Everlasting



 ふわり……

 風に舞い、目の前を通り過ぎて行った白い小さな破片。

(雪?)

 フランソワーズは反射的に、その行方を追う。
 降ろし立てのパンプスに寄り添うようにひらひらと舞い落ちるそれは、雪では無く花弁だった。
 ほんのりとピンク色に染まった、小さな小さな花弁。

(桜?)

 見覚えのある花弁の形だった。
 辺りを見回し、この花弁を育んだ樹を探したが、それらしい樹は無い。
 いや、1本、ある事はある。フェンスの向こう側……小さな教会の片隅に聳える、立派な桜の樹。
 しかし、ゆったりと伸ばされた枝に付いているその蕾はどれも未だ固く、1つとして花は開いてはいない。

 このところの暖かさで少しずつ膨らんできていた蕾も、今日の凍て付く風の影響で再び小さく、固くなってしまったようにさえ感じる。
 それでも、季節は……確実に冬から春へと移り変わってゆく。
 ……今日のように、時折時間の流れを逆行しながら…。
 少しずつ、少しずつ……。

(何処から来たのかしら……)

 フランソワーズは、短いスカートの裾を気にしながら優雅な動きでしゃがみ込むと、誘われるようにその花弁に指を伸ばした。

 整えられた白くて細い指先が、小さな花弁に触れる。
 その刹那……

 カッ!!!

「っ!?」

 足元から爆発の如く放たれた目も眩むほどの白光に、フランソワーズは逃げる事も叫び声を上げる事も許されず、一瞬のうちに呑み込まれた。





 ―――フランソワーズ―――

 心に染み入る、懐かしい声。
 低過ぎない、独特の抑揚の、優しい……大好きな声。
 決して忘れる事の無い、
 そして……もう二度と聴く事の叶わぬ声。

 ―――お帰り、フランソワーズ―――





 暖かな陽射しと柔らかな風を頬に感じ、フランソワーズは閉じていた瞼をゆるゆると開く。
 柔らかな色彩の光の洪水に目を細めながら、徐々に辺りの景色へとピントを合わせていく。
 街のざわめき。その中で一番大きく耳に届いて来たのは、幼い子供達の歓声だった。

「え?」

(私……眠っていた?)

 先ずは、自分自身を確かめる。
 拘束されている訳でも無いし、身体の何処にも痛みは無い。
 着ていた洋服も着乱れる事無く、そのままだ。汚れてもいない。

 爽やかな目覚め。
 薬などの人為的且つ策略的な眠りに落とされていた訳でも無さそうだった。

(私、どうしたの? ここは?)

 座っているのは、小さな公園の片隅に置かれた木製のベンチ。
 辺りには無邪気に駆け回る幼い子供達の姿と、それを微笑ましげに見守っている母親達。そして、散歩を楽しむ老人や、別のベンチには寄り添うようにして座り語り合っている男女。
 特に妙なところは無い筈なのに……フランソワーズには何かが引っ掛かった。

 …………何かが、違う。

(落ち着いて……良く考えなきゃ)

 ここは何処だろうか。
 自分はいつの間にこの場所へと来たのだろうか。
 どうして、こんな所で眠っていたのだろうか。

 パニックに陥りそうになる自分を懸命に落ち着かせて、フランソワーズは自分が眠りに落ちる以前の記憶を辿る。
 街へ買い物に行く途中、目前を舞い落ちる桜の花弁に脚を止め、その花弁を拾い上げようとした事は覚えている。

(それで……確か…)

 指先が花弁に触れた途端、足元から放たれた強烈な光。
 自分はそれに呑み込まれ、意識を失った。
 それ以降の記憶は全く残っていない。

(爆発?)

 あの瞬間(とき)、何かが爆発したのだろうか……。

 いや、それは違う。
 爆発であるなら、自分は逃れられず、まともに巻き込まれた筈。
 幾らサイボーグであっても、掠り傷ひとつ無いなんてあり得ない。

(それじゃ……何?)

 あの光は幻だったのだろうか。
 貧血を起こしてあの場所に倒れ、誰かが此処に運んでくれたのだろうか?
 ―― 誰が?
 それとも……無意識のうちに此処まで辿り着き、自らこのベンチで身体を休めたのだろうか?

 ……そもそも、此処は何処なのだろう?
 教会の近くに、こんな公園があっただろうか。

 フランソワーズはもう一度注意深く辺りを見回し、観察する。
 公園の周りに建ち並ぶ家は、どれもが味わいのある古き欧州調の建物。フランソワーズにとっては懐かしさ溢れる街並みだった。

(日本にこんな所があるなんて……何だか懐かしい感じが……え?)

