想い
†† vol.1 ††



 ……ジョー……

 近くの海岸へと散歩に出ていたジョーは、延々と繰り返される潮騒の狭間に、自分を呼ぶ声を聞いたような気がした。
 慌てて辺りを見回してみるが、人影は無い。
 元々この海岸を訪れる人は少ない。地形的に一般人が容易く入り込めないからだ。益して、日暮れの迫ったこんな時間に訪れるのは、余程の物好きか、自分のような地形的困難を差して苦にする事の無い者。

 もう一度、辺りを見回し、内蔵されている無線回線にも意識を集中させてみるが、人影も自分を呼ぶ声も無い。
 聞こえてくるのは……潮騒と風の音だけ。

(空耳、か…)

 自分を呼んだ声。
 ……それは、自分にとって掛け替えの無い愛しい女性のもの。

 彼女のことばかり考えているから、そんな幻聴が聞こえたのだろう。
 彼女の幻聴が聞こえるほど恋しいのに、何故自分はここに居るのだろう。
 強引にでも迎えに行けば良かったのに……。

 ジョーは自分を改めて素直じゃないと自覚する。
 一刻も早く会いたいのに、屋敷で大人しく彼女の帰りを待っている事が出来なかった。
 果たして、彼女は以前の通りの……自分の知っているフランソワーズのままで戻ってきてくれるのだろうか。
 それとも……。

 ジョーはぎゅっと拳を握り締める。

 自分は恐いのだ。
 彼女が変わってしまうことが……。
 彼女が自分の腕の中から飛び去ってしまうことが……。

 彼女があまりにも清浄過ぎて。

 外見の美しさ、内面の清らかさ、あの美しくも優しい微笑みは、自分ではそうと知らずに異性を魅了する。
 彼女と出逢った誰もが、彼女を切望するだろう。

 そんな女神が、自分の元へと必ず帰ってきてくれるのだろうか。
 こんな薄汚れた、ちっぽけな自分の元へと。

 胸の奥で何かがざわざわと蠢き出した。

(フランソワーズ……)





 ――1週間前――


「ドイツに行く?」

 ジョーは驚いて、003(フランソワーズ)の言葉を繰り返した。

「ええ。1週間ほどになるかしら…」

 フランソワーズはいつもの温かな微笑みを浮かべながら、ジョーを真っ直ぐに見つめ、それからソファーに座っているギルモア博士に視線を送った。
 博士の横では、つい先刻眠りに落ちたばかりの001(イワン)が、ゆりかごの中ですやすやと寝息を立てている。

「わしの古くからの友達のライヤ博士に頼まれてのう。彼の研究に003の能力がどうしても必要らしいのじゃ」
「イワンも夜の時間に入ったし、このところBG(ブラック・ゴースト)に関わる事件も起きていないみたいだし、ね」
「でも……」

 ジョーは直ぐにOKを出す事が出来なかった。
 勿論、自分に彼女の行動を制限する権利などないのは分かっている。
 ギルモア博士の友達なら信用できるだろうし、彼女の能力を欲する研究者の気持ちも理解できる。

(だけど…君は、自分の能力は嫌いだって言っていたじゃないか)

 フランソワーズは日常生活の中で、極力自分の能力を使わないようにしている。
 彼女にとっては『普通に生きる』ことが何よりの幸せだということを、ジョーは良く知っていた。それなのに何故……ギルモア博士の頼みだからといって、自分の能力を使う仕事をする気になったのだろうか。

「……私、自分の能力、嫌いよ」

 ジョーが何を考えているのかを見抜いて、フランソワーズはそっと呟く。

「だったら……」
「でも……この能力を必要としてくれる人が居るのなら……それが、戦う為じゃないのなら……役に立ちたいとも思っているの」
「ライヤ博士は動物学者じゃ。今は鳥類の渡りに関する研究をしておる。フランソワーズの力を得られれば、彼の研究に飛躍的な成果が齎されるじゃろう」
「ですが……フランソワーズ1人では危険過ぎませんか?」

