランソワーズの前を通り過ぎて行く。

 『しおんちゃんのお兄さんってパイロットなんだよねー。カッコイイねー』
 『未だ見習いだけどね』
 『見習いだってカッコイイよ。どんな飛行機、操縦してるの?』
 『うーん、良くわかんないけど、小さいのだって言ってた』
 『へー。ねぇねぇ、今度会わせてよ』
 『良いけど……ガッカリするかもよ〜』

(兄さん……?)

 フランソワーズは、どきりとして、会話の聞こえてきた方角へ視線を移す。
 楽しそうに笑いながら歩く、女子大生2人組。
 声は彼女達のもの。

 フランソワーズは冷たくなってしまった手を、胸の前できゅっと握り締める。

 彼女達の姿に、自分の姿が重なった。
 ずっと……ずっと昔の自分の姿が、そこにあった。

――ねぇ、フランソワーズ。
   フランソワーズのお兄さんってパイロットなんでしょ?――
――ええ。でもパイロットといっても複葉機の、だけど――
――それだってカッコイイじゃない。お兄さんに彼女、居るの?――
――さぁ……――
――居ないんだったら、今度紹介してよ――
――紹介するのは構わないけど、会ってガッカリしても責任取らないわよ――
――まぁ、フランソワーズったら!
   そんなコト言って、ホントは私にお兄さん取られるのが怖いんでしょう――
――そんなこと……――

 色濃く、鮮明に蘇った会話。景色。
 学校帰りに友達とそんな会話をしたのは、いつの事だっただろうか。

 自分にとっては、ほんの2、3年前の事にしか感じない過去なのに、実際は何十年もの歳月が経過してしまっている。
 全てが、自分を置き去りにして、容赦なく流れてしまった。
 あの楽しくも穏やかな日々は、もう戻っては来ない。

 フランソワーズは荷物を反対側の手に持ち替えると、足元へと視線を落す。

 『ゆかちゃん、一緒に帰らないの?』
 『うん。ここで待ち合わせなんだぁ』
 『あ、彼氏と、でしょーっ』
 『えっ 違うよっっ!! 友達だよっ 友達!』
 『何慌ててるのよっ 怪しーー!!』
 『怪しくないって!! ホントに友達だもーん』
 『嘘だね。こらっ白状しろっ』
 『嘘じゃないって///!』

(待ち合わせ……そういえば…)

 兄さんとも良く待ち合わせをしたわ…。

 学校の門やバレエ教室の前、喫茶店、公園…色々なところで待ち合わせをして、買い物に行ったり、食事に行ったりした。
 こんな木枯らしの吹く夕暮れに、腕を組んで歩いたこともあった。恋人同士みたいに……。

(還りたい…パリに……あの頃に…)

 けれど、それは最早叶わぬ願い。

 ここに存在しているのは、あの頃の「フランソワーズ」では無いのだから。
 同じ記憶、同じ心を持ってはいるが、躯は異なる。
 同様にパリの街も、もう自分の帰るべき故郷では無い。

(もう何処にも還れない……私の居場所は無い…)

 誰も自分に気付かない。
 誰も自分に声をかけてくれない。

 こんなに大勢の人が居るのに、自分だけが取り残されたような…
 他の人達から自分は見えていないような錯覚をフランソワーズは抱く。

(錯覚じゃないのかも……)

 ここに居るのは幻影。
 実際には実在しないもの。

 『ねー見て見てっ あの人カッコイイと思わない?』
 『え? あ、ホントだ。カッコイイ、プラスちょっと可愛い系かも♪』
 『栗色の髪だねー。染めているのかなー』
 『違うんじゃない? ほら、だって瞳の色も茶色だよー。ハーフかなぁ』
 『誰か捜しているみたいだねー』

「見つけた」

(え?)

