Refleter
†† vol.3 ††






 ――私達は……何のために、生まれてきたの?…

                     何のために、出逢ったの?――





 しとしとと降り続く、雨。

 絹のように細い雫たちは、そこに在るあらゆるものを容赦なく…そして平等に濡らし、大地へと還っていく。

「ごめんな…さい」

 零れ落ちた小さな呟きと一筋の涙は、彼に届く事無く、雫と静寂に呑まれ溶けて消える。

 何度謝っても…、
 どんなに後悔しても……遅い。

 失ったものは、もう永久(とわ)に戻らない―――。

 歪んだ哀しき運命の果てにやっと掴んだ、間違いだらけの恋。

 だけど、何よりも大切だった。
 2人で居られれば、幸福(幸せ)だった。

(ごめんなさい。でも……)

 ――愛してる――





「………っ!?」

 微かに響いたざわめきに、はっと顔を上げると、フランソワーズは慌てて辺りを見回す。

 雨は未だ降り続いていた。
 叩き付けるような強い雨ではない。
 けれど、森全体がミルク色の濃い霧に包まれていて、視界は頗る悪かった。

(私……いつの間にか、眠って?)

 ――いや、違う。

 普通の人間には視えない、遥か遠い空を飛んでいるジェット機(民間航空機)が、先程確認した時とほぼ同じ位置にある。

 過ぎ去っていた時間は、ほんの一瞬。

(良かった……)

 自分が眠ってしまっていたのではなく…、自分達に危険が迫っているワケでもないと知り、フランソワーズは、ほぉ〜っと胸に痞えていた息を吐き出す。

「どうしたの?」

 彼女の横……辛うじて雨を凌げる巨木の根元で、うとうとと浅くまどろんでいたジョーは、彼女の小さな異変を見逃さず、厳しい瞳で尋ねる。

「あ、ごめんなさい。何でもないわ」
「本当に?」
「ええ。何か聴こえた気がしたの……。でも、大丈夫。誰も……何も、追って来ていないわ」
「何が聴こえたんだい?」
「分からないわ。…………音というより、声に近いものだったような気がするけれど…」
「声? 無線だったら、僕にも届いている筈だし…近くに誰か居るのかい?」
「ううん。近くに人の気配は無いわ。もしかしたら…小さな動物の鳴き声だったのかも。とにかく、大丈夫、よ」
「そう……良かった」

 フランソワーズの断定(言葉)に、ジョーは肩の力を抜くと、再び巨木の幹に深く背中を預ける。
 彼女が『大丈夫』と言うのであれば、もう暫く此処に留まっていても平気だろう。

 フランソワーズのナビを頼りに、2人は何とか地下基地を脱出、追手のロボット犬を退治しながら深い森を縫うようにここまで逃げて来た。
 そして、彼女の眼と耳が新たな追っ手を感知しなかった為、2人は此処で休憩を取ることに決めたのだった。

 もちろん、まだ安心は出来ないことは充分に分かっている。
 自分達は奴等から完全に逃れられた訳ではない。
 自分達が裏切り者のゼロゼロナンバーサイボーグであること知っている奴等が、獲物(自分達)を易々と見逃すとは考えられなかった。

 戦いは――終わらない。

「起こしてしまって、ごめんなさい。……ジョーはもう少し休んで」

 傷付いたジョーの身体を支えながら、フランソワーズは優しく諭す。

「いや、もう大丈夫だよ。今度は君が休んで」
「でも……」

 ジョーが眠っていたのはほんの30分ほど。
 此処に辿り着き『一先ず安心』と分かると同時に、崩れるように座り込み、「ごめん……少しだけ…」と呟くと、そのまま眠ってしまった彼。

 ずっと戦い続けて来た疲労と怪我による負担は、容赦なく彼を蝕んでいた。
 意識を失ってもおかしくは無い――なのに、彼は深い眠りに堕ちることすらなく……自分の小さな異変を察して覚醒してしまった。
 状況が状況だから仕方が無いとは言え、彼に無理をさせてしまっていることが……、ほんの僅かな休息さえ守ってあげられなかったことが、フランソワーズには悔しくて哀しかった。