 家々を一軒ずつ観賞していたフランソワーズは、角に建つクリーム色の壁のパン屋を捉えると愕然とする。
 見覚えがあった。

 時間の闇に沈んでいた思い出が、堰を切ったように一気に湧き出す。
 パン屋だけでは無い。道端に建つ外灯も、街路樹も、そしてこの公園も……全てがフランソワーズの心の奥底にしまい込んでいた景色に、ぴったりと重なった。
 同時に、自分が何に対して違和感を抱いていたのかも分かった。
 公園内の人々は……何処をどう見ても、日本人では無い。

「そ、そんな……こんな事って……」

 がくがくと身体が震える。
 信じられる筈が無い。
 だが……間違いようも無い。
 
 ここは―――自分の生まれ育った街。

(どういうこと? 私、瞬間移動してしまったの?)

『イワン?』

 咄嗟に体内無線で001へと呼びかける。
 もしも、今自分の居る場所が正真正銘のパリであるなら、日本に居た自分を一瞬で移動させられるのは、仲間内では彼だけだ。
 しかし……幾ら呼んでも、001から返事が返って来ることは無かった。

『ジョー!? 皆っ!!』

 無線回線をオープンにして、全員へと助けを求める。
 だが、誰からも返答は無い。

 距離があり過ぎて届かないのだろう。
 それは……此処が、少なくとも自分が意識を失った教会の近くでは無く、研究所から遠く離れた場所である証でもあった。

(お、落ち着いて……とにかく、ジョーに連絡しなきゃ)

 無線は通じなくても、携帯電話なら通じるだろう。
 フランソワーズは鞄の中から携帯電話を取り出し、ジョーの携帯電話へダイヤルする。

 …ツ、ツ―――――

 虚しく響く音。
 番号は間違ってはいない。
 なのに、何度繰り返しても繋がらない。
 フランソワーズは縺れる指で、研究所や他のメンバー達へと次々とダイヤルする。
 しかし、結果は全て同じだった。
 繋がらない。
 コールさえしない。

(え? ……圏外?)

 フランソワーズは、携帯電話の小さな画面の隅の表示に気付く。
 それは、ここが携帯電話の使用可能なエリア外であるという表示だった。
 フランソワーズが持っている携帯電話は、ギルモア博士と001が改造を施した特別なものだった。地下深くにでも潜らない限り、世界中の何処からでも通話出来る…筈。
 こんな街中(地表)で『圏外』になるなんて、考えられない。

(……どういうこと?)

 気が変になりそうだった。
 無線はおろか、携帯電話すら使用出来ない。
 何1つ、彼等へと繋がらない。

「お嬢さん、大丈夫ですか? お顔が真っ青ですよ」
「え?」

 フランソワーズは弾かれたように顔を上げる。
 目の前に立っていたのは、深い皺の刻まれた優しそうな老人。
 自分に問いかけられたその言葉は、懐かしい母国(フランス)語だった。

「あのっ、ここは…パリ、ですか?」
「え? ……ええ。勿論、パリですよ」

 フランソワーズの唐突で不可思議な問いに老人は一瞬驚いたものの、紳士的にきちんと答える。

(やっぱり……ここは…パリなんだわ)

 フランソワーズは現実を認識し、更に途方に暮れる。
 ここがパリであり、001やジョー達に連絡が取れないとすると、日本への帰途手段は民間航空機か船を頼らなくてはならない。そのどちらを選ぶにしても、パスポートは必要不可欠だ。
 しかし、街へ日用品の買い物へ行くつもりだったフランソワーズは、パスポートどころか必要最低限の物しか持っていなかった。

(どうしよう……パリには、知り合いなんて居ないし……)

 昔の知り合いや肉親は、捜せば見つかるかもしれない。だが、彼等に頼る事は出来ない。
 時間を飛び越えてしまった自分は……あの時と何1つ変わらない姿の自分は、彼等に逢う事すら許されない。

「お嬢さんは、パリの街は初めてですか?」
「え?」
「観光ですか? それともパリに何方かお知り合いでもいらっしゃるのかな?」
「い、いえ……。観光です」

 心配し、親しげに話しかけてくる老人に、フランソワーズは心の中で謝罪しつつ、嘘の答えを返す。
 僅かな危険性でも避けておきたかった。

「そうですか、観光ですか。パリは美しいでしょう?」
「ええ」
「この美しい街並みが戦火で失われずに済んで、本当に良かった。私はこれでも陸軍出身でね。もう30年も前の話になるが……」
「30年?」

