想い
†† vol.2 ††



「博士?」

 ふと抱いた嫌な予感。
 一度湧いてしまったそれは消える事が無く、膨らむ一方だった。
 ジョーは慌てて自分達が暮らす屋敷へと戻り、ギルモア博士の書斎の扉を開いた。

 フランソワーズが旅立ってから1週間。
 今日、彼女が戻ってくる。
 ……その筈。

「おお、ジョーか。お帰り」

 博士は分厚い本から目を離し、ジョーを迎え入れると、やれやれと呟きながら腰を伸ばした。
 博士の傍らには、001がすやすやと眠っている。

「フランソワーズから連絡は?」
「ん? ああ、あったよ。無事に日本に戻って来たと、空港から電話があった。迎えに行こうかと言ったんじゃが、フランソワーズは1人で帰れるからと言ってのう〜」
「電話があったのは何時頃ですか?」
「確か……2時30分頃じゃったような」
「2時30分?」

 自分が散歩に出て直ぐだ。
 ジョーは壁掛け時計で現時刻を確認する。
 5時15分。

「遅すぎませんか?」

 空港からタクシーを使えば、研究所までは1時間ほどだ。電車や高速バスなど他の交通手段を使ったとしても、もう到着している筈だった。

「確かに、ちと遅いかもしれんな・・…まぁ、そう心配することもなかろう。街で買い物をしているのかもしれん」

 ギルモア博士が研究に没頭すると時間の概念が吹っ飛ぶのは、日常茶飯事のことだ。

「買い物をしてくるのなら、そう連絡がある筈です」
「ふむ……」

 生真面目なフランソワーズの事だ。途中で買い物をして遅くなるのであれば、そう電話をかけて来る筈だった。
 空港から電話があったきり、その後連絡が無いのであれば、彼女は真っ直ぐにここを目指しているということ。

 ……それにしては、遅過ぎる。

 ジョーはちらりと001に視線を送る。
 001が目覚めていればフランソワーズの居所など瞬時に掴めるのだが、生憎、彼が目覚めるのには未だ時間が必要だった。

(何か……あったんだ)

 悪い予感ほど、的中するものなのだ。
 ジョーは無線で話しかけてみる。
 彼女が近くまで来ているのなら、届く筈だ。

『フランソワーズ…』

 しかし、返事(こたえ)はない。

『フランソワーズ! フランソワーズ、何処だ!?』

 何度呼びかけても、フランソワーズから返事が返って来ることは無かった。
 予感は、確信へと変わる。
 さぁ…と血の気が引いていく。

「返事が無い。やっぱり何かあったんだ!」
「ふむ、確かに返事が無いというのは妙じゃな…」
「博士、僕は探しに行きます。僕とフランソワーズが行き違いになると困るので、博士はここに居て下さい」
「お、おいっ 009!」

 博士の言葉が終わらぬうちに、ジョーは部屋を飛び出した。

 彼女が予期せぬ事件に巻き込まれたのは、最早間違いないような気がした。
 取り越し苦労であればそれに越した事は無いが、何もせずに部屋で待っていることなんて到底出来なかった。

 ジョーは躊躇う事無く加速装置を使う。
 私服は加速装置によって齎される影響から溶け、真っ赤な戦闘服姿へと変わった。

「フランソワーズ!」

 加速装置を解き、叫ぶ。
 街外れにある屋敷から空港へ行くのには、幾つかのルートがある。その中で最も可能性が高いのは……一番の近道であるのは、海と森の狭間のこの道だった。
 陽はすっかり西に傾き、空と海を茜色に染めている。

「フランソワーズ!! 何処にいる!?」

 緊急専用のこの無線回路は、例え相手が通常の無線を切っていたとしても通じる筈だった。
 しかし……返事は一切無い。
 手がかりの欠片さえ見つける事は叶わない。
 闇雲に探しても見つかる確率が低いことは分かっているが、こうして自分の脚で捜し回る以外に方法は見つからなかった。

 空を飛ぶ能力を備わっている002であれば、自分よりは容易く簡単に彼女を見つけられるだろう。
 007でも…その姿を翼を持つものへと変えれば、こんな自分よりは遥かに……。

(サイボーグでも……こんな身体になったって、僕は君を見つけ出す事すら出来ないんじゃないかっ)

 ジョーは自分の無力さを呪う。

『……009』

 再び加速装置を使おうとしたその時、頭の中に直接声が割り込んで来る。

「001(イワン)?」
『ふらんそわーずハ、君ノ居ルトコロカラ、西二500めーとるホド行ッタ、崖ノ所ダ』
「崖? フランソワーズは無事なのか?」
『…………』
「001? ……眠ってしまったのか」

 001が目覚めるのには、通常ならあと1週間は必要なのだ。恐らく彼はギルモア博士の必死の呼びかけに応えて、一時的に目を覚まし、フランソワーズの居場所を探ってくれたのだろう。

(ありがとう、001)

