「……ん?」

 おぼろげに浮かんできた意識のその片隅で、フランソワーズは何かがきらきらと輝くのを捕らえ、重い瞼をゆっくりと押し開く。

 辺りは未だ闇に沈み、その闇に全ての音が飲み込まれているように、シン…と静まり返っていた。
 聴こえて来るのは――本当に微かな海鳴りと、自分を包み込んだまま無防備なあどけない表情で眠り続ける彼の規則正しい寝息だけ。

(……何?)

 見慣れた部屋。
 いつもと変わらぬ夜。
 けれど、ひとつだけ違っていることにフランソワーズは直ぐに気付く。

 それは――
 カーテンの隙間から細く差し込む、万華鏡の光。

 フランソワーズは彼を起こさぬように注意しながら、そうっと体勢を変え、ベッドの直ぐ横にあるカーテンに恐る恐る指を掛け、ほんの少しだけ開いてみる。

「っ!?」

 そこに在ったのは…橙(オレンジ)がかった銀色の大きなFull moon。

(…だめっ)

 刹那的に湧き上がってきた禍々しいほどの恐怖に、フランソワーズは慌ててカーテンを閉ざすと、すやすやと眠り続けている彼に縋り付き、パジャマの上着を、ぎゅっと握り締める。

 彼が……再び自分の元から消えたりしないように。
 強く…。

「う……、ん?」

 異変に気付いたジョーは、夢現のままゆるゆると瞼を開く。
 そして自分の傍らにある柔らかな温もりが、がくがく震えているのを知ると瞬時に覚醒し、事態を把握しきれないまま反射的に彼女の細い身体を両腕でしっかりと抱き締め、注意深く彼女の名を呼ぶ。

「…フランソワーズ?」
「……あ」

 耳元で聴こえて来た心配げな低くて甘い声、そして自分をしっかりと拘束する彼の逞しい腕に、フランソワーズはびくっと身体を震わせ、彼が目覚めてしまったこと、自分から彼に身体を寄せていることに気が付くと、かあぁぁっと頬を朱に染め、恥ずかしさの余り彼から遠ざかろうとする。
 けれど、彼の腕がそれを許さず、フランソワーズは益々強い力で抱き竦められてしまった。

「どうしたんだい?」
「…な、何でもないわ」
「何でもないのなら、何故震えているの?」
「それは……」
「フランソワーズ、顔を上げて」
「……。」

 ジョーの優しくも逃げを許さない強い言葉に促され、フランソワーズはそろそろと顔を上げる。

 ナイトランプの仄かな光が反射し、彼女の紺碧の瞳は紫色に潤んでいた。
 長い睫毛を塗らした涙が、目尻を伝って枕へと落ちる。
 その哀しそうな…何かに怯え、懸命にそれを抑え込んでいるような、切ない彼女の顔に、ジョーははっとする。

「泣いて、いるの?」
「あ……違うの。欠伸をしたから……。ごめんなさい、起こしてしまって…」

 フランソワーズは咄嗟にそう誤魔化すと、指先で涙を拭い、無理に微笑みながら詫びる。

「構わない。それより、何があったの?」
「何も無いわ…」
「嘘だ」
「嘘じゃないわ」
「フランソワーズっ」

 あくまでも隠し通そうとするフランソワーズに、ジョーはワザと怒って見せ、俯こうとする彼女の頬に手を添え、強引に再び自分と視線を合わせる。

「ジョー…」
「フランソワーズ、ちゃんと話して」
「でも……」
「僕には言えないこと?」

 ジョーの赤茶色の瞳が不安げに揺らめくのを見、フランソワーズは慌てて首を左右に振る。

「違うわ。そうじゃないの…。そうじゃないけど……話したら、ジョー、きっと呆れるわ」
「呆れたりしないよ」
「ホントに?」
「ああ、約束する」

 彼の真剣な強い瞳と言葉に、フランソワーズは一度目を伏せ、自分の心に巣食う闇の正体を、ぽつりと呟くように言葉(声)に替える。

「……怖いの」
「怖い? 何がだい?」
「月や星が…」
「え?」

 おずおずと告げられたその理由に、ジョーは眉を顰める。

「どうして?」

 以前、フランソワーズと何度も星や月を眺めたが、その時は怖がっている感じには見受けられなかった。
 怖がっているどころか、七夕の夜には嬉しそうに満天の星空を眺めていたし、流星群や海に映る満月を自分と共に飽きる事無く、食い入るようにうっとりと見つめていた筈。