 ふわり、と温かなものが首にかけられて、フランソワーズは、はっと顔を上げる。
 目の前に、優しい赤茶色の瞳があった。
 首にかけられたのは、クリーム色の自分のマフラー。

「ジョー……」
「遅くなってごめん。道が混んでて、さ」

 少し小首を傾げ微笑みながら許しを請うジョーに、フランソワーズは慌てて首を左右に振った。

「ううん。私の方こそ呼び出したりしてごめんなさい。あの…その、お買い物し過ぎちゃって……」

 口篭る。
 嘘なのは一目瞭然だ。

 他のメンバー達には遠く及ばないが、幾らかは腕力も強化されている自分には、これくらいの荷物の重さは気にならない。

 本当は……急に寂しくなってしまったから…。
 独りで帰るのが堪らなく淋しかったから、「迎えに来て」と彼の携帯に電話をしてしまった。

「だから一緒に行くって言ったのに……」

 ジョーは荷物をフランソワーズの手から奪うと、ワザとちょっと怒った表情を作る。

「ごめん…なさい」
「次からは駄目って言っても、付いて行くから、ね」
「ジョー……」
「それに、こんなところに1人で立ってたら危ないだろ」
「え? どうして??」

 ジョーの言葉に、フランソワーズはきょとんと彼を見返す。
 こんな人の往来が激しくて目立つ場所の、何処が危険なのだろうか。

 ジョーはフランソワーズが何にも気付いていない事を知ると、はぁ、と溜息をついた。
 
 フランソワーズを遠巻きに囲んでいる男達。彼等が1人佇むフランソワーズを邪な目で見、あわよくば手中に収めようとしている事は明確だ。

「とにかく、帰ろう。車、向こうに停めてあるんだ」

 ジョーは狼達の群れから早くフランソワーズを遠ざけたくて、彼女の手を掴み引き寄せ歩き出そうとした。
 だか、彼女の氷のような指先の感触に、思わず眉を顰め、歩き出せなくなる。

「こんなに冷たくなって……。もっと温かい場所で待っていれば良かったのに」
「だって……」
「だって?」

 頬をほんのりと桜色に染め、俯くフランソワーズの言葉を、ジョーは鸚鵡返しする。

「ここなら早く見つけてくれると思ったから……」

 フランソワーズはおずおずと告げる。

 一刻も早く…
 一瞬でも早く、見つけて欲しかったら……
 ジョー、に。

「……馬鹿だな、君は」

 ジョーはふっと柔らかく笑むと、凍えた彼女の手を握り締めたまま、その手をコートのポケットへ入れる。

「ジョー……」

 ジョーの温もりと、ポケット中の温かさで、凍えていた手がみるみる溶け出す。
 冷え切った躯が、かあぁっと火照る。

「手袋も持ってきてあげれば良かった」
「ううん。良いの。手袋は要らないわ」
「どうして?」
「手袋があったら……こうして手を繋げないでしょ。それに……貴方と居れば寒くない、から…」

 寒さなんて感じない。
 ジョーと一緒に居れば、いつだって温かい。
 心も……躯も。

「それって……」

 ジョーはフランソワーズの耳元に口を寄せると、甘く囁く。

「……温めて欲しいってこと?」
「?! ジョーっっっ!!/////」

 真っ赤にになって憤慨するフランソワーズに、ジョーは悪戯っぽく笑い、ごめん、と悪びれずに侘びる。

 『うっわーっ 凄い綺麗な人だね』
 『残念だったね。彼女持ちで』
 『うん。でもさー、悔しいけど、お似合いだよ』
 『確かにアンタじゃ勝ち目無いかも…』
 『ひどーいっっ ま、確かに張り合う気にもならないけどねー』
 『速攻失恋だね。仕方ない、今日は私が奢ってあげるよ』
 『ホント?! らっきー』

 聴こえてきた雑踏(ノイズ)に、フランソワーズはジョーに気付かれないよう苦笑する。

(ごめん、ね……)

 彼だけは譲れない。

 私の唯一だから……。
 この魂(命)を焦がす、唯一の存在だから。

 唯一の還る場所だから。

「帰ろう、か」
「ええ」

 離れてしまわないよう、ポケットの中でしっかりと指と指を絡ませると、2人は人混みの中へと紛れていった。

 

Fin

 


†† 約束 ―雑踏 vol.2― ††




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祐浬 2002/10/11