Light Air





「ジョー?」

 フランソワーズは躊躇いつつ、そっと彼の部屋の……閉ざされたままの扉に手をかける。

 いきなり、ノックもなしに他人の部屋の扉を開くような非常識な真似をフランソワーズがする筈も無く…――
 それは、既に何度もノックし、何度も部屋の主の名を呼んだ末の……最終手段だった。

(お部屋にいないのかしら?)

 中からの返答が無いその理由(ワケ)で、最も高い可能性が、主(ジョー)の不在。
 けれど、彼の愛車はガレージに在ったし、1階には……玄関から、此処(2階のジョーの部屋)までに彼の姿も気配も無かった。
 つまり、彼が自室に居ないのなら、ドルフィン号のある地下へ行ったか、徒歩で何処か出かけたことになるが……

(でも……待ってるって言ってたし…)

 ジョー本人が、確かにそう言ったのだ。

 『部屋(研究所)で待ってる』と―――。

 この大切な日だけは彼とゆっくり過ごしたくて、フランソワーズはもうずっと以前(まえ)からスケジュールの調整をしてきた。
 本来であれば、今日と明日は完全オフで、ちょうど(グランプリの合間をぬって)日本に戻って来るジョーを、飛行場まで迎えに行く筈(予定)だった。
 しかし、昨日になって急遽、どうしてもフランソワーズ本人が立ち会わなければならない用事(仕事)が入ってしまい……
 昨夜、ジョーへ電話でそう説明し、「ごめんなさい」と謝罪すると、彼は優しく「気にすること無いよ。じゃあ、部屋(研究所)で待っているから」と、答えたのだ。

 だから…――
 ジョーが待っているから…、
 研究所に到着(帰宅)したことを報せる、彼からの短いメールもあったから…、
 フランソワーズは出来る限り早く仕事を片付け、大急ぎで研究所に戻って来た。

 それなのに…――

 フランソワーズはゆっくりとノブを回す。
 鍵のかかっていない扉は、意図も簡単に開いた。

「ジョー?」

 もう一度彼の名を呼び、部屋の中を見回し、彼の姿を捜す。

 テーブルの上に無造作に置かれたボストンバッグと、ヘルメットケース。
 脱ぎ捨てられた革のジャンバー。
 そして…――

「あ……」

 フランソワーズは、はっと息を呑む。
 捜し人はあっさりと見つかった―――ベッド、で。

「ジョー…?」

 フランソワーズは静かに扉を閉めると、慌てて彼の傍に歩み寄る。
 ノック音にも、こうして自分が部屋に入ったことにも全く気付かず、仰向けで身動ぎもせず横たわっている彼の姿に、何処か具合が悪いのでは、と不安が過ぎる。

 しかし、近くで覗き込んだ彼の表情(かお)は穏やかで、顔色も悪くなく……微かに洩れ落ちている寝息も、規則正しかった。
 念のために、と、フランソワーズは、ジョーの長めの前髪を指先で払うようにして額に忍び込ませ、掌で体温を確認する。

 熱っぽさは感じない。

(良かった……)

 彼がただ眠りに堕ちているだけだと知り、フランソワーズは安堵の溜息を吐く。
 それから、ちょっと拗ねた目で、すやすやと眠る彼を見つめた。

(もうっ 折角早く帰って来たのに…)

 彼とたくさん話がしたくて…
 彼と『ただいま』のキスを交わしたくて…
 彼の温かなぬくもりに包まれたくて…
 そして、1年に一度しか言えない大切な言葉を直接伝えたくて…
 息を切らすほど急いで帰って来たのに―――。

「ジョーの…………ばか」

 そう批難したものの、フランソワーズには彼の眠りを邪魔しようという気は全く起こらなかった。
 疲れて眠っている彼を起こすなんて可哀想だし…、
 こんなにも無防備で、幸せそうな寝顔を見せられたら、起こすに起こせない。

(子供みたいなんだから…)

 フランソワーズは、もう一度、散乱した部屋を見回し、くすっと笑む。
 いつもはそんなに散らかしたりしない彼が、鞄も上着も時計も鍵も無造作に放り出したままだなんて、余程疲れていたのだろう。
 無理も無い。テスト走行を終え、強行スケジュールで……どうしても、"今日"は一緒に過ごしたいという自分の我侭を叶えるために、帰って来てくれたのだから。

(でも……まだ分かってないのかしら?)