「君だって疲れるだろう? 足、大丈夫?」

 ジョーは彼女の肩に腕を回し、ゆっくりと自分へと傾ける。

 此処に辿り着くまで、彼女はずっと裸足だった。
 もちろん出来る限り彼女を抱え庇っては来た。けれど、圧倒的に不利な状況下だった為、彼女に無理をさせなくてはならない局面もたくさんあった。
 それに、森の中を――随分長い距離を走っている。
 ………怪我を負っていない筈がない。

「私は、大丈夫」

 フランソワーズは、すっと彼の目に触れないように、切り傷や擦り傷だらけの足を引き、隠す。

 自分の怪我など、彼の怪我と比べたら、大したものではない。
 事実、ひとつの銃弾も受けてはいなかった。

 彼が己の身体を楯にし、必死に護ってくれたから…
 自分が受ける筈だった刃を、全て身代わりになって受けてくれたから…

 それなのに、彼は自分を気遣い、労わってくれる。
 こんな掠り傷を本気で心配して、己の責任だと自戒の念を抱いてしまうから、彼に怪我を見られたくなかった。
 これ以上、彼の負担になりたくなかった。

「ジョーは? 痛むでしょう?」
「いや、平気…」
「ジョー……」
「本当に大丈夫だよ。少し休んだし、ね。未だ……戦えるよ」

 彼女が怪我を隠したことに…彼女の言葉の嘘に気付きながら、ジョーは敢えてそれ以上追求しなかった。
 嘘はお互いさまだ。
 自分の身体が『平気』でないことは、一目瞭然だろう。

「ねぇ、ジョー……これから、どうするの? もっと遠くに逃げる?」
「いや、この森は罠(トラップ)だらけだし、今は……奴等に見つからない限り、あまり動かない方が良いかも知れない。それに、あまり基地から離れると、皆と合流し難くなるしね」
「合流って……ジョー、まさか……皆と合流したら、基地に戻るつもりなの!?」

 ジョーの決意を秘めた眼差しに、フランソワーズは嫌な予感を抱き、慌てて問う。
 すると、案の定――ジョーは躊躇う事無く「ああ」と頷いて見せた。、

「そんな……。だめよ! こんなに怪我しているのにっ」
「でも、アレをこのままにはしておけない」
「それは、そうだけど……。怪我の手当てが先よ。一度此処から離れて、充分に態勢を整えてからの方が…」
「それじゃ……間に合わない」

 ジョーがいつになく厳しい表情で、きゅっと悔しげに唇を噛む。

「間に合わないって、どういうこと?」
「……分からない」
「え?」
「分からないけど……そんな気がするんだ」

 確信はない。
 けれど、基地内の様々な実験装置や、この森の異様なトラップ、戦った相手(サイボーグ)の言葉、そして何より長年の戦闘で培われてきた『勘』が、ひとつの悪しき事実を導き出し、警告を鳴らしていた。

 あの基地は一刻も早く葬り去らなければならない。
 ……手遅れになる前に。

「ジョー……」
「皆と一緒なら大丈夫だよ。心配しないで」

 ジョーはフランソワーズの肩を強く抱き、優しく笑む。

「その『皆』には、もちろん私も入っているのよね?」
「フランソワーズ…」
「仲間はずれはイヤ、よ」

 彼が何を危惧し、そんなにまで焦っているのかは分からない。
 けれど、普段戦いを好まない彼がそこまで言うのには、余程の事情があるに違いない。
 ならば……自分は彼を信じ、共に歩むだけだ。

「……分かったよ」

 彼女が一度言い出したらそう簡単には曲げないことを経験上良く知っているジョーは、苦笑しつつ承諾する。

 本当は彼女を戦わせたくない。
 彼女には、こんな殺伐とした血生臭い場所は似合わない。

「だったら尚更、このまま……皆が来てくれるまで、見つからないといいわね」

 フランソワーズの祈るような言葉に、ジョーは「そうだね」と同意する。

 仲間と合流したら直ぐに、奴等との死闘となる。
 ならば、このまま奴等に見つからず、少しでも体力を回復させておければ、それが一番良いのだが…。
 果たして、そう上手く行くだろうか……?

