White Love
†† vol.4 ††



「フランソワーズ?」

 ジョーはキッチンを覗き込み、そこにフランソワーズの姿が無い事を知る。

 テーブルには、トレイに乗せられたままの食器や食べ残しがそのままの状態で放置されていた。
 灯りも点されたまま…。

 彼女がここに居たのは間違い無い。

(部屋に戻ったのかな? …ん?)

 悪い方へと転がり落ちようとする意識を懸命に押さえ込み、彼女の部屋へと足早に向かうその途中、玄関の横を通り掛かった時、ジョーは小さな異変に気が付いた。
 玄関マットに、フランソワーズが愛用している猫の刺繍の入ったハニーブラウンのスリッパが、ちょこんと生真面目に並べられていた。

(フランソワーズ?)

 玄関の扉の鍵も開いている。

(もしかして外に?)

 こんな夜更けに、怖がりのフランソワーズが1人で外に出るなんて有り得ない。
 だが導かれる結論は、1つしか無かった。

 ジョーは靴に履き替えると、注意深くドアへと近づき、そっと押す。
 途端に、肌を刺すほどの凛とした冷たい大気が、隙間から屋敷内へと入り込んだ。

 今宵は厚い雲に月の光が完全に遮られている闇夜の筈だった。
 しかし漆黒に沈んでいる筈の景色が、何故か仄かに明るい。

 ふわり、と、何か白いものがジョーの頬を掠めるようにして、足元へ落ちて行く。

「!?」

 ジョーは、はっと息を呑む。
 そして、その場に脚が張り付いてしまったかのように動けなくなった。

 空から絶え間無く舞い落ちてくるものは、純白の結晶。

 その雪達に包まれるように、白いストールを身に纏ったフランソワーズが、玄関の外灯におぼろげに照らし出されていた。
 彼女はジョーに気付く事無く、身動ぎもせずに空を見上げ続けている。

 何かに憑かれたように……。

(フランソワーズっっ)

 叫びたいのに、声にはならなかった。
 鼓動が激しくなる。呼吸(息)さえ出来ない。

 奪われてしまう。
 ………フランソワーズも。

 この白い魔性に魅せられて……自分の手の届かない処へと狩られてしまう。

 また置き去りにされ、独りとなってしまう……。

(そんなこと、は……させないっっ)

 フランソワーズがゆっくりと両手を天へと伸ばす。
 まるで、何かを掴もうとするかのように……。

 風が、彼女の亜麻色の髪とスカートの裾、そしてストールをふわりと靡かせる。
 地面へと落ちる筈の雪が、一斉に空へと舞い上がった。

 それは……白い翼を広げ、故郷(そら)へと飛び立とうとする天使の姿。

「っっ!!」

 ジョーは咄嗟に、カチリと加速装置のスイッチを噛んだ。

 雪が、ぴたりと空中で静止する。
 そして、自分の躯に触れた雪の粒だけが、瞬く間に溶け蒸発していく。

 ジョーはフランソワーズの元へと駆け寄り、加速装置を切ると同時に、彼女を背後から強く抱き締めた。

「!!」

 突然、何の予告も無く痛いほどに抱き竦められたフランソワーズは、声にならない悲鳴を上げ、一瞬身を強張らせる。
 だが、直ぐに自分を捕らえる腕が、その温もりが、自分の良く知っている……愛する男性のものであることに気付き、ほっと胸を撫で下ろした。

「加速装置、使ったのね? ……もうっ、驚かせるなんてヒドイわっ」

 フランソワーズはわざと怒った口調を使い、ジョーの腕を解いて彼へと振り向こうとする。
 しかしジョーはそれを許さず、益々強い力でフランソワーズのその細い躯をしっかりと拘束した。

(……絶対に、離さない!)