 自分がどうして"今日"お休みを確保したのか…
 どうして、"今日"を一緒に過ごしたかったのか…
 その本当の理由に、ジョーは気付いていないようだった。

 フランソワーズの脳裏に、数日前に彼と電話で交わした言葉が蘇る。



 ―――――

「ねぇ、ジョー……私、ね。16、17日とお休みなんだけど、逢えない?」
「次のグランプリまではちょっと時間(間)があるし、丁度帰ろうと思っていたんだ。でも、日本に戻るのは17日の朝になるかな…」
「16日には……帰って来れない?」
「ん〜〜〜〜。何とかなる、かな…」
「無理なら、私がジョーのトコロに行くわ」
「えっ フランソワーズがココに?」
「迷惑?」
「迷惑なんてこと、あるわけないじゃないか…。でも、17日には日本に帰れるんだし、そんな無茶しなくても…。君だって公演の準備で忙しいんだろ…?」
「でも……」
「フランソワーズ? 何かあったの?」
「何も無いわ…」
「それじゃ……何か理由があるのかい?」
「理由は…………早くジョーに逢いたいから、じゃ、だめ?」
「…………/// 分かった。16日に帰るようにするよ」

 ―――――



(困らせてしまって、ごめんなさい)

 普段なら、こんな我侭は言わない。
 彼の仕事を…夢を、邪魔したりしない。
 けれど、"今日"だけは、どうしても…――

 フランソワーズは彼のジャケットを拾い上げ、ハンガーにかける。それから、自分も上着を脱ぎ、彼のジャケットの隣に並べた。
 寄り添い合って揺れる服と服が気恥ずかしくて、フランソワーズはほんのりと頬を染める。

 彼が傍に居る、それだけで……何故こんなにも満ち足りた気持ちになれるのだろう。
 何故こんなにも、どきどきするのだろうか。
 心も身体も熱く焦がれてしまうのだろうか。

(ジョー……)

 フランソワーズは、そうっと…彼を起こさないよう注意しながら、ベッドの端に座る。
 そして、彼が深い眠りに堕ちたままであるのを確めてから、ゆっくりと上半身を傾け、彼の逞しい腕へ…肩へと縋り付くように寄り添う。

 直接伝わってくる、彼の体温と鼓動。

「ジョー……おかえりなさい」

「ただいま♪」

「っっっ!?」

 小さく呟いた言葉に……返事など返って来ない筈の言葉に、ヤケにしっかりと返事が返って来、フランソワーズは、びくんっと大きく身体を震わせると、ばっと身体を起そうとする。
 ……が、彼女が身体を動かす前に、彼の両腕が彼女をしっかり捕らえ、それを許さなかった。

