Trefle




「あれ? フランソワーズは?」

 ジョーはリビングにフランソワーズの姿が見えない事に気付き、ソファで踏ん反りかえってテレビに夢中になっているジェットと、その反対側で文庫本を読み耽っているアルベルトに尋ねる。

「あ? フランソワーズなら今日も出かけたぜ」
「今日も?」
「何だ、お前、気付いて無かったのか? 3日前からずーっとなのによ」

 呆れ果てたと言わんばかりのジェットの声音に、ジョーは少しだけむっとする。
 昨日も一昨日も、お昼過ぎから夕方まで博士のお供で研究所を留守にしていたジョーには、此処に残っていた彼女が何をしていたのか知る術は無い。

「一昨日から、午後になると出かけてる。日が暮れる前には帰って来ているがな」

 ジョーの心の奥底の只ならぬ怒りを敏感に感じ取ったアルベルトは、危機感を抱くと同時に彼を不憫に感じ、読んでいた本から目を離すと助け舟を出した。

「何処に行っているんだ?」
「さぁ、な。でも遠出はしていないんじゃないか。鞄も持たず、身ひとつで出かけているからな」
「何しに?」
「良くは分からんが、『探しもの』だそうだ」
「探しもの? 何を?」
「さぁ、な」

 段々と鬼気迫る表情で詰め寄って来るジョーに、アルベルトはやれやれと首を竦める。
 そんなに心配なら、さっさと捜しに行けば良いのだ。
 が、このシャイボーイがそう簡単に自分の気持ち通りに動く事が出来ない事も、アルベルトは既に充分知っていた。

「さぁって……君達は心配じゃないのか?」
「心配はしてるさ。でも、アイツ、教えてくれねーんだよ」

 アルベルトの代わりに、ジェットが面白くなさそうに吐き捨てる。

 ジェットもアルベルトも、連日思い詰めた表情で出かけて行き、落胆して帰って来るフランソワーズの事を危惧し心配していた。
 しかし、幾ら訊いても、彼女は明確な返答をせず、曖昧な言葉で誤魔化すばかりだった。
 それは……明らかに、自分達には関わって欲しくは無いという『拒絶』だった。
 頑ななフランソワーズの態度に、2人はそれ以上の追求と関わりを諦め、遠くからそっと見守る事に決めたのだった。

「え? 教えてくれない?」
「訊いても何も答えてくれねーんだ。暫く自由にさせてくれってさ」
「フランソワーズがそう言ったのか?」

 訝しげに問うジョーに、ジェットは「ああ」と頷く。

「何だか、すっげぇ大事なものを探しているみてーなんだけどさ」
「大事な、もの…」

 ジョーは真剣に考え込む。
 普段、滅多に我侭を言わないフランソワーズが、アルベルト達に何も明かさず、自分を押し通し、幾日も探し続けているのなら……それは彼女にとって余程大切なものに違いない。

「言っとくけど、手伝いなんて行かねー方が良いぜ。アイツに怒られ……あ?」

 親切心で忠告してやろうと思ったジェットは、言い聞かせる肝心の相手(ジョー)の姿がもうリビングに無い事に気付き、眉間にくっきりと皺を寄せる。
 彼が人間以上の能力(ちから)を行使した事は明らかだった。

「ったく、加速装置なんか使うんじゃねーよっっ」
「そうだな……」
 
 深々と溜息を吐くジェットを見、アルベルトは、ふっといつものニヒルな笑みを浮かべると、何事も無かったかのように本へと視線を落とした。





 柔らかな若草色の風が吹き抜け、草原が波のようにうねる。
 何処までも澄んだ青い空に、ゆったりと流れるシュークリームみたいな雲。
 太陽から零れる恵みの光。その何処までも優しい光に透けた彼女の亜麻色の髪は、黄金色にきらきらと輝いていた。

 蹲り、真剣な表情で何かを探し続けているフランソワーズを見つけ、ジョーは小さく安堵の溜息を吐く。
 その音を聞きつけ、フランソワーズはびくっと身体を震わせ、弾かれたように振り返った。

