Angel Snow




「フランソワーズ?」

 リビングの扉を開き、そこで自分を待っている筈の存在へ…
 誰よりも…、何よりも愛しい者の名を呼び、その姿を探す。

 灯されたままのルームライト。
 賑やかな映像と音を放ち続けるテレビ。
 そして……テーブルには、ティーカップがひとつ。

 直前までそこに彼女が居たことを示す証拠たち。
 けれど、肝心の彼女が……フランソワーズの姿がない。

(キッチン、かな……?)

 几帳面な彼女が、テレビや灯りを点けっ放しで自分の部屋に戻るとは考えられない。
 況して……飲みかけのティーカップをそのままにしていくなんて、絶対にあり得なかった。

 だとすれば…
 考えられる結論は……ちょっとした用事で…、直ぐに戻るつもりで、少しだけこの部屋を後にした、のだろう。

 ここで彼女が戻って来るのを待とうかとも思ったが、その僅かな時間も惜しい気がして、ジョーは彼女の行く先で一番可能性の高い…リビングの先のキッチンへと向かう。

 しかし……10歩ほど歩いたところで、ジョーはピタリと停止する。

「っ!?」

 ソファーの死角――
 大きなソファーの背凭れで見えなかった空間に……亜麻色の髪の女性が、すっかりと身を沈めていた。

「フランソワーズっ!?」

 倒れているのかと思い、ジョーは血相を変えると、慌てて駆け寄る。

 しかし、直ぐにその心配が取り越し苦労であることに気付いた。

 穏やかな…安らいだ横顔。
 ゆっくりと静かに、規則正しく上下する、肩と胸。
 すやすやと零れる吐息。

 フランソワーズは、クッションを枕代わりにして、横向きで…まるで幼い子供のように眠っていた。

(珍しい、な……)

 自分達だけの時ならともかく、全員が研究所に戻って来ている時に、こんなトコロで、こんなに無防備に転寝(うたたね)してしまうなんて、彼女らしくない。

 それほど……疲れているのだろう。

 無理もない。
 『003』から『フランソワーズ』に還れたのは、ほんの数時間前のこと。

(だから……先に部屋で休んでいなよって言ったのに…)

 ジョーはほんの1時間ほど前の彼女との会話を思い出し、やれやれと溜息を吐くと、己の不甲斐無さを痛感し苦く笑む。

 過酷なミッションを終えて研究所に帰還すると、皆それぞれの部屋に戻り、休息を貪った。
 もちろんジョーも一度は自室に戻り、戦いの痕跡を洗い流してから、疲れ切った身体を横たえた。
 けれど、深い眠りに堕ちることは出来ず…――。

 それは、サイボーグとなってしまってから、時々味わう症状(苦痛)だった。

 身体も精神(こころ)も疲れ切っているのに…
 生死を懸けた戦いで否応なく高められた……その極限の緊張感がなかなか解けず、頭は冴えてしまう。

 何も考えたくないのに…
 何も思い出したくないのに…

 犯してしまった重大な罪…
 敵とは言え、奪ってしまった1人1人の、その最後の瞬間の断末魔が脳裏に浮かび…
 ―――押し潰されそうになる。

 殺さなければ、殺される。
 自分が殺さなければ、何も知らずに平和に暮らしているたくさんの人々が、仲間や、そして大切な女性(ひと)の命が脅かされる。
 だから……自分がこの手を血に染めると決意した。

 地獄に堕ちようとも……戦うと誓った。

 そのための力を……身体を、自分は持っている。
 最早人間とは呼べない異質な…強化された身体。
 でも……心までは強化されなかった。

 寧ろ、サイボーグとなってしまってから…
 大切な存在に気付いてしまってから…
 ―――ますます脆くなってしまった気がした。

(独りが、こんなにも寂しくて怖いものだと……そう僕に気付かせたのは、君だよ…)

