夏の夢




「愛してる」

 ヒルダを亡くした後……言う事が無かった言葉。
 永遠に言う事は無いと思っていた言葉を、004はフランソワーズに告げた。

 自分達以外誰も居ない無人島。
 ゴツゴツとした磯場。そこに2人は並んで座り、長い時間ただ海を見つめていた。

 潮騒にかき消されそうになった004の言葉は、確かにフランソワーズの耳に届く。
 フランソワーズは驚いて、004を凝視した。

「え? 今、何て……」
「愛してる。今までも、これからも、ずっと、だ」

 フランソワーズと視線を合わせ、004は低く……だがきっぱりと言い切った。
 大きく見開かれたフランソワーズのマリンブルーの瞳が、やがて、ゆらりと動き、悲しげに顔を伏せた。

「ごめんなさい……私はジョーのことが……今でも…」
「分かっているさ」

 彼女が愛しているのは、奴(ジョー)だけだ。
 奴が居なくなってしまった今でも……いや、これから先も彼女にとっての最愛の男はジョーただ1人。
 そんなことは重々承知していた。

「私………彼より誰かを愛することなんて出来ない。だから……アルベルトの気持ちには応えられないわ」

 フランソワーズの瞳から、大粒の涙がぽたぽたと落ちた。

 こうして、どれほど彼女の涙を見てきただろうか。
 あの日以降、彼女の泣いている姿しか見ていないような気がした。
 長い時間、彼女のあの至上の笑みは消えてしまっている。

「彼奴より愛して欲しいなんて思っちゃいないさ。俺は彼奴を愛しているフランソワーズが、……そのままのお前さんが好きなんだ」
「アルベルト……」
「俺も昔、大切な女性(ひと)を失った。彼女とお前さんのどちらが好きだと聞かれたら、正直答えられない。けれど……彼女はもうここには居ない。愛していると言ってやる事も、抱き締めてやることも出来ない。だがお前さんは違う。お前さんはこうして生きている。守ってやる事が出来る」

 自分は到底ジョーの変わりになどならないだろう。
 いや、変わりになる必要も無い。自分は自分でしかないのだから。
 フランソワーズもそれを望んではいない。

「辛い時には誰かに縋った方が楽になれる」
「でも……それじゃ、私は貴方を利用することになるわ」

 004の申し出を、フランソワーズは承諾することは出来なかった。

「利用出来るものは何でも利用して構わないさ。お前さんの慰めの欠片になるんだったら、俺は喜んで利用されてやる」
「…アルベルト……!」

 フランソワーズは堪え切れずに、004の胸に顔を埋め、泣いた。
 004は泣きじゃくるフランソワーズの肩を優しく抱く。
 そして嗚咽が啜り泣きに変わってから……、彼女の顎に指をかけ、そっと上を向かせると、フランソワーズの柔らかな唇を奪った。





「004!」

 遠くで自分を呼ぶ声がした。

 それはフランソワーズでは無く……男の声。

「おーーーーーいっ 004〜〜〜 生きてっかぁ〜〜〜〜」

 妙に間の抜けた声に驚いて、004はぱちっと目を開いた。
 自分の視界いっぱいに見えたのは、逆さまになった002の顔と、抜けるような青空だった。

「!?」
「おっ 生きてたか。幾ら呼んでも目を醒まさねーから、死んだかと思ったぜ」

 002はそう言って豪快に笑った。
 彼の顔は程好く色付いている。どうやら……いや完璧に酔っている。

 004は上半身を起こし、辺りを見回す。
 大小様々な岩がひしめき合う磯。穏やかな海は夏の日差しを浴びて、きらきらと輝いている。
 自分からやや離れたところで、……海の中のフランソワーズは自分の足元を泳ぐ魚たちと無邪気に戯れていた。

(夢、か……)