 仲間達が今、どの辺りに居るのか……自分達に探る術は無い。
 自分が一報を入れた後、直ぐに研究所を発ったとしても、ドルフィン号が到着するまでには最短でも後2時間はかかるだろう。

「皆、心配しているわよね…」
「…そう、だね。……君が無事で居ることを早く報せたいけど…。今は……」

 携帯電話を使えば仲間達とは容易く連絡が取れるが、現時点で……未だ敵基地からそれほど離れていないこの場所で携帯電話や体内無線を使うのは、自分達の居場所を敵に報せてしまう危険がある為、避けなければならなかった。

(でも、僕等から連絡しなくても、場所は既に特定できている筈だ…)

 フランソワーズの腕時計(位置特定装置)は、彼女が基地に連れ込まれてから外された。おそらくは、現在も基地内にある筈だ。
 例え既に破壊されてしまったとしても、彼等を導く充分な道標になっているに違いない。

 連絡が取れなくても…、
 いや、連絡が取れないからこそ、彼等は自分達を懸命に捜してくれるだろう。

「ごめんなさい。……私の所為でこんなことになってしまって…」
「君の所為じゃない。君が謝ることないよ」

 罪悪感いっぱいに瞳を潤ませるフランソワーズに、ジョーはきっぱりと言い切る。

「ジョー、私ね……貴方に助けてもらう前に、夢を見ていたの」
「夢?」

 突然話が変わったことに疑問を感じながら、ジョーは彼女の言葉の続きを促す。

「ええ。断片しか覚えていないけど……。こんなふうに貴方と2人で深い森の中で、雨に降られて………、夢の中でも、私は貴方に庇ってもらうばかりで…」

 夢の記憶は、おぼろげにしか残っていない。
 けれど、ひとつだけはっきり覚えている。

 深い―――絶望。

「フランソワーズ…」
「私……いつもいつも、貴方の…皆の足手まといになってしまってるわ」
「君は……足手まといなんかじゃない。皆も、僕も…そんなふうに思ったコトは…ないよ」
「でもっ」
「君には……何度も救われている。現にさっきも……君が居なかったら…、僕だけだったら、あの基地から脱出出来なかったし、此処まで逃げても来られなかった」
「だけど……私が居なければ、貴方は1人で敵基地に飛び込むなんて無茶、しなかったでしょう?」
「君が居なかったら…………僕は……」

 ジョーはそこで一度言葉を切ると、途方に暮れたような…哀しい笑みを浮かべ、遠くに……霧に霞んだ森の奥に視線を馳せる。
 そして、僅かな間を置き、途切れた言葉の先を告げようとした――その瞬間、だった。

『――……レ…ヲ…、……テ……――』

「っ!」
「!?」

 突然、頭の中に小さく木霊した音に、2人は驚き、顔を見合わせる。

「ジョーにも聴こえたの?」
「ああ。でも……」

 ジョーは即座に銃を構え、戦える態勢を取りつつ、小首を傾げる。

 聴こえてきたのは、『言葉』らしい音だった。
 けれど、それは間延びした…壊れたような電子音。
 しかも……耳から聞こえたのではなく、直接頭の中に響いた。

(無線? いや、そんな筈は……)

 一瞬、仲間達からの通信かと思った。距離が有り過ぎているから、良く聞こえないのかと……。
 けれど、直ぐに違うことに気付く。

「僕達の回線(もの)とは少し違う、のか? 混線? 誰か……居るのか?」
「いいえ。周りには誰も居ないわ……。あ、待って……」

 フランソワーズは丁寧に…慎重に、辺りを探る。
 届いた『音』が無線であるのなら、自分が遠視できる範囲内の筈。

 強化された眼に真っ先に映し出されたのは……兵士達が忙しげに行き交う基地。
 基地の外にも兵士やロボット、車両が視えるが、自分達がいる方角へは、誰も向かって来てはいない。

(何処? 誰なの…?)

 基地から目線を外し、ゆっくりと…徐々に角度を変えながら、森の中を視る。

 森の中に有るのは……
 幾つもの罠と監視装置。そして、壊れた車両や戦闘機、ロボットらしい残骸。

「……あっ」

 程なく、フランソワーズの眼があるものを……探していた対象物らしいものを捉えた。

「っっ!?」

 そして、それが『何』であるのかを視ると、フランソワーズは、みるみる蒼褪め――ばっと顔を背け、両手で目を覆い隠す。

 ふらっとよろめく彼女を、ジョーは反射的に受け止め、強く抱き締めた。

「フランソワーズっ!?」
「そんな……そんなことって……」





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