「だって…」
「だって、何?」
「…………流れ星みたいだったの。……貴方とジェットが宇宙(そら)から落ちて来る時。だから…」

 脳裏に鮮明に蘇った景色に、フランソワーズは身体を竦める。

 夕闇迫る茜紫の空に浮かんでいたのは、透き通るような白いHalf Moonと、瞬き始めた星々。
 そして――滑り落ちた、一筋の流星。

 目を閉じれば生々しく蘇る。
 あの時の水の冷たさも、景色も、絶望も……。

「……フランソワーズ」
「呆れちゃうでしょう? 貴方やジェットが無事に戻って来てくれた事は分かっているのに…。此処に確かに貴方は居るのに…。でも……怖くて…」

 ヨミの戦いが終わったのは、2週間前。
 単身で宇宙(そら)へと悪しき野望を抱いて飛び立った魔人像を追ったジョーは、彼を迎えに来た002と共に流れ星と化した。
 彼等の帰還を手助けしたのは、001。
 元々、加速装置に充分耐えられるように作られた彼等の身体は、大気圏突入時にも燃える事は無い。危惧すべきは地表との衝突だったが、それを001が超能力(瞬間移動能力)で回避させた。
 よって2人の怪我は驚くほど軽く、002は翌日、『リベンジだっっ』と言って成層圏まで飛び回れるほどであり、ジョーも全治1週間程度だった。

 元気な姿で自分の元へ還って来た、彼。
 大切なものを失わずに済んだ事を、全身で感じるのに……恐怖は完全には拭えない。
 足元に絡み付く漆黒の闇は、明日…いや、次の瞬間には再び自分を呑み込むかも知れない。

 重ねあった温もりも
 絡めた指も…
 ……情け容赦なく切り裂かれて…。

 どんなに大切に受け止めていても、
 どんなに強く抱き締めていても…
 ……指の隙間から幸福(幸せ)は零れ落ちて行く。

「ごめん……」

 ジョーは悔しげに唇を噛むと、彼女の絹のような亜麻色の髪に指を入れ、顔を埋める。
 彼女があの時に深く傷付いた事は知っていた。けれど…自分がこうして無事に戻っていた今、その傷は癒されたものだと思っていた。

(君の戦いは……未だ終わってなかったんだね…)

 血を流す戦いは一先ず終結した。
 だが、彼女の心の傷は少しも癒えてはいない。今も傷口からは鮮血が溢れ出ていて、どんどん彼女を蝕んでいく。

「もしかして……今までも、こんなふうに?」

 毎晩、震えていたのだろうか?

 ジョーの問いに、フランソワーズは躊躇いがちに小さく頷く。

「でも、毎晩じゃないわ。ここ数日は、一度も…」
「どうして起こしてくれなかったんだい?」
「だって…、そんなこと申し訳無いもの」

 戦いに疲れ、ぐっすりと寝入っている彼を自分の都合で起こすなんて、フランソワーズにはどうしても出来なかった。
 怪我が癒え体力が回復してからも、研究所の再建や新しいドルフィン号の製作準備に忙しい彼に、迷惑はかけたくなくって、結局、今日まで一度も彼を起こせなかった。

「フランソワーズ……」

 彼女の他人行儀さに、ジョーは苦く笑う。

「遠慮される方が哀しいよ」
「ジョー…」
「僕じゃ、頼りにならない?」
「そんなこと無いわ。私は…、こうして貴方が傍に居てくれるだけで充分なの。充分過ぎるくらい……」

 フランソワーズは彼の胸に額を押し当て、独り言のように呟く。

 ジョーの存在が身近に在る。
 本当にそれだけで充分だった。
 それ以上を望むのは罪のような気がした。

(他には何も望まないから……だから…)