「っ//////」

 フランソワーズは自分の置かれた(陥れられた)状況を察すると、拘束された腕の中で恐る恐る顔を上げる。

 そこにあったのは―――赤茶色の悪戯っ子のような瞳。

「ひっ、酷いわ! 寝たふりしていたのねっ」
「いや、本当に寝てたよ。今、目が覚めたトコ」

 フランソワーズの恨めしげな視線を受けても、ジョーは少しも悪びれる事無くあっさりとそう告げ、ふわぁっと大きな欠伸を零す。

「今って……いつ?」
「え〜〜〜〜っと、『ジョーのばか』は聴こえた」
「っ!?」

 更に、しれっと白状するジョーに、フランソワーズは更に顔を真っ赤に染める。

「で……何で『ばか』なのさ?」
「それは……だって…」
「だって?」

 ジョーは、拗ねた彼女の言葉を鸚鵡返しして、途切れた言葉の続きを促す。

「早く……言いたかったのに、ジョーったら寝ているんだもの…」
「え? 言いたかった??」
「ジョーったら、やっぱり……」

 きょとん、とするジョーに、フランソワーズは自分が危惧していた通りだと悟る。

 彼は……きれいさっぱり忘れている、のだ。

 フランソワーズは小さく深呼吸すると、真っ直ぐに……間近にある彼の瞳を見つめる。

「ジョー、お誕生日おめでとう」

「えっ? あ……;;;」

 彼女の心からの祝福に、ジョーはやっと"今日"が自分の誕生日だったことを思い出す。

「忘れていたんでしょう?」
「……うん。すっかり」

 ジョーは正直に暴露すると、バツが悪そうに苦笑する。

 子供の頃からずっと、自分の誕生日を祝うなんて気持ちにはなれずにいた。
 今日が自分の本当の誕生日がどうかも分からない、そう疑ってきた。
 親に捨てられたその時(夜)、傍らにあった1枚のメモ。そこに名前と生年月日が記されていたらしいが、それが真実だと裏付けるものは何も無い。
 偽りの生年月日が書かれていた可能性だってある。
 ジョー自身、そのメモを一度も目にしたことが無い為……メモに誕生日など書かれていなかったかも、と、そもそもそんなメモ自体なかったかも知れないと、疑っていたことすらあった。

 誕生日は苦い記憶を蘇らせ、孤児という現実を嫌というほどに思い知らされる……残酷な日。
 だから、自分には誕生日など無いものだと思うことにし、忘れることにした。

 でも……
 フランソワーズと出逢い、彼女と共に歩むようになって……
 彼女が毎年、自分の誕生日を祝ってくれるのを、いつの間にか、楽しみにするようなっていたのだが……

 長年に渡り培われてきた捻た考え(習慣)が、完全に払拭出来るはずも無く…―――

「そうか……今日、だったんだ…」
「ジョー…」

 しみじみと…自分に言い聞かせるように呟くジョーを、フランソワーズは心配げに見上げる。

「あっ もしかして……だから、今日逢いたいって…」

 やっと、フランソワーズの珍しくも可愛いおねだりのその理由(ワケ)に気付いたジョーは、自分を捉える透き通った碧い瞳を覗き込む。

「……迷惑、だった?」
「まさか! すごく……嬉しい、よ」
「ホントに?」

 じ〜〜〜っと強い目で見つめられて、ジョーは照れながらも、「うん」と小さく頷き、彼女の細い身体をしっかりと包み直す。
 フランソワーズはそれに逆らう事無く、彼の胸に顔を埋めた。

「今日は、私がちゃんとお祝いしてあげる」
「お祝い?」
「夕ゴハン、ジョーの好きなもの、たくさん作ってあげるわね」

 それは、考えた末の……彼へのプレゼントだった。

 毎年、彼の誕生日に何を贈ったらイイのか、何をプレゼントしたら喜んでくれるのか、フランソワーズは悩み、迷ってきた。
 それと言うのも、ジョー本人に「何か欲しいもの、ある?」と訊いても、彼の答えはいつも同じ「何もいらないよ」で全く参考にならないばかりか、下手をすると「フランソワーズがイイ」とか「1日中ずっと…」とか…、とんでもナイ事をリクエストされる危険があり……
 だから、今年は……研究所で一緒に過ごせるのなら、手料理をプレゼントしようと決め、昨日のうちから買い物や下拵えと、準備を進めてきた。

「それは、楽しみだな」

 彼女の自分への真っ直ぐな想いが嬉しくて、ジョーは目を細め、微笑む。

「だから、それまではゆっくりしててね」
「僕も手伝うよ」
「嬉しいけど、今日はだめ」
「どうして?」
「だって……ジョー、いつも…邪魔するもの」
「邪魔なんてした覚えないけど?」
「うそ。邪魔するじゃない。私の事、抱き締めたり……その…///」
「それは……フランソワーズが可愛くて美味しそうだから仕方ないよ」
「っ//////」