「え? あ…ジョー? どうかしたの?」
「それはこっちの台詞だよ。こんな所でどうしたの?」
「……え、……ええっと…」

 自分へと歩み寄って来るジョーを見守りながら、フランソワーズは俯き言葉を濁す。

「何か失くしたの?」
「ううん、そうじゃなくて…」
「探しものだったら僕も手伝うよ」
「あ…ありがとう。でも…」
「何を探しているの?」

 歯切れの悪いフランソワーズに、ジョーは優しく問う。
 フランソワーズは暫く沈黙すると、おずおずと顔を上げ、拗ねた表情で彼を見つめ返す。

「……言ったら、ジョー、きっと笑うわ」
「笑わないよ」
「ホントに?」
「うん。約束する」
「絶対よ。それに誰にも内緒にしてくれる?」
「勿論。それで……何?」 
「えっと……あのね…4つ葉のクローバー」

 フランソワーズは恥ずかしそうに探しものの名を告げると、頬を朱に染める。

「4つ葉のクローバー?」

 ジョーはフランソワーズの言葉を繰り返すと、足元に視線を落とす。
 そこにあったのは、見慣れた小さな白い花。―――白詰草。

「ジョーは知らない? 日本では4つ葉のクローバーを探したりはしない?」
「いや、知ってるよ。確か、『4つ葉のクローバーを見つめると幸せになる』だよね?」
「ええ。でも4つ葉だけじゃないのよ。5つ葉を見つけたら、お金に恵まれると言われていて、6つ葉は地位や名声を得られ、7つ葉は長寿を約束されると言われているの」
「へぇ〜 そんなに色んな意味があったんだ」

 純粋に感心しているジョーに、フランソワーズはふふふ、と笑う。

 決して、葉の多いクローバーだけが幸福の象徴という訳では無い。
 3つ葉のクローバー自体、キリスト教では3つ葉は三位一体のシンボルであり、愛情・希望・信仰を表すものと言われている。
 花言葉も、幸福を望んで。
 正に――Happy Leaf

「僕は探した事が無いから分からないんだけど……やっぱり、そう簡単には見つからないものなの?」

 『4つ葉のクローバーを見つけると幸せが訪れる』
 それはジョーも知っている言い伝えだった。
 だがジョーには半信半疑であり、今まで一度たりとも探した事は無かったものの、余り見つからないからこそ、貴重で、そんな言い伝えに変わったのだと容易く想像出来る。

「そうね…。だけど、私もこんなに夢中になって探すのは初めて、よ」

 フランソワーズは小さく溜息を零すと、淋しそうに微笑む。

 幼い頃に、遊びの途中で偶然に見つけた事は何度かあった。
 1ヶ所に何本もの4つ葉のクローバーがあって、友達と分け合ったこともある。

(昔はあんなに簡単に手に入ったのに……)

 あの頃はあんなに簡単に手に入ったものが、今はこんなに懸命に探しているのに、1本も見つからない。

(これは神様の忠告かしら…)

 昔には…生身の身体だった頃には、意識せずとも直ぐ傍らにあったたくさんの『幸福』。
 それが『幸福』である事すら気付かずに、当たり前のように自分を包んでくれていたもの達。
 それが……サイボーグとなってしまった現在(いま)では、どんなに望んでも願っても、手に入れる事は出来ない。

 4つ葉のクローバーが探しても見つからないのは……神様が自分にはもうその資格が無くなってしまった事を知らしめる為。
 フランソワーズにはそう思えて仕方が無かった。

「そんなに……どうしても…4つ葉のクローバーが欲しいのかい?」
「ええ」
 
 ジョーの素朴な問いに、フランソワーズはこくんと頷く。

 どうしても欲しかった。
 気休めなのは分かっている。4つ葉のクローバーの意味が根拠の無い言い伝えだという事も…。
 それても、諦められなかった。
 諦めたくなかった。

「子供みたいでしょ? でもね、どうしても欲しいの」

 サイボーグに改造され、時間をも歪められて――たくさんのものを失った。
 何を失ったのか分からないほど、多くのものを失くした。
 失ってしまったものは最早還っては来ない。
 だからこそ……小さくても、それがただの言い伝えであっても、手に入れたかった。新たな『希望』となるべき欠片を。

「それなら、皆に手伝って貰った方が…」
「駄目よ。皆には迷惑はかけたくないの」

 戦いから開放された僅かな安らぎの時間。
 その貴重な時間を、自分の我侭の為に奪ってしまう事なんて出来ない。

(それに…)

 4つ葉のクローバーに秘められた本当の意味をおそらく知っているアルベルト達には、恥ずかしくて到底頼めない。

「ジョーにも心配かけてしまって、ごめんなさい。でも暫くは我侭を許してくれる? ちゃんと夕方には研究所に帰るから…」
「あ……うん」
「ありがとう」

 フランソワーズはにっこりと微笑むと、再び4つ葉のクローバーを細い指で探し始める。

(どうしても……探したい)