 ずっと、彼と触れ合っていたい。
 このままの時間が永遠に続けば良い。

 フランソワーズは心からそう願った。





「なぁ、ジョー。お前、ススキって知っているか?」
「へ?」

 賑やかな足音を立てて鉄砲玉の如くリビングに入って来た002は、フランソワーズと和気藹々と話し込んでいたジョーを、予告も遠慮も無く羽交い絞めにしながら問う。

 BGに破壊された研究所を新たな場所に移す為、メンバー達はかなりのハードスケジュールで働いていた。
 サイボーグであっても疲労が溜まらない訳では無く、今日はギルモア博士の提案で1日休養日となり、メンバー達は居候させて貰っているコズミ博士の屋敷のリビングで思い思いの穏やかな時間を過ごしていた。……のだが、そのまったりとした時間は、赤毛のアメリカンによって早々に終演となってしまった。

「ススキだよ。ススキっっ」
「し、知ってるけど…?」

 002の唐突過ぎる突飛な行動と質問に、ジョーは戸惑いつつも正直に答える。

「じゃ、悪いが、そのススキってのを三本採って来てくれねぇか?」
「良いけど……ススキなんて何に使うんだい?」
「俺が使うんじゃねーよ。コズミのじーさんに頼まれたんだ」
「コズミ博士に?」

 ジョーは一瞬の隙をついて何とか002の制裁から逃げ出すと、きょとんと自分達を見つめているフランソワーズと視線を合わせる。
 フランソワーズは彼の視線の意味に気付くと、「私は何も訊いていないわ」と首を横に振った。

「何でも、今日は『十三夜』とゆーヤツらしいんだ。で、それにはススキが三本必要なんだとよ」

 やれやれと、腕を頭の後ろで組んで、002はどさぁ、と空いているソファに身体を沈める。

「十三夜? あ、そうか…」

 ジョーは直ぐにコズミ博士の意図するものを悟り、壁にかけられているカレンダーで今日の日付を確認する。
 フランソワーズは1人納得しているジョーのシャツの袖をちょんちょんと引張ると、小首を傾げ小声で尋ねる。

「ジョー、十三夜って何?」
「あ……えっと、十五夜は知ってるよね?」
「ええ。お月見のことでしょう?」
「うん。十五夜は、陰暦の8月15日に行われるもので、十三夜は陰暦9月13日、つまり今日10月8日に行われるものなんだ」
「ほぉ〜、それで十三夜ねぇ〜。日本にはホント、ロ〜マンチィック〜〜な美しい風習が多いんだねぇ〜。我輩、再感激」

 今迄、黙ってジョー達の会話を盗み聞いていた007が、芝居がかった大きな仕草で、彼なりの感動を表現する。

「十五夜は元々中国の風習アルヨ。けど、十三夜はワテも聞いた事無いアル」
『十三夜ハ中国ニハ無イ日本独自ノ行事ナンダ。十五夜ハ別名「芋名月」ト呼バレテイルノニ対シ、十三夜ハ「豆名月」ト呼バレ、豆ヲ供エルンダ。日本独自ノ文化トシテハ、モウ一ツ「片月見ヲ嫌ウ風習」ガアル』

 ふわふわと宙を漂いながら、001が至極当然とばかりに、006の疑問に完璧過ぎる説明を返す。

「片月見? ジョー、知ってる?」
「ええっと……確か、十五夜をやったら、十三夜もやらないと禍が起こるというものだったような気が…」

 曖昧な記憶を懸命に手繰り寄せ、ジョーはバツが悪そうに首を竦めて見せる。

『正解ダヨ。ドチラカ一方ハ必ズ月ヲ拝シテ、ソノ年ノ収穫ヲ祝イ、翌年ノ豊作ヲ祈願スル、トイウ意識ガ根底ニアッタ為ダト言ワレテイル。十五夜ヨリモ、十三夜ノ方ガ晴天ニナル確立ガ高イ為デモアルケドネ』
「十五夜がだめなら十三夜があるってコトか…」(007)
『ソノ通リ』
「日本ってやっぱり面白いね…。予め予備を用意しておくなんて」(008)
「それだけ日本人が月を崇めているという証拠だ」(005)
「崇める、つーか…単純に月が好きなだけだろ」(002)

(月……)

 皆の会話を聞き、フランソワーズは密かに、ぎゅっと拳を握る。
 月と聴くと、どうしてもあの薄っすらと白く輝く半月を思い出してしまう。

 透き通った…消えてしまいそうな儚い月。
 ……それは、自分の元から何も言わずに、切なげな微笑みだけを残して消えてしまった、彼のようだった。

(今、此処に確かに在るものでも…、次の瞬間には……消えてしまう)