 昔話を始めた老人からさらりと語られた言葉に、フランソワーズはふと疑問を抱く。
 戦争が終わってからは、もう60年近くの歳月が過ぎようとしている筈。
 フランソワーズは恐る恐る問う。

「お爺さん、今……何年なのか教えて下さいませんか?」
「? 1974年ですが……」
「!?」

 老人が嘘を言っているようには見えなかった。第一、彼が今日ここで初めて会った自分に、そんな直ぐに見破られる嘘をつく理由が無い。
 だとすれば、ここは『1974年のパリ』という事になる。
 そして、そう考えると、全ての辻褄が合った。
 無線が通じない理由も……携帯電話が何処にも繋がらない原因も…。

(……時間旅行(タイムトラベル)? それとも、同調飛躍(シンクロワープ)?)

 飛び越えてしまったのは距離(場所)だけじゃ無い。
 時間も、だ。

(誰が……こんなこと……)

 誰が何の目的で自分を移動させたのだろうか。
 001は時間を越える能力は持ってはいないし、同調飛躍の超能力(ちから)を持っていた者達は自分達に未来を託し消えてしまった。
 勿論、時間を越える能力を持つ者が彼等だけとは限らないが……。

「それがどうかしましたか?」
「いいえ。どうもしません。ありがとう」

 フランソワーズはベンチから立ち上がると、老人に丁寧にお礼を告げ、その場から逃げるように駆け出した。

 自分が何故この時代に飛ばされたのかは分からない。
 もしかしたら、敵の策略に落ちたのかも知れない。
 だとすれば、自分は二度と元の世界には戻れないだろう。
 けれど……そんな不安を打ち消してしまうくらいの刹那的な衝動が、フランソワーズをある場所へと向かわせた。

(兄さん!)

 ここが本当に1974年のパリであるなら……自分がBGの魔の手に落ちてから、10年ほどしか経っていない。
 たった10年の未来(時間)なら、今のこの姿でも兄に逢う事が許されるのではないだろうか。
 2001年の聖夜には遠くから見つめる事しか許されなかったあの部屋に、今ならノックして『ただいま』と言う事が可能なのではないだろうか。
 ―――未だ、間に合うかも知れない。

 良く知っている街並み。
 迷子になる筈も無かった。
 幾つかの角を曲がり、細い路地裏を抜けると、フランソワーズの目に懐かしい建物が飛び込んで来る。
 自分達が暮らしていた部屋の窓が大きく開かれ、見慣れたカーテンが風に揺れていた。

「あ……」

 フランソワーズは懐かしさと切なさで胸がいっぱいになり、思わず立ち止まる。

(未だ……兄さんはあの部屋で暮らしているんだわ。あそこに……兄さんが……居る)

 逢いたくて逢いたくて……でも、二度と逢わないと誓った大切な…、唯一の肉親が、あの部屋の中に居る。
 もう直ぐ逢える。

 再び駆け出そうとした瞬間、窓辺に人影が映った。
 フランソワーズは咄嗟に物陰に身を隠す。

(馬鹿ね……隠れる事無いのに)

 それは、昔の知り合いに見つからないようにと常に気を遣っていた影響(名残)であり、反射的な行動だった。
 フランソワーズは自分自身の滑稽さに苦笑し、物陰からこっそりと人影が誰であるか盗み見る。
 揺れるカーテンの隙間から姿を現したのは……兄・ジャンでは無く、栗色の長い髪をひとつに束ねた優しそうな女性だった。

『風が強くなってきたから、窓、閉めるわね』

 強化された耳が捉えた、澄んだメゾソプラノの響き。

『ああ。ありがとう。マイケルは未だ帰らないのかい?』

 その女性に応える、聞き覚えのある声。
 聞き間違う筈が無かった。生まれた時から聞いている、大好きな声。

(兄さん……)
 
『ええ。遊びに出たまま戻っていないわ』
『寒くなってきたから、上着を持っていた方が良いかな?』
『要らないわよ。だって……きっと走り回って、汗だくになって帰って来るに決まっているもの』
『そうか……。そうだな』

 慈しみ、信頼し合っている者同士の会話。
 愛し合い、穏やかな日常にあるが故の、笑顔。

(……兄さん、その女性(ひと)と結婚したのね。幸せなのね?)