 004はほうっと胸につかえていた息を吐き出す。
 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 日本の海水浴場の人の多さに嫌気が差し、ドルフィン号で南海の孤島に海水浴に来ていたことを思い出す。
 メンバーは自分と002、006、そしてジョーとフランソワーズにギルモア博士と001だ。

「他の奴等は?」
「博士は001の世話、006はメシ作るってドルフィン号に戻ったぜ」
「009は?」
「はははは〜〜 彼奴は潰れてる」

 002はにんまりと笑うと、椰子の木の下で酔い潰れているジョーを指差した。

 004はやれやれと思う。
 「潰れている」ではなく「潰した」のだと一目瞭然だった。

「彼奴、酒には滅茶苦茶弱いからな〜〜〜」

 004の曰く有りげな視線に気付きながらも、全く反省することのない002。
 002がジョーを必要以上にかまう原因が何であるか、004は知っている。
 彼は……フランソワーズが好きなのだ。そして、ジョーのことも弟のように感じている。嫉妬と屈折した愛情表現が、時折こんな形で現れるのだ。

「あのさ〜 酒が無くなっちまったから、俺、船に取りに行ってくる」
「未だ飲むつもりなのか?」
「けっ こんなの酔っているうちにはいらねーよ。009はとーぶん目が醒めないだろーから、004、フランソワーズの事、ちゃんと見張ってろよ」

 002はそう言い残すと、軽やかなジャンプで岩を渡って行く。

(そーゆー事か……)

 004はふっと苦笑する。
 002はフランソワーズを心配して、わざわざ自分を起こしに寄ったのだ。

 心配されている当のフランソワーズは……何度も素潜りを繰り返し、極彩色の魚や海の様々な生き物達と夢中になって遊んでいた。
 フランソワーズの水着は薄紫と白のチェックのワンピース。

(人魚姫みたいだな……)

 フランソワーズの幸せそうな顔に、004は目を細める。

 何故、あんな夢を見たのだろう。
 ジョーが逝くことなんて、望んではいない。
 彼は大切な仲間だ。それに……彼が逝ってしまったら、一番悲しむのはフランソワーズ。彼女の悲しむ姿は見たくは無い。
 フランソワーズにはいつでも笑っていて欲しいと、心から願っている。

『アルベルト!』

 突然、体内無線でフランソワーズの声が響いた。
 驚いてフランソワーズを凝視すると、海面に漂うフランソワーズが泣き出しそうな顔で、自分を見つめていた。
 フランソワーズが戦いの最中以外は極力無線を使わないことを、004も知っている。
 だから……すぐに彼女の身に「何か」があったのだと悟った。

『どうした!?』
『噛まれた、みたい……』
『噛まれた? 何に!?』
『海蛇……何だか、身体が痺れて……』

 フランソワーズの通信が終わらないうちに、004は海へと飛び込み、フランソワーズの元へ向かう。
 フランソワーズの居る場所は、辛うじて足が届くほどの深さだった。

「大丈夫か!?」
「だい…じょ、ぶ……」

 無理に笑顔を作るフランソワーズ。
 004は躊躇う事無く彼女を抱き上げ、自分の居た大きな岩へとフランソワーズを座らせる。

「何処だ?」
「右足。内側の踝の上」

 自分も岩へと這い上がると、004はフランソワーズの告げた場所を確認する。
 そこに確かに、2つの小さな傷が縦に並んでいた。いや、正確には、その横に微かなもう2つの傷。
 間違いなく蛇の牙の痕跡。

「身体が痺れるのか?」
「ええ。……それに…熱いわ」

 フランソワーズの瞳が潤んでいた。

 彼女が毒に犯されていることは明白だった。
 004はフランソワーズの白くて細い足を持ち上げると、その傷口に唇を押し当てた。

「ア、アルベルト?」

 フランソワーズは驚いて足を下ろそうとするが、004はそれを許さなかった。
 004は傷口を強く吸い、彼女の血液ごと毒を吸い出し、吐き捨てる。

「応急処置、だ」
「で、でも……」
「大人しくしてろ」

 頬を真っ赤に染めるフランソワーズに、敢えて冷ややかに言い放ち、004は再びフランソワーズの足へ口付ける。
 何度か毒を吸い出し、吐き捨てる。
 フランソワーズはその004の様子を呆然と見つめていた。

