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「1曲、踊っていただけませんか?」
「ごめんなさい。人を待っているので…」

 壁際に佇む自分に差し出された手。
 もう何人目になるかわからない"告白(誘い)"に、フランソワーズはそれまでと同じ言葉を繰り返す。

 某国大使館で催されているパーティー。
 当然、招待されているのは有名人や著名人ばかり。
 ある程度の地位を持つ上、某国に招かれるに値すると判断された彼らは、丁寧に断ればすぐに諦めてくれ、しつこく誘うことも、況してや騒ぎを起こすようなこともない。
 だからこそ、この単独での潜入調査が自分に任された(イワンの考えた作戦を、仲間たちが許可した)のだ。

 広いパーティー会場は、豪華な料理と酒、そして生演奏に彩られ、たくさんのカップルが楽しそうに踊っている。
 しかも、誰もが……客人ばかりではなく、演奏者や給仕をする者たちまでが中世ヨーロッパ調の服を纏っていて、まるで時間旅行(タイムスリップ)してしまったかのような錯覚を抱く。

(きっと…、昔はもっと華やかだったのよね…)

 母国フランス――貴族たちが政治と権力を握っていた頃は、もっと大規模で豪華絢爛な舞踏会が、毎夜のように開かれていたのだろう。
 後に訪れた混沌(歴史)を知っているから、その時代に生きてみたいとは思わない。

 でも……

(……羨ましい、かな)

 フランソワーズはなるべく遠ざけていた本音を認め、小さく苦笑する。

 こんな素敵な会場で、優雅な音楽に身を委ねて踊ることができたら、楽しいに決まっている。
 しかも、今自分が纏ってるのは、美しいシルエットの上質なドレス。踊ればふんわりとした裾が、綺麗に靡き広がるに違いない。
 それを試せないことは……ちょっと淋しかった。

 無論、例えミッション中ではなかったとしても、この場では1人では踊れず、パートナーが必要となる。
 仕事(バレエ)以外で、一緒に踊りたいと思うのは、1人だけ、だ。

 ―――ジョーと踊れたらイイのに…

(私ったら……何を考えて…)

 任務中なんだから、と自分を戒め、ひとつ息を零す。
 と、再び自分の前に誰かが立ち、遠慮がちに手が差し出された。

「踊って…いただけませんか?」
「ごめんなさい。私、疲れてしまって…」
「それは、残念」
「っっ!?」

 少し笑みを含んだワザとらしい溜息混じりの声に――聞き覚えのあるその声に、フランソワーズは弾かれたように、ばっと顔を上げ、自分の視界を塞ぐ彼を確認する。
 瞬間、悪戯気な表情で自分を見下ろす赤茶色の瞳と視線が合った。

「っ ジョ…っ!?」
「しっ」

 驚きのあまり大きな声で名前を叫びかけたが、唇に押し当てられた彼の長い指がそれを阻止する。

「っ////// ど、どうして?」
「どうしてって……、踊れない舞姫(プリマドンナ)をお迎えに、ね」
「え……?」

 彼らしくないセリフに、フランソワーズは戸惑い、眉を顰める。

「あ、グレートの変装じゃないよ。セリフは、グレートの受け売りだけどね」

 彼女が何を危惧したのかすぐにわかったジョーは、くすくすと笑いながら、あっさりと種明かしする。

「本当に……、ジョーなの? でも……仕事のはずじゃ…?」

 今日のミッションのことは、ジョーには報せていない。
 まだ黒だとは断言できない――疑惑の段階の潜入調査で、それほど危険な任務でもないため、F1ドライバーとしての大切な仕事で留守にしている彼には連絡しなかった。