 ジャンが新しい家族を築き、幸せに暮らしている。
 フランソワーズには、その事が堪らなく嬉しかった。
 自分の行方を捜し、憔悴し切った生活を送っているよりも、自分の事など忘れていても良いから前向きに生きていて欲しいと、ずっと願っていた。

 だが、心の奥底が、ちくり、と僅かに痛む。
 それは……大好きな兄が他の女性に奪われてしまった嫉妬心(ジェラシー)。
 そして……自分の居場所はもうそこには無いという、喪失感。

(私は……やっぱり過去の人間、なのよね)

 例え10年であっても……過去は過去。
 10年も前に消息を絶った自分は、恐らくはもう死んだことになっているのだろう。
 もしかしたら、亡くなった両親の墓の隣に、自分の名前が刻まれた墓が建てられているのかも知れない。

 行方不明の妹という柵を断ち切り、幸福の階段を昇ってる兄達。
 そんな彼等の前に、今更こんな自分が姿を現して、どうしようというのか。
 もしかしたら自分は、彼等のあの幸せを狂わせてしまうかも知れない。

(兄さんが幸せなら……それで充分じゃない……)

 フランソワーズは自分にそう言い聞かせる。

 遠くからでも、見る事の叶わないと思っていたジャンの姿を見、その声を聞き、新たな家族が居る事まで分かったのだ。
 これ以上望んだら、罰が当たってしまうだろう。

「マリアさま、みぃ〜〜つけたぁ〜〜っ」
「きゃっ」

 その場から立ち去ろうとした時、何者かがフランソワーズのスカート裾を引張った。
 フランソワーズは慌ててスカートの裾を押さえながら、その小さな影を確認する。

 明るいブラウンの髪。自分と同じ碧眼。
 5、6歳くらいの、やんちゃそうな男の子。

「お姉ちゃんさ、マリアさまでしょ〜?」
「え?」

 男の子の唐突過ぎる問いに、フランソワーズは小首を傾げると、何度かぱちぱちと瞬きを繰り返した。
 誰かと自分を間違っているのだろうか。

「私が……マリア、さま??」
「だって、お姉ちゃんの写真がね、僕の家のマリアさまの隣に飾ってあるんだよ」
「私の写真が?」
「うん。それでね、パパがいつも僕に言うんだ。『この写真に写っている人は、パパにとってはマリアさまより大切な人なんだよ』って」

 男の子は自慢げに告げると、捕まえた大切な宝物を逃さないようにと、更にしっかりフランソワーズのスカートの裾を握る。

「もしかして……マイケル君?」

 マイケル……兄達が気にかけていた、2人の愛の結晶の名前。
 良く見れば……男の子は、アルバムで見た幼い頃の兄に良く似ている。

「あたり! さっすがマリアさまだねー! 何でも分かっちゃうんだね」

 男の子……マイケルは、まるで魔法使いでも遭遇したかのようにきらきらと瞳を輝かせ、頬を上気させる。
 
「ねーねー。僕の家においでよ。直ぐそこなんだ。パパもママも喜ぶよ」
「あ……だめ」

 マイケルがぐいぐいとスカートを引っ張り、必然的に白い太腿が露わになったフランソワーズは、真っ赤になりながら両手でスカートを戻し、彼を制止する。
 途端に、マイケルの大きな瞳がうるうると潤んだ。

「何で駄目なの?」
「え、え―――っとね……あ、お姉ちゃん。子供にしか見えないの。だから……君のパパとママには見えないのよ」

 咄嗟の……苦し紛れの嘘。
 子供染みた言い訳。

 兄には逢いたい。
 でも……逢ってはいけない。

 今、ここに居る自分は……少なくとも、この時間に生きるフランソワーズ本人では無い。
 本当の自分は、BGの基地内で冷たい眠りに落ちているのだから。
 だから、ここに居る自分は偽者。
 ―――儚い幻影。

「え? そーなの? 大人にはお姉ちゃんは見えないの?」
「うん。見えないの」
「パパ、きっとすっごく残念がるよ。だって『死ぬ前に一度だけでも逢いたい』って、とっても哀しそうな顔で言っているもん」
「え……?」

 ――― 一度だけでも―――

 それは、自分もずっと抱いていた願い。

 一度だけでも……一目だけでも……遠くからでも良い。
 相手が自分に気付かなくても……。
 その姿が見たい。
 その声を聞きたい。

 自分のその願いは―――叶った。

(私も……幸せで居る事を、兄さんに伝えられたら……あっ)