 確かにこの手に掴んでいたものでさえ、幻の如く大気に溶けて消えて無くなる。
 ならば……何が現実なのだろう。
 どうやって、大切な者を護れば良いのだろう。

「フランソワーズ、どうかしたの?」

 思い詰めた表情で押し黙ってしまったフランソワーズを、ジョーは心配げに覗き込む。

「ううん。何でもないわ。それより、どうしてお月見にススキを飾るのかしら?」

 フランソワーズはジョーに心配要らないと告げ、話題を元に戻す。

『昔、すすきハ屋根ヤ炭俵ヲ編ム材料トシテ、人々ニハ欠カセナイ重宝品ダッタ所為ダヨ。ソレニ、すすきニハ邪気ヲ祓ウ力ガアルトモ言ワレテイル』
「邪気を祓う? 農作物への災いを取り除くという事アルか?」(006)
『日本デハ、十五夜、十三夜ハ農作物ノ恵ミヲ祈ルダケノモノデハ無インダヨ、006』
「へぇ〜、他にどんな意味があるんだい?」(007)
『満チ欠ケスル月ハ、人間ノ一生ニ似テイルダロウ?』
「確かに、似ていると言われれば似ているな…」

 001の言葉に、004は顎をしゃくりながら同意する。

 何も無いところから少しずつ満ち、美しき満月に成熟すると、今度はどんどん欠けて行き、やがては無に還る。
 延々と繰り返される月の満ち欠けは、確かに人間の一生と似ている。

『ダカラ、月ハ子孫繁栄ノ象徴トモサレテイルンダ。『巡り行く未来に災いが起こらないように』ッテネ』
「巡り来る未来、か……」

 001の言葉が、小さな棘を伴ってジョーの胸の奥に染み入る。

 未来。
 戦いに身を置く自分達には、一番不確かなもの。
 そして……一番望んでいるもの。

「へぇ〜…面白そうだな、その十三夜ってヤツ。でもどーせやるんなら、派手にMoonlight partyと行こうぜ」
『じぇっとハ馬鹿騒ギガ好キダネ』
「馬鹿とは何だっ 馬鹿とはっっ」

 002は001を、がしっと両手で捕らえるとソファに引き降ろし、小さなぷくぷくの足の裏をこちょこちょと擽る。

『ワッ じぇっと! ソレハ反則ダヨッッ』
「じゃ、成層圏まで散歩に連れて行ってやろーか?」
『………。』
「てっっ!!」

 ふふん、と悪戯げな笑みを浮かべて更に擽り続ける002の後頭部に、何処からか沸いて出てきた特大中華鍋が、カコーンとクリーンヒットする。
 002が頭を抱えて蹲ったその隙に、001は彼の魔の手から易々と抜け出し、ちゃっかりとフランソワーズの腕へと退避した。

「いってぇなっっ こんなもんで殴んじゃねーぞっ」
『ふらいぱんガオ気ニ召サナカッタノナラ、電子れんじカ冷蔵庫ニシテアゲヨウカ?』
「冗談じゃねーっ どっちも遠慮だっ」

 所詮最強(凶)001には叶わないと早々に戦闘を放棄し、002はやれやれとボヤキながらソファへと座り直す。

「ねぇ、ジェット、どうするの? 本当にMoonlight partyするの?」

 001と002の兄弟喧嘩が一先ず終息したのを確認し、フランソワーズがおずおずと問う。

「勿論だぜ! 文句ある奴は居ないな。じゃ、今夜はぱーっとやるか」

 自他共に認める宴会部長が、何人たりとも反論する隙を与えずに、今宵の宴の開催を決めた。





「ふぅ…」

 ジョーは冷えたミネラルウォーターを一気に胃の中に流し込むと、目の前でくすくすと笑うフランソワーズにグラスを返す。

「大丈夫?」
「うん。そんなには飲まされなかったからね」

 夕方から開催されたMoonlight partyは賑やかで楽しい、それでいて過酷な大チャンポン大会になり、皆次々と撃沈してしまった。
 ジョーも002の餌食となり、ビール、ワイン日本酒…と飲まされたものの、何とか追加攻撃をかわす事に成功し、酔い潰れるまでは至らずに済んだ。