 ジョーは001の指示通りに西へ…沈みかけた太陽の方向へ、道路から外れ森の中を加速装置を使って移動する。
 500メートルという距離は、加速装置を使えば短かった。
 001の言った通り、そこには50メートルほどの崖が聳え立っていた。
 ジョーは太陽の方向を再確認し、崖沿いに走る。

「!?」

 崖の下に、亜麻色の髪の女性の姿があった。

「フランソワーズ!」

 見間違うはずが無かった。
 心臓が押し潰れるかと思った。

 ジョーは慌てて駆け寄ると、うつ伏せに倒れているフランソワーズを抱き起こす。
 柔らかな長い髪が揺れる。
 フランソワーズの白い手足は力なく放り出されたまま、微動だにしない。そして身体中の至るところに擦過傷があった。
 その美しい顔にも……頬に僅かに血が滲んでいた。

 彼女の身体は……温かかった。
 抱き締めている腕から…彼女と触れ合っている全ての部分から、彼女のぬくもりが伝わってくる。

 とくん、とくん、とくん……

 そして……機械仕掛けとは言え、命あることを伝える鼓動の音も伝わってくる。

「どうしてっ」

(どうして、こんな森の中にフランソワーズが?)

 森の入り口には下草が生い茂っているものの、内部は木々の枝で光が遮断される為、下草も少なく足場は悪くは無い。
 この薄暗さも彼女の目には何の妨げにもなりはしないだろう。
 だが……何故、彼女はこんな場所へとやって来たのだろうか。 

 ジョーはフランソワーズを強く抱き締めたまま、聳え立つ崖を見上げる。
 崖肌に彼女が落ちた痕跡が残っている。

(誰かが、フランソワーズを突き落としたのか!?)

 何者かがフランソワーズをここへ連れ出し、崖から突き落としたのだろうか……。
 崖の上から突き落とされたのであれば、彼女のダメージは相当なものだ。

(…彼女を1人にするべきじゃなかったんだ!)

 博士が何と言おうと、彼女が何と言おうとも……ドイツで004が待ってくれているとしても……自分も彼女と共に行くべきだった。
 ギルモア博士と001の面倒(警護)なら、突然でも006か007に頼めば快く承諾してくれただろう。
 いや……散歩などに出ず、彼女を空港まで迎えに行ってさえいれば、こんな事態は避けられた。

 彼女が何か嘘をついたとしても。
 ドイツで何があろうとも。

 彼女は約束通り、こうして戻ってきたのだ。

(それだけで充分じゃないか)

 自分の…自分だけの醜い感情で……彼女を信じ切れずに、彼女に背を向けて1人にしてしまった事を、ジョーは後悔する。

(とにかく……一刻も早く、博士の元へ戻らなくては!)

 自分を責めるのも、フランソワーズをこんな目に遭わせた奴の詮索も後回しだ。先ずはフランソワーズを……彼女を救える唯一の人(博士)の元へ運ばなければならない。

 ジョーがフランソワーズを抱き上げ、立ち上がろうとしたその時だった。

「…………ん……」

 微かに開いたフランソワーズの唇から、零れた吐息。

「フランソワーズ?」
「………うぅ…ん、ジョー?」

 フランソワーズは苦痛に顔を歪めてから、そろそろと瞼を開く。
 ぼんやりと虚ろな視線は、直ぐにジョーの顔を捉え、生気溢れるきらきらとした瞳へと変貌する。
 その美しい宝石のような瞳に自分の顔が映るのを見、ジョーは泣き出したい衝動にかられる。

「フランソワーズっ。良かっ……」

 ぎゅううう…とフランソワーズを抱き締める。
 彼女の存在を……その命を確かめるように、強く。

「い、痛っ 痛いわ。ジョー」
「あ、ごめん」

 フランソワーズが怪我を負っていることを思い出し、ジョーは慌てて力を緩める。だが、彼女を腕の中から手放したくなくて、そのままにする。
 そんなジョーの態度に、フランソワーズは頬を染め、恥ずかしそうに俯いたものの、敢えてジョーの腕から逃れようとはしなかった。

「一体誰が君にこんなことをしたんだい?」
「え? ……あ、違うの」

 ジョーの問いに、フランソワーズは一瞬きょとんとし、それから慌てて否定する。

「違う?」
「ええ、違うのよ。……私、自分でこの崖を登って……落ちちゃったの」

 フランソワーズは小声で事のあらましを暴露すると、恥ずかしそうに首を竦める。
 だが、ジョーには益々不可解だった。
 何の為に、この崖を彼女は登ったというのか……。

「自分で登って…落ちた?」
「そう。ほら、あそこに鳥の巣があるでしょ」

 フランソワーズは崖の中腹にある岩と岩の隙間を指差す。
 指し示されたところには、彼女の言葉どおり、小枝や枯草などを集めた鳥の巣らしいものがあった。

「家に帰る途中に、ね。偶然、視えちゃったのよ。雛が落ちてしまったところ」
「それで、君は……わざわざ?」

 やっとジョーにも事の次第が理解できた。

 フランソワーズは偶然にも、この巣から雛が落下するのを視てしまったのだ。
 優しい彼女はその雛を放っておく事が出来ず、ここまで立ち寄り、崖を登って雛を巣に返した。
 そして崖を降りる途中で足を滑らせ、滑落した。