「実は、仕事中」

 ジョーはそう言って憂鬱そうに首を竦めてみせる。

「仕事?」
「うん。無理矢理連れて来られて、さ。挨拶だけして、すぐに帰るつもりだったんだ。そうしたら、キミを見つけて……。で、博士に電話して確認した」

 華やかな社交場は、ジョーの最も苦手とする場所。
 できることなら断りたかったのだが、スポンサーの顔も立てなければならず、渋々このパーティーに参加したのだ。

 予定通り長居することなく、会場を後にしようとしたその帰り際―――行き交う人の切れ間から、ふと目に入った横顔。
 見間違えるはずがなかった。

 すぐに声を掛けなかったのは、彼女が"任務中"だと即座にわかったから。

 綺麗に着飾っていながら、目立たない場所に佇み、連れもなくたった1人。
 彼女も仕事(バレリーナ)として参加しているのなら、隣には彼女のマネージャーの由美の姿があるはずだし、関係者への挨拶回りで忙しくしているはず。
 そうでないということは、『003』として任務中でだということ。
 ならぱ、ミッションの妨げにはなってはいけないと、まずはギルモア博士に連絡し、一部始終を聞き出した。

「キミの今日の役目は終わりだよ。"彼"はここじゃなく、ジェットの張った罠にかかったそうなんだ。でも、怪しい者と接触した様子もないし、自宅に向かっているらしいから、今夜はもう動かないだろうってさ」
「そう…」

 任務から解放されたこと、そして、彼が本物のジョーであることを知り、フランソワーズはほっと安堵の息を吐く。

「――ということだから、もう遠慮することないよ」
「え?」
「踊りたいんだろ?」

 ジョーの確信を持って告げられた問いに、フランソワーズは目を見開く。
 それは……先程確かに自分が抱いた、淡い望み。

「でも……。こんなところで踊ったら……、その……私たちの関係が…」
「平気だよ。このパーティーに参加しているのはVIPな人たちばかりだから、誰もマスコミにリークするような真似はしないと思うよ」
「だけど……」
「パートナーが僕じゃ、不服かい?」
「そ、そんなこと…っ」

 ふるふると首を横に振ってから、フランソワーズはふと気がつき、おずおずと尋ねる。

「ジョー……、踊れるの?」
「一応、ね」

 ジョーは照れ臭そうにはにかみ、す、と彼女に手を差し出す。

「僕と…、踊って、くれるかな?」
「…もちろん」

 フランソワーズは嬉しそうに微笑むと、彼の手に自分の手を重ねる。
 すると、ぐいっとその手を引かれ、あっという間に彼の腕の中に閉じ込められてしまった。

「っ////////」

 こんなに大勢の人の前で、彼とこんなにも密着していることを認識し、フランソワーズは、かあぁぁっと頬を染める。
 そんな彼女を楽しげに見下ろしながら、ジョーは曲に合わせて最初のステップを踏んだ。

「あ……」

 彼にリードされるがまま、フランソワーズもステップを刻む。
 けれど、戸惑いと恥ずかしさ、そして嬉しさがごちゃ混ぜになり、飽和しかかって、音が遠く、上手く身体が動かない。
 それでも、懸命に彼に合わせて踊る。

(……どきどきする)

 何故だろう。
 初めて舞台に立ったときも、大きな舞台に主役として立ったときでも、こんなにどきどきはしなかった。
 舞台ではもっと薄い…身体の線がわかるような衣装を纏って、相手役の男性と触れ合うこともある。だけど、こんなに……触れ合っているところから熱を帯び、その熱がみるみる身体の中心まで浸透し、融けそうになったりはしない。