「取り敢えず、こんなもんだろう。後は博士に診てもらおう」

 フランソワーズの足をそっと下ろし、004は片手で口元の汚れを拭う。

「え? ……あ……ありがとう、アルベルト」

 はにかみながら、フランソワーズはお礼を告げる。

「大した事じゃ無い」
「充分大した事だと思うケド?」

 聞こえてきた第3者の声に、フランソワーズはびくっと身体を震わせ、恐る恐る自分の背後に立つその人物を仰ぎ見る。

「ジョー!?」

 そこには露骨に不機嫌そうな表情を浮かべるジョーが立っていた。

(ヤバイな……)

 004は瞬時に状況を把握する。
 ジョーが酒で豹変することは、既に熟知していた。
 豹変というよりは……いつもよりも自分の感情に素直になるだけだ、が……。
 何にせよ、ここで彼の相手をしている訳にはいかない。フランソワーズをドルフィン号に連れて帰る事が先決だ。

「人のオンナに手出すなんて、ほーんと良い度胸してる」
「ジョー、違うのっっ 誤解よ!」
「ふぅ〜〜ん、この状況の何処が誤解なの? 僕には004がフランソワーズを押し倒しているようにしか見えないけど」

 ジト目で2人を見据えるジョー。
 完全にイッてしまっている目、だ。

「お、押し倒すって……」

 フランソワーズが、ぼぼっと顔を更に赤く染める。

「どーせ、004とは一度ケリつけとかないとって思ってたんだ。何かにつけてフランソワーズにチョッカイ出してくるから」
「ケリならつけてやるさ。お前のような甘ちゃんの子供(ガキ)に、俺は倒せないぜ」
「ガキねぇ〜。それじゃアンタはいい歳こいたおっさんじゃねーか」

 004の冷酷な視線に少しも怯む事無く、ジョーはにやりと笑む。

「かかって来い、小僧」
「ふん、どーせ直ぐ弾切れになるくせに」
「お前こそ加速装置ばかりに頼っているだろーが」
「ご老体相手に加速装置なんか必要ないさ」

 ジョーが004に殴りかかる。
 004は絶妙のタイミングで、ジョーの足を払った。
 バランスを崩したジョーが海へと落下する。
 正常(いつも)のジョーならこの程度の攻撃は簡単に避けられる。だが、今は彼は……酔っているのだ。

「ジョー!?」

 フランソワーズは血相を変えて、落ちたジョーを見つめる。
 この辺は大した深さじゃない。例え大した深さでも、ジョーならばある程度は平気だ。しかし、ジョーはうつ伏せに沈んだまま動かなくなってしまった。

 水の中に沈没していること……十数秒。

「う、うわぁぁっっ」

 慌ててジョーが立ち上がる。
 そして、心配そうに自分を見つめるフランソワーズと004に気付く。

「ジョー……大丈夫?」
「え? あ、あれ?? 僕はどうしてこんなところに……」

 困惑し切ったジョーのその表情を見て、フランソワーズと004は、ほうっと同時に溜息を零す。
 どうやら正気に戻ったらしい。

「009、フランソワーズが海蛇に噛まれた。毒はあらかた吸い取ったが、早く博士のところへ連れて行った方が良い」
「ええぇっっ」

 004の説明を聞き、ジョーはさあぁっと蒼褪めると、攫うようにフランソワーズを抱き上げ、加速装置で一目散にドルフィン号に向かった。

 目には見えない2人を感覚だけで見送り、004は再び岩の上にごろんと寝転ぶと、口元だけで笑った。

「……あんまり世話かけさせるなよ」


― Fin ―
 


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present for しるふぃさま

祐浬 2002/5/30