 今この手を解いたら、彼女は自分の元から飛び去ってしまう。
 だから……離さない。
 ……離せない。

「ジョー? どうしたの? そんなにキツくしたら、痛いわ」

 ギリギリと骨が軋むほどに抱き締められ、フランソワーズはその痛みに顔を歪めながらも、ジョーを気遣い優しく問う。

「酔っているの??」
「僕を……置いて行かない、で…」
「ジョー?」

 懸命に搾り出された、血を吐くようなジョーの声。
 こんな切ない彼の声を聴くのは初めてだった。

(何が、貴方を苦しめているの? 雪? この雪のせいなの?)

 彼は雪が怖いと言った。
 雪は、大切なものを奪う、と……。

(貴方の大切なものって…)

 フランソワーズには001のような超能力(ちから)は無い。だから他人の心を覗くことなど出来ない。
 けれど……フランソワーズには分かっていた。

 雪が奪った彼の大切なものは……彼の母親と、クビクロ。

 クビクロが逝ってしまった日が雪だったことは覚えている。彼が教会に預けられたのが冬だったことも、以前に彼自身から聞いていた。

(貴方の別れの日も…雪だったのね)

 彼も、自分と同様に雪の日に残されたのだろう。
 哀しい――偶然。

 その雪が、どんどん激しく舞い落ちる。
 まるで、彼を追い込むかのように……。
 自分を抱き締める彼の腕が震えているのは、寒さの影響では無い。

「ジョー、この腕を解いて」
「イヤだ」
「貴方の顔が見たいの。お願い、少しだけ緩めて」

 ちゃんと顔を見て話したかった。
 正面から、彼の全てを受け止めたかった。

 彼を励ましてあげたい。彼の恐怖を拭ってあげたい。少しでも彼の力になりたい。
 そう思うのに、「言葉」は見つからなかった。
 どんな言葉も、幾ら言葉を重ねても、自分が伝えたい「想い」までにはならない。

 本当は……
 出来る事なら、「貴方を置いて逝かない」と誓って、彼を安心させてあげたかった。
 しかし……その言葉は、フランソワーズにとっては簡単に口に出せるものではなかった。

 彼を置いて逝くことなんて望まない。
 ずっと…ずっと、傍に居たい。
 けれども……自分の命は、今は未だ余りにも儚い場所にある。

 大切だから……
 愛しているから、告げられない真実。

 真実を言う事が出来ないから、尚更、嘘は言えない。言いたくない。
 偽りの言葉は、更に彼を抉ってしまうだろう。
 だからせめて………彼を抱き締めてあげたかった。

 ジョーは暫く躊躇った後、少しだけ腕の力を緩めた。
 フランソワーズは彼の腕の中でくるりと身体を反転させると、ジョーの背中に腕を回し、その胸に顔を埋める。

「ジョー……私の昔話、少し聞いてくれる?」
「君の話?」
「ええ。あのね……私、小さい頃、一度だけ雪が嫌いになった事があるの。ううん、雪だけじゃなくて、クリスマスも嫌いだったわ」
「え?」

 思い掛けないフランソワーズの告白に、ジョーは目を見開く。

「私のパパとママンは、雪の日に天国に逝ってしまったの……だから…」

 フランソワーズはぎゅっとジョーの上着を握り締める。

 大切な者達を自分から奪った雪。
 願いの叶わないクリスマス。
 そのどちらも嫌いだった時があった。

「でも……君は雪が降るのを楽しみにしていたじゃないか?」

 信じられなかった。
 フランソワーズはあんなにも雪を焦がれていた。
 両親を奪った雪を、彼女はどうしてそんなにも焦がれる事が出来るのだろうか。

「今は雪もクリスマスも大好きよ。本当に、ね。だって雪は天国に居る人達の『愛している』の言葉の替わりなのよ」
「愛している言葉の替わり?」

 不思議そうに尋ねるジョーに、フランソワーズは「ええ」と微笑みながら頷く。

「兄さんが教えてくれたの。『お前に降り積もる雪は、パパとママンがお前を愛している証拠』なんだって。だからね、こうして雪の中に居るって事はね、パパとママンに抱き締められている事なのよ」