「君は大丈夫かい? 紅くなってるけど」
「わ、私は……ワインをほんの少しだけだから」

 色付いた頬をふわり、とジョーに撫でられて、フランソワーズはばっと彼から遠ざかると、更に朱に染まった頬を隠すように俯き、グラスをテーブルの上に置く。
 そんな初々しい彼女が可愛くて、ジョーはベッドから立ち上がると、ひょいと彼女を覗き込む。

「肌が白いせいかな? フランソワーズは少しでもアルコールが入ると、直ぐにピンク色になるんだね」
「え?」
「まるで、リトマス試験紙みたいだ」
「〜〜〜っっ ひ、酷いわっっ! ジョーだって、お酒には強くないじゃないっ」
「でも、君には負けないつもりだけど?」
「あら、そんなこと無いわ。もしかしたら、私の方が強いかも知れないわよ」
「言ったな。じゃ、今度試してみるかい? その代わり、僕が勝ったら……」

 ジョーはそこで一端言葉を切り、拗ねた瞳で自分を見つめるフランソワーズの耳元へ唇を寄せ、途切れた言葉を繋ぐ。

「〜〜〜〜っ!?」

 低く甘く囁かれたその条件にフランソワーズは言葉を失い、本当にリトマス試験紙のようにものの見事に真っ赤になる。

「約束、だよ?」
「し、しらないっっ ジョーのえっちっ!」

 くるりと背を向け、部屋の隅に逃れようとするフランソワーズの手を、ジョーは易々と捕らえる。

「やっと…君らしくなったね」
「え?」

 彼の突然の真面目な低い声に…、全てを見抜かれてしまうような強くて優しい瞳に、フランソワーズはどきっとする。

「Moonlight partyは楽しかったかい?」
「え? ええ。とっても…」
「久しぶりだよね。あんなふうに皆で騒ぐのは…」

 前回、皆でこんなふうに騒いだのは、ぎらぎらと太陽の輝く夏だった。
 それから、未だ2ヶ月も経っていないのに、何故か遠い昔の出来事に思える。

「何だか……全部、夢みたい……」

 楽しかった思い出も、辛くて哀しい過去も、そして今も…全てが夢のように思えて、フランソワーズは寂しげに微笑む。

「…………。」

 彼女が何を想い、何を危惧しているのか目敏く見抜いたジョーは、掴んだままの彼女の手を引いて、窓へと導く。

「ジョ、ジョー??」
「これから……今度は2人だけのMoonlight partyをしよう」
「えっ」

 彼がテラスへ…外へ出るつもりだと気付き、フランソワーズは身体を強張らせ、立ち止まろうとする。
 けれど、ジョーはそれを許さずに、しっかりと閉まっているカーテンに指をかける。

 彼の向こう側に見える闇。

 それは――あの時と……彼が流れ星となってしまった時と、同じ闇。

「い、いやっっ」

 フランソワーズは懇親の力で彼を振り解くと、一歩後ろに下がる。
 が、それきり足が竦んで動けなくなってしまった。

「大丈夫。今夜は月が眩し過ぎるから、星は殆ど見えないよ」

 フランソワーズ夜空に怯え、がくがくと震えている事を知りながら、ジョーはカーテンと窓を開き、するりと月の光が降り注ぐテラスへとその身を躍らせる。
 アルコールで火照った身体に、秋のひんやりと冷たい夜風が心地良い。

「フランソワーズ、おいで」
「嫌」

 ジョーの誘いをフランソワーズは激しく首を横に振って断わり、ぎゅっと目を瞑る。
 フランソワーズの頑なな態度にジョーは苦笑すると、彼女の元に戻る事無く、手摺へ進み、空を見上げた。

 漆黒の闇に浮かぶ、潤んだ大きな銀色の月。
 それは、息を呑むほど綺麗で、神秘的で、儚くて…
 そして……怖いほどに禍々しくも妖艶な…存在(もの)

(こんなに綺麗で明るいけど……月は自分では輝いてはいない……)

 あの光は月自らが発しているものでは無く、太陽の光を反射させているだけ…
 決して、自分からは光ることは叶わない。
 太陽が無ければ、その存在さえ気付かれる事も無い。
 そんなところは自分に似ているかも知れない、と、ジョーは思う。

 今、こうして皆にその存在を認めて貰えているのは、自分に光を与えてくれている者が居るから。
 ……フランソワーズが。

 やっと見つけた自分の命よりも大切で、愛しい存在(彼女)
 護りたかったのに…、逆に傷付けてしまった。

(僕が……弱いから、だ)

「フランソワーズ、月が凄く綺麗だよ。……綺麗過ぎて、引き寄せられそうだ」
「っ!?」

 ジョーの物悲しい呟きに、フランソワーズははっと顔を上げ、彼の姿を捜す。
 目に映ったのは、銀の光を浴びハレーションを起こしたようにほんのりと闇に浮かぶ、ジョーの後姿。

 彼の背中が半分透けているような、幻影。

(消えちゃうっ!)