 フランソワーズの気持ちは分かる。彼女が自分の能力と前向きに向き合えることは、喜ばしいことだ。
 だが、不安は拭えない。
 BGの目立った動きは無いとは言え、彼等が何もしていないということはあり得ないだろう。いつ災いが降り注ぐか分からない。
 自分達と同じサイボーグとはいえ、フランソワーズの戦う能力は低い。敵からの攻撃に対しての防御も『普通の人間』と差して変わらない。
 そんな彼女を1人で……自分の手の届かないところへ行かせるのは、とても危険なことではないだろうか。

「平気よ。向こう(ドイツ)でアルベルトと合流して、彼と一緒に行くから」
「004と?」

 明るいフランソワーズの言葉に、ジョーの中に今までとは違った不安が広がる。

 確かに…
 何かあった時、004(アルベルト)は彼女を守ってくれるだろう。
 004にはそれだけの能力が備わっているし、如何なる局面でも冷静に対処してくれる筈だ。

「そう、アルベルトと。だから心配はいらないわ」

 にっこりと微笑むフランソワーズ。
 今の彼女の様子から、彼女が004に絶対的な信頼感を抱いているのをジョーは感じた。
 いや、004だけでは無いだろう。彼女は仲間全員を信頼している。勿論、自分も彼等を信頼している。仲間なのだから。

 だが……彼女が抱いている想いが、それ以上の『特別』のものだとしたら。

(それじゃ……ここ最近の004との電話は、このことだったのか……)

 3日ほど前から、フランソワーズと004が国際電話で何やら親密に連絡を取り合っていた事を思い出す。
 004と電話で話すフランソワーズは、時々顔を赤らめながら、本当に楽しそうだった。

 ちくり。
 心の奥底がちくちく痛み、もやもやとした不快感がジョーを支配する。

 彼女を行かせたくない。

「だけど、往復の移動の時間もあるし……。何も、そんな急に……今夜出発しなくても。明日だったら、006か007にここを任せられるし」
「今夜発たなければ、ダメなの。無理言って頼んだんですもの、迷惑はかけられないわ」

 そう呟いてしまってから、フランソワーズは「あっ」と慌てて口元を指先で抑える。

「迷惑? え?」
「とにかく、飛行機もホテルも予約したし、アルベルトとも約束してるから……今夜発つわ」

 フランソワーズは懸命に言葉を繋ぐ。
 いつもなら真っ直ぐに自分を見つめる瞳が、何度もふっと逸らされる。
 彼女の明らかな動揺は、ジョーの不安を強くする一方だった。

「フランソワーズ……君は何か隠してるね」

 フランソワーズの表情が一瞬……本当に一瞬凍りついた。
 ジョーは確信する。……彼女の嘘を。

「何も隠してなんかいないわ」

 フランソワーズはジョーへと歩み寄り、その頬へと指先を滑り込ませ、しっかりと視線を合わせてから、にっこりと微笑む。

「もう、ジョーったら心配性なんだから。大丈夫、私は子供じゃないんだから」
「フランソワーズ……」

 子供じゃないから心配なんだよ。

 そう喉まで出かかった言葉を、ジョーは懸命に飲み込む。

 行かせたくない。

 しかし……それは自分の我侭だ。
 彼女を縛り付けてはいけない。
 ……でも、縛り付けられるのなら……
 いっそ、誰にも見つからないように閉じ込めてしまえば・・・・・・

(僕は……馬鹿だ)

「1週間したら、必ずここへ帰ってくるから……ね」

 こういう時に限って、彼女は姉のような口の聞き方をするのだ。
 これでは自分がただの我侭な子供のようじゃないか。

 ……・実際、その通りかも知れない。

 自分は彼女に置いて行かれるのが恐くて、ぐずって彼女を困らせているだけだ。
 ジョーは頬に触れている彼女の温かい手に自分の手を添え、彼女のぬくもりと肌の滑らかさを強く確認すると、無理に笑顔を作った。

「分かったよ。フランソワーズ」
「ジョー」
「アルベルトと一緒なら、心配ないね。行っておいでよ。こっちは僕と博士で大丈夫だから」

 懸命に押し出した言葉。
 本心(こころ)とは裏腹の……自分の心を自分で切り裂く言葉。

 「ありがとう。ジョー」

 フランソワーズは目を細め、花のように微笑んだ。



 


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祐浬 2002/4/25