 フランソワーズらしいと言えば、フランソワーズらしいのだが……

「だったら、僕を呼んでくれれば良かったのに」

 ここからなら無線で充分に届く。
 自分にとっては、こんな崖を登って雛を返す事など、容易い事。
 フランソワーズがわざわざ危険を冒す必要は無い。

 ……自分を頼ってくれさえすれば。

「僕じゃ、頼りないかな」
「そんなことないわ。違うの……・ごめんなさい。私、貴方を驚かせたくて」
「驚かせる? 僕を?」
「ええ。空港から電話をしたら、貴方がお散歩に出ていて留守だって知って……貴方より先に帰って、「お帰り」って言って驚かせようと思ったから……」

 だから連絡しなかったの……と、フランソワーズは消えそうな声で繋ぐ。

「君って女性(ひと)は……」

 ジョーは微苦笑を浮かべる。

 慈愛に溢れた優しさで自分を包んでくれる聖母マリアのような一面を見せるかと思えば、こうして時々子供のような危なっかしい真似をする。

 そのどちらの面にも、自分は間違いなく惹かれているのだが…。

「ごめんなさい」
「もう、良いよ。こうして無事だったんだしね」

 尚も神妙に謝罪の言葉を告げるフランソワーズに、ジョーは優しく笑む。

「違うの……。もう1つ、貴方に謝らなければならないことがあるの」
「もう1つ?」
「実は……ギルモア博士のお友達の研究を手助けになんて……行っていないの」
「え?」

 フランソワーズの更なる告白に、ジョーは驚く。
 いや……予感はあった。彼女の嘘に気付いたあの時から……。

「どういうこと? 君はドイツでアルベルトと一緒にライヤ博士の元へ行ったんじゃ…」
「ドイツへ行ったのも本当だし、向こうではずっとアルベルトと一緒だったわ」

 どくん。
 ジョーの心の奥底に、再びどす黒い想いが噴き出し始める。

 それでは、彼女は何の為にドイツへと行ったのか……。
 この1週間、004とどんなふうに過ごしてきたというのだろうか。
 ……自分に嘘をついてまで。

「ジョー、放して」
「え? ……ああ」

 訳が分からぬまま、ジョーはフランソワーズを座らせ、腕の中から開放する。
 フランソワーズはきょろきょろと辺りを見回し、近くの木の根元に自分が置いたままの状態の鞄を見つけ、その中身が無事である事を眼で確認すると、嬉しそうに瞳を輝かせ、ゆっくりと立ち上がる。

「痛っ」
「フランソワーズ!」

 立ち上がろうとして右足に体重をかけた時、ずきんっと足首から痛みが疾った。
 バランスを崩し倒れるフランソワーズの身体を、すかさずジョーが支える。
 良く見れば、彼女の右足首は真っ赤に腫れ上がっている。

「酷い……。他には? 何処か痛む場所は無い?」
「大丈夫よ。落ちた時に捻ったのかしら…」

 尚も立ち上がろうとするフランソワーズを、ジョーは強引に自分の腕の中へと引き戻し、軽々と抱きかかえる。

「怪我をしているんだから、無理はダメだよ」
「ジョー……ありがとう」

 ジョーはフランソワーズを鞄の傍らまで運び、そっと降ろす。
 すると、フランソワーズは鞄の中から小さな箱を取り出し、微笑みながらジョーの前へと差し出した。

「これは?」
「私から、貴方へ。……開けてみて」

 言われるまま、ジョーはその箱を受け取ると、蓋を開く。
 中に収められていたのは、真綿に大切に包まれたイルカのガラス細工。
 お店で売られているような、非の打ち所の無い出来とは言えないが、とても愛くるしい表情の、綺麗なガラス細工だった。

「これは?」
「私が…創ったの。彼(0013)がウサギだったから、私はイルカ。……彼みたいには上手じゃないけど、でもドイツに居た5日間、毎日一生懸命頑張ったのよ」

 フランソワーズが真っ赤になって告げる。

「もしかして……これを創る為にドイツへ?」
「ええ。アルベルトがガラス細工の職人に知り合いが居るっていうから、紹介してもらったの。貴方には内緒にしたかったから、博士にまで協力してもらっ…」

 フランソワーズの言葉が終わらないうちに、ジョーは彼女をぎゅっと抱き締めた。

 彼女の想いが嬉しかった。
 彼女がたまらなく愛しかった。
 
「ありがとう、フランソワーズ。大切にするよ」

 大切にする。
 君から貰ったイルカのガラス細工も……
 ……君自身も。


― Fin ―
 

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祐浬 2002/4/25