 フランソワーズは夜空への恐怖も忘れ、無我夢中で彼に駆け寄り、その背に縋り付く。
 きつく、きつく、渾身の力で、彼が確かな存在であることを、懸命に感じ取ろうとする。
 けれど……どんなに強く彼に縋っても、不安は拭えない。それどころか、益々儚く…全てが夢のようにしか思えなかった。

「どうしたの?」
「お願い……もう、消えたりしないで…」
「フランソワーズ…」

 ぎりぎりと血を吐くような切ない彼女の呟きに、ジョーは表情を曇らせると、自分にきつく縋り付いている彼女の手を解き、震えるフランソワーズを後ろから包み込み、彼女の柔らかな亜麻色の髪へと顔を沈める。
 ふんわりと鼻腔を擽る、甘い花の香り。

「僕は此処に居るよ?」
「分かっているわ。だけど……」
「こうしていても、信じられない?」
「信じたいわ。信じたいけど…」

 彼が無事に自分の元へ還って来てくれたことは分かっている。
 今自分を抱き締めている彼が、夢や幻でも無いことも…
 けれど……

「あの時も、触れ合っていたのに……」

 彼を愛し、そして彼から愛され、満ち足りた途方も無い幸せを感じる度に、背後にぴったりと貼り付くそれは強く濃くなっていく。
 彼を失いたく無いと思えば思うほどに、その瞬間がじりじりと迫って来ているようで、堪らなく不安になる。

 触れ合っていても…
 抱き締めていても…
 ある日突然、何の前触れも無く、全てが自分を擦り抜けて消えてしまう。
 絶望の淵からやっと探し出した、たった一つの『幸福』さえも。

 あの時のように、一筋の流れ星と化して……、跡形も無く…。

「本当は……僕も、怖いよ」

 ジョーはぽつりと呟くと、彼女の柔らかさと滑らかさ、温かさを全身に感じられるように、ぴったりと身体を触れ合わせる。

「ジョー…」
「あの時……、君を失う事が何より怖かったんだ」

 ―――君に賭けたい―――

 001のその言葉で自分の運命を悟った。
 彼が何を期待しているのかも…、自分に課せられた役割も…。
 命を賭けなければ、奴等は倒せない。

 自分という存在が無くなるかも知れない。
 不思議とそのことは怖くは無かった。
 仲間を…彼女を護る為なら、この命など差し出しても構わないと本気で思った。

 怖かったのは……彼女を失うこと。

「だから…、また同じような状況になったら、僕は迷わず同じ事をすると思う」
「………。」

 フランソワーズは、きゅっと唇を噛む。
 彼がそうすることは、彼女自身が一番良く分かっていた。
 彼は自分達を救う為に、何度でも同じ事をする。
 真っ先に一番危険な場所へ飛び込み、己の身を盾にして……闘う。

「フランソワーズ……、もし、もしも…また僕が消えて…」
「!! そんな事言わないでっ」

 フランソワーズは泣き出しそうになりながら首を横に振り、両手で耳を塞ぐ。
 例え話であっても、そんな言葉は聞きたくなかった。

「聞いて、フランソワーズ」
「貴方が消えてしまう話なんて、聞きたくないわ」
「今、ちゃんと話しておきたいんだ」

 ジョーはやれやれと苦笑すると、耳を覆い隠している彼女の手首を掴み強引に遠ざけ、途切れてしまった言葉を…今度は完全な形で告げる。

「もしも、僕がまた君の前から消えても、僕を信じて欲しい」
「……信じる?」
「うん。フランソワーズ、昼間、001が言った言葉、覚えているかい? 月には人間の一生に似ているって…」
「覚えているわ」

 突然話が変わったことに戸惑いながらも、フランソワーズはこくんと頷く。

「確かに、月は満ち欠けして見えるけど。本当は欠けてなんかいないんだ。その姿が全く見えなくても……月は、ちゃんと存在している」
「……もしかして、同じだと言いたいの?」