「ま、待って……」

 フランソワーズは鞄の中から、愛用している花柄の手帳を取り出す。
 その間に大切に挟み込んであった、1枚の写真。
 それは、1ヶ月ほど前、皆で教会へ礼拝に行ったときに、002が008のカメラを無断で拝借して、フランソワーズとジョーをこっそりと盗み撮りした写真だった。
(002は、礼拝では無く、教会に預けられている子供達と遊ぶのが目的vvv)
 撮られている事にすら気付かなかった写真の中のジョーとフランソワーズは、極自然な……気取らない、普段通りの優しい笑みを浮かべ、見つめ合っている。
 全身が写っている写真で、顔のアップではないものの、珍しくジョーの優しい笑顔が刻まれているこの写真が、フランソワーズは大のお気に入りだった。
 だから……兄の形見の懐中時計と共にいつも持ち歩いていた。

(これなら……この写真なら……)

 きっと兄にも、自分が愛する者と巡り会い、彼から愛され、幸せに暮らしている事が伝わるだろう。
 フランソワーズは、すっとその写真をマイケルに差し出す。

「これを、貴方のパパに届けてくれる?」
「これは……パパやママにも見える?」

 フランソワーズの言葉を……彼女が天使(マリア)であるとすっかり信じ込んでしまったマイケルが、不安げに問う。

「ええ。きっと……」

 自分の気持ちも……一緒に兄に伝わるだろう。

 マイケルの小さな手が写真を掴む。
 その時、フランソワーズの目の前に幻のように現れた小さな欠片が、導かれるようにひらひらと写真へと舞い降りた。

(さくらの……)

 カァッッッ!!!

「っっ!!」

 桜の花弁が写真に触れたその瞬間、花弁から白き閃光が放たれる。
 フランソワーズは成す術べなく、再び眩い光の洪水に呑み込まれた。





 ひらひら……
     ひらひらひら……

 まるで雪のように舞い落ちる、薄桃色の花弁。
 悪戯に吹く風が、枝を震わせ、ぱぁっ、と花弁を散らせ、宙に放り出された1枚1枚を弄び、地面に降り積もったものでさえも踊らせる。

「……きれ…い」

 フランソワーズは、ぼんやりと桜の木を見つめ続けた。

 再び光に呑まれ、気が付いたら此処に……満開を過ぎた桜の木の下に居た。
 前回と違うのは……此処が何処なのか直ぐに分かったこと。
 此処は、自分が最初に光に呑み込まれた場所の近く……教会の庭。

 だが―――本来の自分が生きるべき時間に戻ってはいないことも、同時に分かってしまった。
 自分の知っている教会と酷似しているが、細かな所が違っている。
 何より、この桜の木が一回り小さい。

(未だ……過去なんだわ。どのくらいかしら…)

 この教会は、以前の……後にジョーの運命を狂わせ、焼け落ちてしまう建物。
 フランソワーズが知っている教会は、全焼してしまった前の教会を、外見だけはほぼ完璧に模写して再建したものだから、この教会に見覚えがあっても不思議では無い。

 さっき自分が居た時間は30年前。
 辺りの様子から察するに、此処は20年前くらいだろうか。

 当然、無線も携帯も通じない。
 当たり前だ。
 此処は……本来の自分達は未だ巡り会ってもいない、時間(過去)。

(戻れるのかしら、私……ジョーのところに)

「ジョー……」
「何?」

 意図せず零れ落ちた呟きに返事が返って来、フランソワーズは飛び上がらんばかりに驚くと、慌てて声の主を捜した。
 背後に立っていたのは、マイケルと同じ歳くらいの男の子。

「!」

 フランソワーズは、はっと息を呑む。

 面差しは強く残っていた。
 明るい茶色の髪。意志の強そうな赤茶色の瞳。への字に結んだ唇。
 間違いようも無い……目の前にいるのは、愛しい男性(ひと)の幼き日の姿。

「本当にジョー? ……島村ジョー、よね?」
「そうだけど……??」

 小さなジョーは不信感いっぱいの目でフランソワーズを見据える。
 その目は、自分と初めて出逢った時の……あの荒涼とした大地で見た彼の瞳。

 目の前に居るジョーが、自分の知っているジョー本人だとすれば……
 ここは、本来の時間からは15年ほど過去の時間ということになる。

 じぃ―――――っっと穴が開くほどにフランソワーズを凝視していたジョーは、やがて「あっ」と小さく声を上げると、すたたたた、と全速力で教会へと走り去る。

「え? ジョー、まっ」
「そこで待ってて! 絶対に動かないでっ!!」

 フランソワーズが引き止める前に、ジョーはくるりと振り向きそう叫ぶと、教会の大きな扉を身体全体を使って懇親の力で開き、その中へと消えて行った。

(……な、何?)