 ジョーは彼女の傍らに膝を付くと、彼女の頬に零れている癖のある柔らかな髪を、指先でそっと直してやる。

 彼女と出逢わなければ……孤独に還ることに恐怖を抱いたりはしなかった。

 ずっと独りだったから、
 独りで居ることに慣れてしまっていたから……平気でいられた。

 でも今は……

 静まり返った部屋。
 1人きりのベッド。

 たったそれだけの…僅かな孤独に耐えることが難しくて…

 今夜も部屋を抜け出し、自分たちと共に戦ったドルフィン号のメンテをしに地下の格納庫へと向かった。
 例え独りであっても、『何か』に没頭していた方が気が紛れるから…

 本当は……、
 彼女の…フランソワーズの元へ縋りたかったのだが、自分の身勝手な都合で、疲れて眠っているだろう彼女を起こすなんて、絶対に許されないことだ。

 けれど……彼女の部屋の前を通り過ぎた時、
 極力静かに歩いていたのにも関わらず、自分を追うように……慌てた様子で扉が開き…――。



「どう、したの? こんな時間に…」
「あ……うん。ドルフィン号のチェックをしておこうと思って…」
「今から?」
「ちょっと気になる所があって、ね。またいつ……もしかしたら、直ぐに出動、ってこともあるかも知れないし…」
「……それじゃ、私も手伝うわ」
「いいよ。君は疲れているんだから、部屋で休んでなよ」
「私なんかより、ジョーの方がずっと疲れているでしょう?」
「僕は……大丈夫だよ」
「それなら、私も大丈夫よ」
「フランソワーズ……」
「……一緒に行ってもイイでしょう?」
「いや、ダメだよ。格納庫は寒いし…、それに、直ぐ終わるから…」
「それじゃ、リビングで待ってるわ。それなら、イイ?」



 彼女の縋るような碧い瞳に射抜かれて…、結局、リビングで待つことを承諾してしまったのだが…

(……どう、しようか…)

 疲れて眠っている彼女を起こすのは躊躇われたが、このままにもしておけず、ジョーは、彼女の細い肩に手をかけると、静かに呼びかける。

「フランソワーズ。こんなトコロで寝たら風邪ひくよ」

 が……
 フランソワーズはちょっと迷惑そうに眉を顰めただけで、目を開くことも返事をすることもなく、再び眠りへと堕ちてしまった。

(……無理に起こす必要もない、か…)

 フランソワーズが深い眠りの中にいることを悟り、ジョーは彼女を覚醒させることをあっさりと諦める。
 自分が彼女を部屋へと運べば良いだけのことだ。

(ごめんよ、フランソワーズ…)

 こんなに疲れているのに、無理をさせてしまったこと。
 そして、早くに戻らなかったことを、ジョーは心の中で詫びる。

 彼女を独りきりにしてしまったこの1時間。
 彼女は此処で何を考えていたのだろうか?
 いつから眠ってしまったのだろうか?

 寂しい思いをさせてはいなかっただろうか…?

(今夜は……一緒、でイイかい?)

 このまま彼女と共に…
 互いのぬくもりを寄せ合って…

 朝、目が覚めて、横に自分が居たら、きっと彼女は驚くだろう。

 真っ赤に頬を染めて…
 恥ずかしそうに瞳を潤ませて…
 でも……自分の腕から逃れる事無く…――

 ジョーは彼女を今宵は自分の部屋へ攫うことを決意すると、テーブルの上のテレビのリモコンに手を伸ばす。

 と、その時だった。
 テレビに映るの男性(アナウンサー)が、「現在、関東地方の広い範囲で珍しく雪となっている」と伝え、画面はとある景色へと切り替わった。
 映し出された景色(場所)は、ここ(研究所)から程遠くない街。

 小さくて白いものが、ふわふわと舞いながら、イルミネーションに彩られた街へと落ちていく。

「雪?」

 ジョーは弾かれるように、窓へと視線を移す。

 僅かに開かれたカーテンの隙間から覗く漆黒の闇。
 寒さに煙った窓の向こうに、確かに純白の結晶が舞い落ちていた。

 ジョーは、ふ、と笑む。

(これは……君からのプレゼントかい?)

 この特別な日に、この地では滅多に降ることのない雪になるなんて…

 戦いで傷付き荒んだ心を癒すために、彼女が自分に贈ってくれた特別な魔法だろうか…―――。

(そうか……。君は、分かっていたんだね…)

 自分が戦闘の後、眠れない夜を過ごしていることを…
 独りが怖くて、部屋を抜け出していることを…

 全部知っていて…――。

 おそらく、自分を頼ってくれないことを…
 部屋を訪ねてくれないことを寂しく思っていたに違いない。

(……ごめん)

 ジョーはテレビを消すと、雪のように白い肌の眠り姫をそっと……大切に大切に抱き上げる。

 そうしなければ、壊れてしまう気がした。

 愛しくて…
 愛し過ぎて……胸が痛かった。

「……フランソワーズ…」






はらはらと静かに舞い落ちる、白き結晶

それは、
この病んだ世界を、心を…全てを癒すように覆い尽くし、
幻影のように儚く融けて消える。


でも……
このぬくもりだけは、どうか消えないで…――




― Fin ―
 



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祐浬 2006/12/27