 さも当然とばかりにさらりと言い切るジョーを、フランソワーズは真っ赤になりながら、じ〜〜〜〜ぃっと上目遣いに見据える。

「……私のコト、からかっているんでしょう?」
「からかってなんかいないよ」
「とにかくっ……今日は、絶対に……
そういうコト//////…しないで」
「ん〜〜〜……約束はできないなぁ」
「じゃあ、ジョーはキッチンには出入り禁止」
「それは……ちょっと横暴過ぎやしないかい?」
「しません」

 好きなおもちゃを取り上げられそうになっている子供のような…拗ねた目で、批難めくジョーに、フランソワーズは容赦なくぴしゃりと言い放つ。

 彼女の決意が固いことを思い知り、ジョーは、やれやれ、とこれ見よがしな溜息を吐く。

 折角……久しぶりに彼女と逢えたのだ。
 ジョーとしても、出来る限り……1分、1秒でも長く彼女と一緒に居たい。
 彼女との時間を大切にしたい。

 ……が、
 暫くの間、彼女に触れることすら出来ずにいた自分が、彼女と2人きりのこの状況で"何もしない"と約束できる筈も無い。
 今だって、辛うじて理性を保っているのに…――

「…………邪魔しないよう最大限の努力はする、じゃ、だめかい?」
「何だか……悪い政治家みたい」

 考えた末での…、彼なりの譲歩の言葉を聞き、フランソワーズは破顔すると、くすくすくす、と肩を震わせて笑う。

「ヒドイなぁ〜」
「ごめんなさい。でも……だって…」

 剥れるジョーに一応謝りつつも、フランソワーズは笑いを静める事が出来ず、楽しそうに笑い続ける。

「………。」

 そんな彼女の穏やかで幸せそうな笑顔を見せ付けられてしまっては、もう怒る気にも拗ねる気にもならず…
 いつの間にか、ジョーも優しい笑顔になる。



「仕方ない、から………それで妥協してあげるわ」
「それは、どうも」

 ひとしきり笑ってからの彼女の許しに、ジョーは一先ず胸を撫で下ろす。

「それじゃ、一緒にキッチンへ行きましょう」
「夕ゴハンの支度には、未だ早いんじゃない?」
「早くないわ。やることはたくさんあるもの」
「2人でやるから大丈夫だよ」
「だめ、よ。放して」

 一向に自分を解放しようとしないジョーに、フランソワーズはそう命じ、彼の胸を押して身体を起そうとする。

 しかし、彼の腕の力は強くなるばかりで……
 その彼の腕力に、フランソワーズが抗える筈も無く……

「邪魔しないって約束したばかりじゃない…」
「それは"キッチンで"だろ。ココはキッチンじゃないから、約束は無効だよ」
「もうっ ジョーったら、ずるいんだからっ」

 ぷぅっと頬を膨らませるフランソワーズ。
 そんな彼女をあやすように、ジョーは彼女の柔らかで滑らかな亜麻色の髪を指で梳く。

「ジョー…?///」
「……もう少しだけ」
「もう…少し?」
「うん……」

 ジョーはフランソワーズの長い髪を指に絡めたまま、彼女の顎に掛け、強引且つ優しく……自分へと導く。

 微かに触れ合う……唇と唇。

「っ//////」

 不意打ちのキスに、フランソワーズはかあぁぁっと頬を朱に染め、どきまぎと彼を見返すことしか出来なかった。

 ジョーは、ふ、と笑むと、今度はゆっくりと…焦らすように、2人の距離を縮めていく。

「ただいまのキスが終わってから、でも、遅くないだろ?」
「ジョー……///」



Fin





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祐浬 2008/5/16