 ちびジョーの子供離れした余りの迫力に、フランソワーズは暫し呆然とした後、破顔し、くすくすくす、と火が点いたように笑い出す。

 変わらない。
 不器用なところも。
 一生懸命なところも。
 それでいて……優しいところも。

(ジョーは、やっぱりジョーなんだわ……)

 笑った為だろうか……、それとも、小さくてもジョーがちゃんと自分の傍に居る事が分かった為だろうか。フランソワーズは冷静さを取り戻しつつあった。

 もう、怖くは無い。

 何故、自分がこんな時間旅行をしているのか、その原因は到底分からない。
 けれど……悪意は何処からも感じられない。
 自分に危害を加えようとはしてはいない。

(誰? 何を私に伝えようとしているの?)

 フランソワーズはジョーに言われた通り、その場を動く事無く彼が戻って来るのを待った。
 やがて、閉ざされていた扉が再び開き、眼鏡をかけた優しそうな神父とジョーが姿を現す。

「ね? 神父様、間違い無いでしょ?」
「ええ。そのようですね……」

 意気揚々と勝ち誇ったように告げるジョーに、神父は穏やかな笑みを浮かべ、頷く。それからゆっくりと、フランソワーズの前に歩み寄った。

「こんにちは、お嬢さん。貴方にお渡ししたいものがあるのです」
「え?」
「ある方から、貴方に渡して欲しいとお預かりしたものです」
「私に、ですか?」

 フランソワーズは訝しげに神父を見返す。
 この時間に此処に存在する筈の無い自分に、誰かが何かを渡そうとするなんて考えられない。

「ええ。貴方に、です」
「ですが……私はここを訪れるのも初めてですし、今日私がここに訪れる事を知っている者も居ませんわ。人違いではないかしら?」
「人違いかどうかは、お預かりしたものを見て頂ければ分かる筈ですよ。さぁ、どうぞ、中へ」
「こっちだよっ 早くっ」

 ちびジョーは戸惑うフランソワーズの手を掴むと、ぐいっと教会の中へと導く。

「え? ちょっと……あの、ジョー……」

 フランソワーズは半信半疑のまま、ジョーに手を引かれ、神父の後に続き教会の中へと足を踏み入れる。

 凛とした……それでいて何処か柔らかな空気が漂う室内。
 天井付近にあるステンドグラスからは、極彩色の光が差し込んでいた。

「こっちだよ」
「……ええ」

(………小さな、手……)

 いつもは自分を包んでしまう大きな彼の手が、今はとても小さかった。

(ジョー……)

 この先の彼の過酷過ぎる運命を知るフランソワーズには、その小さな…未だあどけない彼の姿は、微笑ましいと同時に、胸(こころ)が痛い。
 変えられるものなら、変えてあげたいと思う。

 許されるなら……

(それで………ジョーが幸せになるのなら、私は……)

 時間(とき)を操った彼女たちのように……過去を変えた咎により、存在することが許されなくなってしまっても構わない。
 例え……此処から未来の時間に、彼と出逢えなくなっても……

「祈りの場所は、苦手ですか?」
「あ…いいえ、そんなことはありません」
「そうですか。それでは、そこにおかけなさい」
「……はい」

 神父の穏やかで優しい口調が、自分の密かな決意を窘めているように思えて……何もかもを見透かされているようで、フランソワーズはどきまぎと返事をすると、勧められるがままに並べらている長椅子の端へ座る。

「今、お持ちします」
「僕が持って来る!」

 神父が動くよりも早く、ジョーがフランソワーズの手を離し、駆け出す。
 そして、正面に据えられている十字架の横……聖母マリア像の隣に置かれている箱を背伸びして取ると、走って戻って来、「はい」とにっこりと微笑み、箱をフランソワーズの前に置いた。

 差し出されたのは、何の変哲も無い、薄い箱。

「これは?」
「開けて御覧なさい」
「はい」

 フランソワーズは両手で箱の蓋を開ける。
 箱に入っていたのは、1通の白い封筒。
 フランソワーズは一度神父を見、了承を得てから封筒の中身を取り出す。
 封のされていないその封筒の中には……少し色褪せた写真が1枚だけ入っていた。