 本当に熱くて…、でも何故かそれが心地良くて…、まるで足が地に付いていないかのようにふわふわして……

「あっ」

 1曲踊り終わったと同時に、つと足を滑らせ体勢を崩してしまう。
 が、しっかりとジョーに支えられていたため、僅かに身体が傾いただけで済んだ。

「大丈夫かい?」
「ええ」
「疲れたなら、少し休もうか?」
「ううん。大丈夫」

 フランソワーズは慌てて顔を上げ――――ものの見事に真っ赤に染まる。

「っ////////」

 少し陰のある甘い顔立ちの彼は、普段でも十二分にカッコイイ。それなのに、その容姿を貴族風の衣装が更に引き立てていて、卑怯なほど素敵だ。

「顔が赤い、けど?」
「そ、それは……、あの……なんだか緊張しちゃって…」

 フランソワーズは、ばっと彼から目を背け、俯き、あたふたと説明する。
 顔も身体も燃えるように熱い。

「緊張?」
「だって……、こんなふうに、ジョーと踊れるなんて……思ってなかった、から…」
「それだけ?」
「それだけって……? ―――っ」

 ちょっと不満そうな彼の声に、上目遣いでその真意を伺おうとする。
 が、それより早く彼の長い指が顎にかかり、くいっと強引に顔を上げさせられた。

 吐息がかかる距離で自分を真っ直ぐに見つめる、魅惑的な瞳。
 その瞳と口元に、悪戯気な色が帯びる。





「もしかして……見惚れてる?」
「え…? ……ぁ///」
「それとも……」

 ジョーは彼女の視線を自分に固定させたまま、す、と彼女の耳元に唇を寄せると、途切れた言葉の続きを彼女の耳へと流し込む。

「感じた?」
「〜〜〜〜〜〜〜っっっっ//////// ば、ばかっっ」

 トマトのように真っ赤になりながら、フランソワーズは彼の胸へ拳を落とす。
 が、その前にあっさり彼の手に受け止められてしまった。

「まだ時間はあるし、冷たい飲み物、もらってくるよ」
「あ……」

 くすくす笑いながら自分から遠ざかっていく彼に、フランソワーズは反射的に縋り、引き止める。

「フランソワーズ?」
「……行かないで」

 驚き、訝しそうに自分の名を呼ぶ彼。
 フランソワーズは俯いたまま、彼の視線を痛いほどに感じながら、懸命に想いを声に変える。

「え?」
「私は大丈夫。だから……、お願い、もう少しだけ……踊らせて」










「…………ジョー…?」
「……?」

 微かに自分の名を呼ぶ声が聴こえ、ジョーはぴたりと停止すると、視線だけで自分のベッドを窺う。
 そこには、ベッドを抜け出す(シャワーを浴びる)前と同じ体勢の……毛布にすっぽりと包まれ眠るフランソワーズの姿。

(寝言?)

 彼女が目醒めたのではなく、夢魔に囚われたままであることを確認し、ジョーは自然と優しい微笑みを浮かべる。

 つい先刻まで彼女の躯の隅々にまで触れ、味わい、ひとつに融け合い、揺すぶり、欲望のままに幾度も白濁を注ぎ込んだ。
 その熱と芳香が、まだ部屋に漂っている。
 あれほど無理をさせたのだ。まだ当分は夢の中だろうし、目覚めたとしても、今日は満足に動けないだろう。

(僕も、一眠りしようかな)

 その表情を崩すことなく、ジョーは途中で中断していた(髪を拭く)作業を再開する。
 このままちゃんと髪を乾かさず寝てしまったことが彼女に知れれば、確実に「風邪ひくでしょうっ」と叱られること間違いなしなのだが、幸せそうに眠る彼女を起こしたくなくて、ジョーは即座にドライヤーを使うことを諦める。

(まぁ…、もう夏だし、風邪ひくことはないだろうけど)

 季節は初夏。いくら夜はまだ肌寒いとはいえ、真冬と違って髪を乾かさなかったくらいで体調を崩すことはおそらくない。
 いや、それ以前に彼女は一糸纏わぬ姿のままだし、自分も下しか履いておらず、風邪をひいてしまったとすれば、原因はそっちだろう。

(いずれにしても、彼女を抱いて眠ればあたたかいし…)

 自分も彼女も風邪をひくことはない―――と、都合の良いように結論付け、ジョーは上(シャツ)を着ることも、彼女に服を着せることも放棄し、髪の水分を粗方拭き取ると、タオルを無造作に椅子の背に掛けて眠り姫の元に向かった。

(どんな夢、見てるんだろう、ね)

 自分の名を呼んだということは、夢の中にも自分が居るのだろう。しかも、こんなにも穏やかで幸せそうな表情をしているのだから、きっと楽しい夢に違いない。

(今は……、邪魔しないであげるよ)

 ジョーは彼女の隣(定位置)に戻るため、彼女を覆う毛布をそっと捲る。
 何も身に纏っていない陶器のような白い肌にいくつも浮かぶ、紅い痣。それがすべて自分の痕跡であることが嬉しく、そして酷く安堵した。

(ずっと……消えなければイイのに)