 彼の言いたいことを先読みし、フランソワーズは背筋を凍り付かせる。

「貴方の姿が私からは見えなくても…触れられなくても…、心は傍にあるからって……そう、言いたいの? そんなの嫌よ」

 彼の心だけが欲しいんじゃない。
 温もりが欲しい訳じゃない。
 愛してくれる存在が欲しい訳じゃない。

 結婚や家庭なんて、そんな贅沢は望まないから……彼のその全てと共に在りたい。
 ただ一緒に居たい。

「違うよ、フランソワーズ。僕は、これでも結構貪欲なんだよ」

 ジョーは、ふ、と小さく笑う。

 戦いの最中、死を覚悟したことも事実。けれど・・・同様に『生きたい』とも強く願った。
 生きて……再び彼女と触れ合いたい。抱き締めたい。
 それがどんなに困難だろうと…、物理的に不可能であっても……諦めたくは無かった。

 相反する2つの気持ち。
 そのどちらもが偽らざる真実だった。
 だから、不安を抱き縋り付いて来た彼女に、何の言葉も残せなかった。
 別れの言葉なんて言えはしない。益して、帰途を約束する言葉は言えなかった。
 そんな自分の弱さが、彼女に底知れない不安を抱かせた。
 絶望という刃が彼女の心(精神)を深く抉り、壊した。

「え?」
「君を誰かに渡すつもりなんて無い。こうして君を抱くのは僕だけだ。だから……僕は絶対に君の元に還って来る。月が延々と満ち欠けを繰り返すように、何度でも、必ず……」
「……本当に?」
「ああ、約束する。だって、僕の還る場所は此処だけだから…」

 ジョーは指で彼女の髪を払い、露わになった白い首筋に唇を落とす。

 望んで戦いを始めた訳じゃない。だが、戦わなければ大切な者が護れないのなら、この手が血に塗れても、地獄に堕ちても構わない。
 やっと掴んだ幸福(幸せ)は、何としてでも守り抜いてみせる。

「ジョ、ジョー……」
「だから、信じて待ってて」
「待ってて、……良いの?」

 首筋に感じる甘い感触にフランソワーズは「あ…」と吐息を零しながら、自分を包み込む彼の腕に触れる。

「うん。君に待っていて欲しいんだ。君が待っていてくれるなら、きっとどんなことがあっても僕は還って来れるから…」

(確実に守れない約束は出来ないって思っていた。……でも、それは違う)

 約束は100%守れるものだけを選んでするのではない。
 どんなに可能性が低くても、それを守ろうとする意思があれば…約束する事は罪じゃない。

 彼女との約束があるからこそ――自分はきっと何度でも還って来れる。

「だから……夜空を怖がる必要なんて無い」
「ジョー…」

 フランソワーズの大きなサファイヤの瞳から生み出された雫が、月光を受けてダイヤモンドのように煌きながら、彼女の指とジョーの腕に落ちる。

 嬉しかった。
 彼の言葉が、確実に未来を保証するものではないことは分かっていた。
 未来に何が起こるのかなんて、誰にも分からない。
 けれど、彼のその強い想いを信じたいと思う。
 『信じられる何か』があれば、自分は待っていられる。
 どんなに辛くても、苦しくても……彼と共に戦うことが出来る。

「絶対……絶対よ。私、待ってるから。貴方が還って来るまで、ずっと待っているから」

 フランソワーズはジョーの腕の中でくるりと反転すると、潤んだ瞳で彼を見上げる。
 彼の向こう側に見えたのは、大きな月とその眩しい光に覆い隠されてしまっている、頼りなげな無数の星々。
 フランソワーズは怯える事無く、彼と夜空を見つめ、穏やかに微笑む。

「約束、よ」
「約束、だね」

 2人は吸い寄せられるように口付けを交わす。

 それは、Full moonに誓う生涯有効な約束の証(キス)だった。



  ―――僕(私)はここに居る。これからも、ずっと…―――





― Fin ―





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祐浬 2006/9/6改


この作品は、2003年10月12日tamaさま発行の
Cyborg009 Fan Book『COLORS』にお贈りさせていただいたものです。
(当HP掲載にあたり、一部加筆修正致しました)