(それと……兄さんにも、かしら…)

 フランソワーズの笑顔が、寂しげに揺らめく。

 去年の聖夜に、ジョーを自分の元へと導いてくれた複葉機。あれは……紛れも無く兄の乗っていたものだった。
 粉雪が舞うパリの空に現れた幻影。それは兄の想いが形となったもの。

「フランソワーズ……」
「ジョーに降り積もる雪は、きっとクビクロの想い、ね」

 ジョーの肩に積もる雪を見て、フランソワーズはそう囁く。

「クビクロの? ……ううん、それは違うよ。クビクロは僕がこの手で殺したんだ。クビクロは僕を恨んでいる筈だよ」
「クビクロは貴方を恨んでなんかいないわ。クビクロは本当に貴方が好きだったのよ。だって……クビクロ、幸せそうな顔をしていたもの」

 哀しき運命に翻弄され、彼自らその命を摘み取ることになってしまった愛犬(クビクロ)。
 けれど……クビクロは幸せそうな顔をしていた。

「クビクロだけじゃないわ。この雪は、貴方のことを愛しているたくさんの人達の想い、なのよ」

 彼を想い、慕い、愛した、今はもうこの世には存在しない者達の言葉(メッセージ)。

(私も……いつか…)

 こんな透明な結晶になって、はらはらと舞い、彼の頬をそっと撫でるのだろうか……。

「僕を愛してくれている人、の……」

 ジョーは自分の腕に舞い降りた一片の雪を見つめる。

 ならば……この雪のどれかは、母の想いなのだろうか。
 母は自分を愛してくれていたのだろうか。

「僕は……望まれて生まれてきたのだろうか…」
「ジョー……」

 心の奥底に隠し続けていた言葉が、小さな呟きとなって思わず零れ落ちた。

 フランソワーズはぎゅっと強く彼の身体を抱き締める。

 彼が望まれて生まれてきたのだと信じたい。
 けれど、真意を知るのは彼の両親だけだ。

「私は、貴方のお父様とお母様に感謝しているわ。だって、2人が居なかったら貴方は今、こうしてここには居ないんですもの」

 彼等が存在しなかったら、ジョーは生まれては来なかった。
 ジョーと巡り会う為の最初の奇跡を起してくれたのが、彼の両親。
 だから、本当に感謝していた。

「フランソワーズ……君は、どうして……そんなに…」

 そんなにも優しくて、強く在れるのだろうか。
 彼女もたくさんの愛する者を失っているというのに……。

 何故、汚れないのだろうか。

「そんなに?」
「ううん。……何でも無い」

 きょとんと自分を見つめるフランソワーズに、ジョーは微苦笑を浮かべ首を小さく横に振る。

 きっと、彼女はこの雪と同じなのだろう。
 空からふわりと舞い降り、地上の全てを白く輝かせ、例え汚される事があったとしても、空へと駆け昇り、一点の汚れもない美しい結晶となって再び空から舞い降りる。

「フランソワーズ……確かめて、いいかい?」

 ジョーはガラス細工を扱うようにそっと優しくフランソワーズを抱き締め、彼女の髪へと顔を埋める。
 凍える大気に曝されて冷たくなった彼女の髪から、昼間彼女が作っていたケーキの…バニラの香りがした。

「確かめる?」

 耳元で甘く囁かれて、フランソワーズは顔を赤らめ、どぎまぎと彼の言葉を鸚鵡返しする。

「君を……確かめたい」

 もっと、強く、熱く……彼女が自分の腕の中に在ることを。
 そして、しっかりと繋ぎ止めておきたかった。

(誰にも渡さない……)

 他の男にも、雪にも、益して死神にも……
 彼女は奪わせない。

「この雪が止むまで、君を離さない」



A secret story is in "Miroir"...
 


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祐浬 2002/12/22