 そう思うのも本音。
 でも、真っ白な肌をこうして穢すことが楽しいのも、偽らざる本音だった。

 ジョーは自分の尽きぬ欲望を自覚し苦く笑むと、彼女の隣に潜り込み、すっかり力の抜け落ちている彼女を腕に閉じ込める。
 幾分冷えたものの、まだ少し汗ばんだままの彼女の肌。その上質な肌に触れるのが心地良くて、ジョーは"彼女を冷やさないため"という口実のもと、くびれた細い腰を引き寄せ、自分へと密着させる。

「……ん」

 途端に、フランソワーズはぴく、と身体を震わせ、うっすらと瞼を押し上げる。

「あ、ごめん。起こしちゃったかい?」
「…………」
「疲れてるだろ? まだ寝ててイイよ」
「……ううん。……だい、じょ…ぶ」

 長い睫毛の僅かな隙間から潤んだ碧い瞳を覗かせながら、舌足らずな口調で答えるフランソワーズ。
 そのあまりの可愛らしさに、ジョーは思わず息を呑む。
 しかも、それに追い打ちをかけるように、そろっと縋るように身を寄せられ…―――

「……行かないで」
「え?」
「私は大丈夫。…………だから……、お願い、もう少しだけ……踊らせて」
「っっ!!??」

 彼女が夢魔に囚われたままであることは百も承知だ。けれど、この状況でそんな言葉を……一撃必殺の大技を喰らったら、"大人しく寝る"なんて不可能に決まっている。

 ジョーはせっかくシャワーでクールダウンした己の躯に、再び火が灯るのを自覚し、やれやれと自嘲する。

「……どれだけ、僕を煽れば気が済むんだい?」
「…………」

 その問いに彼女からの返事はない。
 碧い瞳は融けるように閉じられた瞼に隠され、零れる吐息は夢色に堕ちている。

「……お望みとあらば」

 彼女を奪おうとする夢魔の手を断ち切るように、ジョーは彼女の顎に指を掛けて自分へと固定すると、少し開かれた艶やかな唇を素早く塞ぐ。

 初めは柔らかさを確かめるように…、次に彼女の温度と湿度を味わい、そして、吐息をも奪うように深く侵入し、凌辱する。

「っ ……っん ……んんっ」

 呼吸もままならず、フランソワーズは夢現のまま懸命に彼の胸を押し、少しだけ顔を背ける。

「……ゃ、…はぁ……、こんな、ところじゃ……だめ」
「………………。」

 彼女の更なる思い掛けないセリフに、ジョーは目を見開き、そして、次の瞬間に破顔する。

 ここは研究所の自分の部屋。防音設備もしっかりしているし、カーテンも閉まっている。もちろん、扉にはしっかり鍵がかかっていて―――これ以上ないというほど"安全"な場所だ。

 彼女が寝ぼけているのはわかってはいるが…―――

「それなら、どんな場所でシたい?」
「……え?」
「キミが望むなら、どんな場所でも僕は構わないけど?」
「え……??? あ……、ええと……」

 やっと夢の鎖から解放されたフランソワーズは、滅多に見ない彼の心底楽しそうな……必死に笑みを噛み殺そうとして肩を震わせる姿と、意味深な言葉に戸惑い、まったく状況が把握できないまま、きょろきょろと周囲を見回す。

「……ぁ、…………夢、だったの?」
「みたいだね」
「…私、何か……言った?」
「まあね」
「何て?」
「教えない」

 頬を羞恥に染めながら不安げに自分を見つめるフランソワーズに、ジョーはきっぱり言い切ると、何とか笑いを収め、もう一度彼女の顎に指を掛ける。

「ジョー…?」

 ミステリアスなほど妖艶な彼の黒い微笑みに―――夢と同じ表情の彼に魅了され、フランソワーズは憑りつかれたように彼の赤みががった茶色い瞳を見つめる。

「どんな夢を見ていたのか、後で聞かせて、よ」
「後で?」
「そう、後で。まずは、キミの望みを叶えてあげなくちゃね」





― Fin ―



この作品は『93*50th Jubilation!』(2014年7月19日〜8月19日)に
掲載していただいたものです♪






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