Sweet Valentine
― 2005 ―
― Story by Yuuri ―







(やっぱり……)

 そうっと彼の部屋の扉を開き、恐る恐る静まり返った室内を覗き込んだフランソワーズは、あまりに予想通りのその光景に小さく溜息を吐き、「もうっ」と唇を尖らせる。

 ――急いで帰って来たのに…――

 バレエのレッスン後、いつもの自主練習(居残りレッスン)も、友達からのお茶の誘いも断って、大急ぎで帰って来た。
 それなのに……。

 肝心の彼(ジョー)は、机に突っ伏して……
 自分の腕を枕代わりにして……、熟睡していた。

(これじゃ、『ただいま』も『お帰りなさい』も言えないじゃない……)

 F1レーサーとして頗る忙しい生活を送っているジョー。
 況して、半月ほど先に開幕戦が控えている今、スケジュールは更にハードになっていて、休みらしい休みは殆ど無い。
 今日も雑誌の取材があると言って、自分よりも早く出掛けていた。

 彼が仕事から帰って来た時に言ってあげられなかった『お帰りなさい』と、自分の帰途を告げる『ただいま』、その両方を真っ先に言おうと思っていたのに、これじゃ、言えない。
 それに……

(………どうしよう…)

 フランソワーズは鞄の中に忍ばせてある小さな箱に、ちら、と視線を落とす。

 今日は2月14日。―St.Valentine's Day―
 『恋人達の記念日』であり、お互いチョコレートやお菓子や花などをプレゼントし合ったり、デートを楽しんだりする日。
 尤も日本では、女性から大切な男性(ひと)やお世話になっている人達へ、チョコやプレゼントを贈る日、として定着しているので、フランソワーズも日本で暮らすようになってからは、そちら(日本Vr.)の意味合いで、毎年欠かさず彼へチョコを渡していた。

(去年のValentine's Dayは、手作り…だったのよね…)

 色濃く脳裏に蘇る、1年前の記憶。
 去年はこの時期、時間に余裕があったから、手作りのチョコを――正確にはチョコレートケーキを作って、彼にプレゼントした。
 ケーキ屋さんのように上手には出来なかったけれど、それでも彼はとても喜んでくれて……だから、本当は今年も手作りのものを贈りたかったのだけど、レッスンが忙しくて時間が確保できなかった。
 それでも……少しでも彼に喜んで欲しくて、2人のお気に入りの洋菓子店に、彼が好きな…そんなに甘すぎないチョコレートを、こっそりと注文しておいたのだった。

(……机の上に、置いておいたら……目が覚めたとき、驚くわよね)

 その様子を想像して、フランソワーズは、ふふふ、と小悪魔めいた微笑みを浮かべる。

 レッスン帰りに洋菓子店に寄り、そのまま…自分の部屋にも戻らず真っ先に彼のこの部屋に向かったから、カード(メッセージ)は付いていないけれど、自分からのプレゼントだと、彼は直ぐに気付いてくれるだろう。
 自分からの突然のプレゼントに、彼は何て言うだろう。

 フランソワーズは音を立てないように扉を閉め、注意深く静かに彼へと歩み寄る。

 机の奥に追いやられたノートパソコンは開いたままで、電源は落とされていない。
 恐らくは……此処(研究所)に帰って来て、一休みする間も無くパソコンを開き、仕事を片付けていたのだろう。
 パソコンの画面が未だ省エネモードに切り替わっていないから、彼が睡魔に陥落してから、そう時間は経っていない。

 もう少し早く帰って来れれば…、と少しだけ後悔しながら、フランソワーズはジョーの横に立ち、息を殺して彼を覗き込む。

 規則正しい、すやすやと穏やかな寝息。
 腕と長い前髪の狭間から微かに覗く、あどけない寝顔。

(疲れているのね……)

 物音を立てても、他人(ひと)がこんなふうに近寄っても気付かないのは、彼がそれだけ疲れている証拠だった。
 そして……安心しているから。

 どんなに疲れていても、気を許せない場所や状況なら、彼は僅かな物音や気配で目を覚ます。
 それは彼に備わっているサイボーグの能力では無く、彼が幼い時から背負い続けている心の傷の所為。

 以前―――未だ出逢ったばかりの頃はそうだった。
 ドルフィン号でBGから逃げ、戦いに明け暮れていた頃は、いつ、彼の部屋の扉を叩いても、それが例えどんなに夜更けでも…直ぐに扉が開かれて、『ノックしたのに気付かない』事は一度だって無かった。
 それが、今では……
 何度もノックしたのに全く気付かず、こんなにも無防備に……眠っている。

(……起こしたら可哀想よね)

 こんなところで転寝するよりも、ベッドでちゃんと休んだ方が良い。けれど、こんなにも幸せそうな顔で眠っている彼を起こしてしまうのは、何だか可哀想に思えた。

(チョコ、喜んでくれる、かしら……。それとも…)

 迷惑だったらどうしよう…と、フランソワーズは急に不安になる。

 彼が幾らそういう年中行事に疎くても、今日がValentine's Dayであることには恐らく気付いているだろう。チームの事務所には、彼のFanの女の子たちからたくさんのチョコレート(プレゼント)が届いている筈だし、もしかしたら今日の取材先でも誰かから手渡しで貰ったかも知れない。
 彼は甘いものがそんなに得意じゃ無い。もしも、既にチョコ漬けになっていたら、きっと……当分甘いものは見たくないと思っているに違いない。

(やっぱり、後から……彼とちゃんと話をしてから、渡そうかしら……。…え?)

 決意が揺らぎ、チョコを持ったまま引き返そうと思った時、ふと、携帯電話が彼の左手の下敷きになっている事に気付く。

 指の隙間から微かに見える液晶画面には、書きかけのメールが表示されたままになっていた。
 宛先は……フランソワーズの携帯アドレス。

 『そろそろレッスンが終わる頃だよね。僕もさっき帰ってきたよ。今日はバレンタインだから、街中何処でもチョコの甘い匂いがしてた。それにしても、義理チョコなんて面倒な風習、誰が作ったんだろ。断るのが大変だったよ。本当に好きな女性からじゃなかったら、意味が無いと』

 メールは、そこでぷつりと途切れている。
 彼はこの先、何を書こうと…何を自分に伝えようとしてくれていたのだろうか。

(もしかして……期待して…私のこと、待っていてくれたの?)

 仕事が片付いたから転寝しているのでは無く、
 自分からの連絡が入るのを待ちながら、メールを打っていて…
 待ちくたびれて……眠ってしまったのだろうか。

 自分からのチョコを待っていてくれたのだろうか?

(ジョー……。貴方の、"本当に好きな女性"って……私で、いいの?)

 そう、自惚れても良いの?

 フランソワーズは、鞄の中から綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出すと、そぅっと…彼の側に置く。

「……ごめんね」

 待ちぼうけをさせてしまって……。

「そして………」


          ――― 大好き、よ ―――



†† Is my desire sweeter than the chocolate? ††







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祐浬 2005/3/9