遠く…、
     掠めるように響く、声。

 その声は、低すぎず、優しくも甘い抑揚で…、
           囁くように自分の名前を呼び…――

                         そっと、触れる。


 それは……

 聞き間違えるはずのない、大好きな…、
                      大好きな、男性(声)。





Santa...





 12月も中旬を過ぎると、寒さは厳しさを増し、本格的な冬の到来を誇示する。
 高い断熱効果が施されている研究所でも、季節の移ろいの影響をまったく受けないというワケにはいかず、ここ数日は昼間でも暖房が欠かせないほどだった。
 特に朝の冷え込みは強く…、ましてや、『この冬一番の寒さになる』と天気予報が断言していた今朝は、室内の空気も冷気に磨かれ、沈んでいた。

(……………、朝…?)

 頬に朝の訪れを感じながらも、吸い込んだ息のあまりの冷たさに、フランソワーズはあたたかな布団と夢魔の誘惑に珍しく縋り付く。

(…もう、ちょっとだけ、なら……、大丈夫、よね…)

 そう自分に言い訳をして、重い瞼を開くことを諦め、心地良い微睡みに身を委ねる。

 12月24日。クリスマス・イヴ。
 特別な日の幕開け――なのだが、研究所にはフランソワーズ独りきりだった。
 博士とイワンは1週間ほど前から、『今進めている研究の参考になる』と言って知り合いの博士を訪ねており、ジェットや他の仲間(家族)たちも、それぞれの生活の地で外せない用事があるらしく、研究所に戻るのは26日になると連絡があった。
 もちろん、それらは偶然などではなく、恋人でありながらこのところ擦れ違ってしまっているジョーとフランソワーズに、2人っきりのクリスマスを過ごさせてあげよう、と、皆が示し合わせた結果、だ。
 が、肝心のジョーが、5日前に急な仕事が入りフランスへ行くことになってしまった。

 仕事だから仕方がない、とわかっているから、寂しさを懸命に隠して、クリスマスの話題には触れず、笑顔で彼を見送るつもりだった。
 けれど、人の心に敏い彼を欺くことはできず、ジョーは優しいキスとともに『24日の夕方までには必ず戻る』と約束し、出掛けていった。

(ジョーが、帰って来るのは……、夕方、だから……)

 最愛の男性(ひと)と2人きりのクリスマス。
 彼が無理して自分ために時間を作ってくれることが心苦しくも、やっぱり嬉しくて、心が弾むのを止められなかった。
 彼に負担を強いている分、せめて彼の好きなものをたくさん作ろうと、昨日のうちに食材などの買い物を済ませ、ツリーの飾り付けも、クリスマスケーキ用のスポンジも焼き終えていた。
 ささやかなクリスマス・パーティーの準備は、午後から始めても充分間に合う。

(でも…、みんなが帰って来る前に、お掃除もしないと……)

 26日には仲間たちが帰って来る。今日(イヴ)と明日(クリスマス)を彼とゆっくり過ごすためには、昨日までに終わらなかった玄関と廊下、階段のお掃除を、今日の午前中までに終えてしまいたかった。
 とは言え、まだ目覚ましは鳴っていない。立てた計画に遅れを取ることはないのだから、今すぐ慌てて起きる必要はなく、もう少し寝ていても構わない。

(…私ったら……)

 フランソワーズは夢の淵をゆらゆらと漂いながら、自分の滑稽さを自覚する。

 目覚ましが鳴る前…、こんなにも早く目が覚めてしまったのは、寒さの所為じゃなく、やはり……気が逸っている所為。

 彼に、早く逢いたくてたまらない、証拠。

(イヴの夜に帰って来るなんて……、何だか……、サンタクロース、みたい…)

 そう思って、思わず笑みが零れる。

 そう言ったら、彼はどんな顔をするだろうか?
 皆から愛される聖なる人物のようだと言われても、彼はきっと否定するだろう。自分はそんな存在じゃない、と。
 でも、フランソワーズにとっては、何より欲しいものを自分に齎してくれる……、サンタクロースでもプレゼントできないものを届けてくれる、唯一の存在だった。

 だから…――

(……早く、……帰って、来て)

 毛布の外に僅かに零れていた手を、布団の中へ引き込み、祈るように手を組む――その瞬間、僅かに感じた違和感。

(…………あたたかい?)

 冷気に晒されていたはずの指先が、あたたかいまま、だった。
 それだけじゃない、ベッドの中も…、自分の身体も、昨日よりもあたたかい気がした。

(今朝は……、そんなに、寒く、ない?)

 天気予報が外れたのだろうか?
 それとも、大気が温まるほどに陽が高くなっているのだろうか?

(え…? もしかして……、私、寝過ごして…?)

 大切な日に寝坊してしまったのだろうかと不安になり、フランソワーズは現時刻を確認しようと、開かない瞼を無理に薄く押し開ける。

(でも……、空気は、こんなにも……?)