「!? こ、これ……」

 それは、002が撮った、自分とジョーの写真。
 マイケルに託した、あの写真だった。

「やはり、貴方で間違いでしょう?」
「あのっ どうしてっっ ……どうして、この写真がここに?」

 マイケルに渡せなかったのだろうか?
 時間を越える時に、写真も一緒にこの時間へ連れて来てしまったのだろうか。

「マイケルという青年からお預かりしたものです」
「マイケルから?」
「ええ。丁度1年前です。あの日も、桜が咲いていましたから……」
「でも……どうして?」

 何故、彼はここを訪れたのだろうか。

「彼はその写真を手掛かりに、やっとの思いでこの教会を探し出したそうです」
「写真の……」

 確かに写真には教会が写り込んでいる。だが……教会全体が写っている訳では無く、ほんの一部分だけだ。
 しかも、自分は彼に、写真に写っている教会が日本にある事すら告げなかった。
 ……告げられなかった。

 こんな僅かな……手掛かりとは到底呼べない証拠(事実)だけでこの小さな教会を見つけ出す事が、どんなに大変な事であったのか――容易く想像出来た。
 それでも、彼は捜してくれた。

 ……自分を。

「やっぱりお姉ちゃんが、マリアさまだったんだねー」

 ジョーが無邪気に微笑む。
 その笑みが、マイケルのものと重なった。

「私が……マリアさま?」
「その写真を持ってきた兄ちゃんが言ってたんだ。『必ずここに、この写真に写っているマリアさまが現れる』って……」
「必ず……」

 自分が幼いマイケルと出逢ったのは……一瞬で時を越えた自分にとっては、ほんの少し前の出来事。
 けれど、マイケルにとっては……15年も前の過去。

「写真の裏を御覧なさい」
「裏、ですか?」

 フランソワーズは神父に言われるがままに写真を裏返しする。
 そこに、懐かしい筆跡があった。

 『フラン、お前の幸せを永遠に願っている。
                      兄・ジャン』

(兄さん!)

 込み上げて来る熱い想いを、抑える事など出来なかった。
 涙は堰を切ったように次から次へと零れ、頬を伝い、光の雫となる。

 伝わっている。

 逢えなくても……
 全く違う時間を生きる事になってしまっても……
 自分の想いが兄に。
 そして兄の想いは自分に。

 時間も距離も超えて、確かに届き合っている。通じている。

(ありがとう。本当に…………ありがとう)





「フランソワーズ!」
「え?」

 耳元で聴こえる愛しい男性(ひと)の声に誘われて、闇に落ちていた意識が徐々に白く浮上してくる。
 フランソワーズは枕代わりにしていた自分の腕から、そろそろと顔を上げた。
 そこは……教会の中。

(やだ……・私、いつの間にか眠ってしまったんだわ)

 フランソワーズは自分がいつの間にか、眠りに落ちていた事を知る。
 泣いて泣いて……泣き疲れて……そのまま……。

「良かった。目が覚めたね」
「!?」

 自分の傍らで、ほうっと安堵の溜息を吐くジョーの姿を捉え、フランソワーズはその碧い大きな瞳を益々大きく見開いた。
 そこに居たのは小さなジョーでは無く、自分を愛し包んでくれるジョー(彼)。

「具合が悪いのなら、ちゃんとそう言わないと。買い物だったら僕が代わりに行くのに」
「ジョー? 本当にジョー、なの??」
「??? どうしたの?」

 ジョーは目一杯怪訝そうに顔を顰めると、大きな掌を、ぴたりとフランソワーズの額に押し当てる。

「きゃっ あ、あの……///」

 いきなり触れられて、フランソワーズはどきまぎし、かあぁっと頬を朱に染めた。
 ジョーは注意深く掌で彼女の体温を測る。

「熱はないみたいだけど……。もしかして頭打った?」
「ううん。違うの。それより、どうして貴方がここに居るの?」
「買い物に出たきり帰って来ないから、イワンにトレースして貰ったんだ」

 ジョーはフランソワーズの額から手を遠ざけると、バツが悪そうにくしゃくしゃ髪を混ぜる。

「イワンに? わざわざ?」
「仕方ないだろ。無線で呼んでも反応が無いし、携帯電話は通じないし……もしかしたら、何か事件に巻き込まれたんじゃないかと思ったんだ」
「ジョー……」

 フランソワーズはふわりとジョーの首に腕を絡ませ、彼へ身体を寄せる。

 嬉しかった。
 連絡の取れない自分を彼が心配し、必死で捜し、ここまで迎えに来てくれた事が。

「フ、フランソワーズ? どうしたの? やっぱり何かあったのかい?」

 いつもとは明らかに様子が異なるフランソワーズに、ジョーは戸惑いつつも、彼女の柔らかな身体を抱き締め、優しく髪を撫でながら問う。
 フランソワーズはジョーの肩に顔を埋めたまま、首を横に振った。

「分からないわ」
「分からない?」

(夢……だったのかしら?)