 もしかしたら、此処には無いのかも知れない。
 どんなに探しても、此処に無いのなら……見つからない。

 けれど…無いと決まった訳じゃない。

 僅かな望みがあるのなら、諦めずに探し続けたい。

「フランソワーズ……」

 ジョーは目を細めると、白詰草の群生へその手を伸ばし、すっかり汚れてしまった彼女の手を握り締める。

 冷たく凍えた指。
 滑らかで柔らかな感触。

 どきん

「ジョ、ジョー?」

 フランソワーズは驚いてその大きな手を見つめ、そしてどぎまぎとジョーを見返す。
 いつになく真剣なジョーの瞳が真っ直ぐに自分を捕らえていた。

 彼女の戸惑った視線に気付いたジョーは、照れ臭そうに笑う。

「見つけた」
「え?」
「ほら……そこ」

 ジョーは空いている手で、フランソワーズの手元を…そこに在るひとつのクローバーを指差す。

「あ…」

 指し示された先を辿り……フランソワーズは息を呑むと、大きな瞳を益々大きく輝かせる。

 そこにあったのは―――小さな小さな…黄緑色の4枚の葉。

「ちっちゃいケド……4つ葉のクローバー、だよね」
「…ええ」

 フランソワーズは頷くと、その小さな幸福を潰してしまわぬようにそっと摘み取る。
 生まれたばかりの可愛らしい4つ葉のクローバー。

(あんなに探しても見つからなかったのに…)

 この3日間、夢中で探して見つからなかったものが、彼によって呆気ないほど簡単に自分へと齎された事に、フランソワーズは戸惑う。
 まるで、自分の本音(ホント)を見透かされているようだった。

 自分が欲しているものは、本当は4つ葉のクローバーでは無く――彼。
 彼に想って欲しくて……
 自分にも未だ誰かを愛し、愛され、幸せになることが許されているのだと確かめたくて、4つ葉のクローバーを探した。
 
「……これで…叶うかしら」
「え? 何?」

 彼女から零れた小さな呟き。
 風に紛れてしまって聞き取れなかったジョーは、小首を傾げる。

「ううん。何でも無いわ」
「?」
「何でも無いの。……ありがとう、ジョー」

 僅かに潤んだ紺碧の瞳、艶やかに濡れたピンク色の唇。そして全てを虜にしてしまう至上の笑み。

「………。」

 ジョーは吸い寄せられるように、彼女のマシュマロみたいな、柔らかくて甘い唇を己の唇で捕らえる。
 一瞬だけ、微かに……けれども、しっかりと重なり合った唇と唇。

「!」

 フランソワーズは呆然と、自分から遠ざかっていくジョーの顔を見つめ続けた。
 自分に何が起こったのか理解できたのは、彼の閉ざされていた瞼が開き、その切なくも優しく赤茶色の瞳に自分の顔が映った時だった。

 頬を真っ赤に染め、どうして良いのか分からず、言葉も発せず、動くことすら出来ずにいる彼女を見て、ジョーは少しだけ罪悪感を抱く。

「ごめん。嫌だった?」

 ジョーの言葉に、フランソワーズは首を横に振る。
 嫌な筈が無い。
 ずっとこうされたいと思っていたのだから…。

「で、でも……どうして?」
「どうしてって………それは…」

 フランソワーズの素朴過ぎる問いに、ジョーは微かに頬を染めると、バツが悪そうに一度彼女から視線を外す。

 彼女に触れた理由――そんなコト決まっている。

「君が………好きだから」

 照れながらも、ジョーは今迄秘めてきた自分の想いを正直に言葉に変える。

 好きだから…。
 愛しているから…。
 だから……触れたかった。

「これからも……触れて良いかな?」
「ジョー…」

 眩しげに目を細め自分を見つめるジョーに、フランソワーズは、こくん、と頷く。
 その拍子に、ぽろりと涙が零れ落ちた。
 透明な雫は4つ葉のクローバーへと降り注ぎ、小さな若葉を飾る光の破片と化す。

(私にとって、貴方が4つ葉のクローバーなんだもの…)



 4つ葉のクローバーが齎してくれるもの。
 それは―――真実の愛。



― Fin ―
 


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祐浬 2006/5/26