 大きく吸い込んだ大気は凍えていて、容赦なく喉と肺を冷やし、震わせ、睡魔を追い遣り、覚醒を促す。

「…………ん」

 霞かかった虚ろな景色。
 モノのカタチさえはっきりしなかった景色は、徐々にカーテンの隙間から零れる弱々しい仄かな光を頼りに、本来の形と色を描き出す。

「…………?」

 目の前に…、視界を塞ぐように置かれているのは、緩く握られた"手"だった。

(…………手? …………え???)

 しかも、それは、しなやかだが関節が太い、大きな、手。

「――――っっっ!?」

 明らかに自分のものではない"手"の存在に睡魔は一瞬にして吹き飛んでしまい、フランソワーズは息を呑むと、見開いた大きな碧い瞳に、その謎の手を映す。

 きちんと整えられている指先。
 中指と薬指には、真新しい小さな擦り傷。
 シャツの袖口から覗く、腕時計―――

「ジョー……っ?」

 腕時計にも、手にも見覚えがあった。
 見間違うはずがない。この腕時計は、自分が彼に……ジョーに贈ったもの、だ。

 慌てて身を捩り、確かめようとする。が、自分の身体を覆う逞しい腕…その重さに制限され、なかなか振り向けなかった。
 それでも、何とか、少しずつ身体をずらし、背後に居る彼と向かい合わせとなる。

「………………っ///」

 目前に迫る、端正な…、それでいて穏やかな、愛しい男性の顔のドアップに、フランソワーズの鼓動は大きく跳ねる。

 散らばった長い前髪から覗く、固く閉じられた長い睫毛。
 微かに開かれた形の良い唇から漏れる、規則正しい吐息。

 そこに居たのは、正真正銘、間違いなく、彼――ジョーだった。

 しかも、フランソワーズの驚いた声にも、身動ぎにも、まったく反応することなく、すやすやと良く……、死んだように眠っている。

(ど、どうして???)

 自分を拘束する腕がジョー本人であったことを確認し、ほっと安堵しつつも、フランソワーズは自分が置かれている状況が理解できず、呆然と彼を見つめる。

 ベッドに潜り込んでいる彼は、外出着のまま。
 着ていただろう革のコートが、無造作に布団の上…、自分たちの上に置かれているのが、辛うじて見えた。
 恐らくコートだけ脱ぐのがやっとで…、腕時計を外すことすらもどかしく、すぐに眠りに落ちたのだろう。

(……疲れて? それとも……、具合が悪い、の?)

 行きついた可能性に、フランソワーズは、さぁっと蒼褪めると、掌を彼の額に押し当て、その体温を計る。

(熱はないみたいだけど……)

 額に触れても一向に目を覚ます気配すらない彼に、不安はますます濃くなり、フランソワーズは躊躇いつつも彼の名を呼ぶ。

「ジョー…?」
「…………。」
「ジョー、……起きて」
「……………………。」
「ねぇ、起きて」
「…………………………。」
「やっぱり、どこか具合が悪…っ???!!!」

 不意に言葉が途切れる。
 その原因が――自分の言葉を奪ったのが彼の唇だと認識したのは、唇から彼のぬくもりが遠ざかってからだった。
 瞬きすることすらできず、固まっているフランソワーズの瞳に、薄く開かれた赤茶色の瞳が映る。
 その瞳は彼女と視線が合うと、悪戯げに揺れ、ふ、と口元に満足そうな笑みを湛えた。

「〜〜〜〜〜〜〜っっ///////」
「……説明は、後でする、から……、今は……もう少し……だけ……」

 少し甘えたような声音でジョーはそう告げて、真っ赤に染まった彼女をぎゅっと胸に抱きしめ、亜麻色の髪に顔を埋めると、安心したように瞼を閉じながら吐息混じりに「寝かせて」と懇願する。

「……ジョー…っ/// ……っ!///」

 非難の声をあげたものの、ジョーはまったく気にすることなく、瞬く間に深い眠りへと堕ちてしまう。

(…………もうっ)

 拗ねて唇を尖らせてみたけれど、それは長くは続かず。自分を腕の中に閉じ込めたまま、すーすーと子供のように無防備に眠る彼に、フランソワーズは、くす、と微笑む。

 F1レーサーである彼。その仕事は、彼の夢、だ。だから、直接レースとは関係のない仕事でも、チームに必要であれば、仕事に手を抜いたり、放棄したりはしない。
 そんな彼が、こんなに早く帰って来たということは、かなりの無理と無茶をしたのだろう。

 ―――自分とクリスマスを過ごすために―――

(私のサンタクロースは、強引で…、ちょっと、あわてんぼうさん、ね…)

 イヴの夜ではなく、イヴの朝に届けられた何よりも欲しかったプレゼントに、フランソワーズはそっと寄り添うと、そのぬくもりに誘われるように瞼を閉じた。





Fin






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祐浬 2011/12/24
(2012/2/1 UP)