 全ては夢だったのだろうか。
 幸せそうに暮らす兄の姿も、マイケルも、小さなジョーも……全てが幻影だったのだろうか。

「ねぇ、ジョー……。ジョーはここで育ったのよね?」
「え? そうだけど……それがどうしたの?」

 脈略の無い彼女の問いに、ジョーは取り敢えず答え、何故そんな事を訊くのかを尋ね返す。

「ここは、以前と変わらない?」
「一度焼けてしまったから、ね。装飾品(中)は変わってしまったよ。以前の教会に置かれていたマリア像、僕は好きだったんだけどね……」
「マリア像?」
「うん。君に似ていたんだよ。だから、かな……君を時々懐かしく感じるのは。何だか、ずっと以前に逢ったような気がするんだ」
「え?」

 ジョーの言葉に驚いて、フランソワーズは彼を抱き締める腕を緩め、視線を合わせる。
 ジョーは照れ臭そうに微笑んだ。

「こういうのを、デジャヴ(擬視感)って言うのかな……」
「ジョー……」

 フランソワーズは嬉しそうに目を細める。
 彼の心の中に、確実に残っている。
 今自分が巡って来た時間が、夢では無く現実だという証拠が。

「とにかく、家に戻ろう。君の躯、すっかり凍えてしまっいる。あ……ほら、写真、落ちてるよ」

 ジョーは彼女の足元に見覚えのある写真が落ちていることに気付き、彼女の手を解くと、折らないように注意して写真を拾い上げる。

「写真? ……あ」

 それは……すっかりセピア色に変わってしまった写真。

「その写真……確か、1ヶ月前に撮ったものだよね。何でこんなに変色してるの?」
「だって……30年も旅して来たんだもの」
「30年? 旅って??」

 その言葉の意味を理解出来ず、きょとんとするジョーを見て、フランソワーズはくすくすと悪戯っぽく笑う。 

 全てを説明したら、ジョーはどんな顔をするだろうか……
 この写真の裏に刻まれている文字が、兄のものであると知ったら……
 15年も前に、自分達が確かに此処で出逢っていることを知ったら……

「ジョー、これから私が話すこと、信じてくれる? 夢みたいなことだけど……」
「勿論。信じるよ」
「私、ね……冷たい空白の眠りの時間を、少しだけど……埋めて来たの」





 フランソワーズは、教会の片隅で冷たい風に震える桜の木の樹を見上げた。
 小さく硬い蕾を付けた枝の向こうには、所々雲に覆われた青い空。

 その空から零れ落ちて来る白い破片達。

「花びら?」
「雪、だよ」

 彼女と同じように空を見上げていたジョーが答える。

 ひとつ……また、ひとつ
 やがて、無数に舞い降る白い結晶が2人を包み込む。
 
「お日様、出ているのに……不思議ね」
「風花だよ」
「風花?」
「うん。こんなふうに晴れているのに雪が降る事を、『風花』って言うんだ。遠くで降っている雪が、風で此処まで運ばれて来ているんだよ」

 ジョーはそう説明し、遠くに見えた雪雲を視線で指し示す。

「幻みたいなのに……現実なのね」

 フランソワーズはその幻想的な景色を愛しげに眺める。

 幻みたいな現実。
 この風花も……
 そして、再び自分の手に戻って来たこの写真も……

 でも、風花と違って、自分が何故あんな時間旅行をしたのか、その謎は説明出来ない。
 何の力が作用していたのかも……誰の仕業であるのかも、到底解明は出来はしない。

 でも―――

(もしかして……貴方なの?)

「ねぇ、ジョー。この……」
「桜が咲いたら見に来よう、ね」

 フランソワーズの言葉の先を、ジョーは先回りして告げ、微笑む。
 フランソワーズは一瞬だけ驚いたものの、彼の笑みに釣られるように微笑み、こくんと頷く。

「行こう、フランソワーズ」
「ええ」

 するりと……極自然に繋がれた手と手。
 儚い幻の時間(とき)の終演を待って、2人は並んで歩き出した。

 ひらり……

 そんな2人を見送るように、天から舞い降りてきた小さな花弁が、フランソワーズの艶やかな亜麻色の髪をそっと撫で、風に攫われて再び高く舞い上り、そのまま…………遠い空へと還って行った。



 ―――お帰り、フランソワーズ―――





― Fin ―





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present for 江里さま
祐浬 2006/3/30改


この作品は、2003年3月20日『桂樹(江里)』さま発行の
Cyborg009 Fan Book『風花』にお贈りさせていただいたものです。
(当HP掲載にあたり、一部加筆修正しました)