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― Story by Shion ―




「……どう、して?」

 そう告げる彼女の――フランソワーズの桜色の唇が浮かべるのは、小さな小さな微笑み。
 けれど、その蒼い瞳に揺れるのは……今にも泣き出しそうな、困惑の翳。

「私を一緒に連れては行けない、って……どういうこと……?」
「……」
「私に……私に、1人でここへ残れというの?」
「………」
「っ、ジョー!」

 昂ぶる感情を必死に抑え込みながら問い詰める彼女の顔を、ボクは真っ直ぐ見つめ返すことができなかった。
 あれほどまでに、悩んで、躊躇って……その上で伝えると決めた言葉。
 もう迷わないと固く心に言い聞かせたはずなのに、彼女の澄んだ瞳の前では、己を制しきる自信が足りない。
 胸の遥か奥底に隠したつもりの感情さえも――簡単に見抜かれてしまいそうで。

「……キミには、内緒にしておくつもりだったんだ。本当は……また戦わなければならないときが来てしまったこと、そのものを。キミが――」

 戦うことを心から厭う姿を、ずっと……ずっと見てきたから。





 あのときも……そしてあのときも、キミは戦場で理不尽に奪われてゆく生命に心を痛め泣いていた。
 なぜこの境遇に生かされる者として自分が選ばれてしまったのか、なぜ闘わなければならないのが自分なのか――そんな不条理な疑問に押し潰されそうになりながら。


 宿命という言葉で片付けられてしまうには、あまりに凄惨な毎日。
 血塗られた戦場。
 与えられた能力(ちから)のせいで、誰よりも辛く哀しい場所へと追い込まれてゆく精神(こころ)。
 それでも健気に気丈に振る舞うキミは――それまで出逢ったどんな女性よりも気高く綺麗で……そしてあたたかかった。
 孤独しか知らなかったボクの世界に、ぬくもりの色を教えてくれた女性(ひと)――。





「キミにはもう……あんな想いはして欲しくないんだ……」

 いつもなら面と向かっては言えないような言葉が、思わず口をついた瞬間。
 ふいにその柔らかなぬくもりが確かな感触となって胸に熱く広がった。
 彼女のブロンドに近い亜麻色の髪がボクの頬を優しく擽り、甘い香りがふわりと漂う。

「フ、フラン……!?」
「いや……」
「え?」
「みんなだけを……あなただけを戦わせて自分は安全な場所にいるなんて、そんなのはいや!」
「フランソワーズ……。――でも、キミは」
「確かに私には、戦うことを好きになんてなれない……。今までも……そしてきっとこれからも、自分から望んで戦いの場に身を置きたいとは思えないわ……。だけど……っ」

 ボクの腕の中で、真珠の煌きに彩られた蒼の眼差しが振り仰ぐ。

「それとも、そんな女は……。あなたに護られてばかりの女だから、戦場に私はいらない?」
「っ!! そんなこと……っ!」

 そんなこと、あるもんか!
 声に出せない――出してはいけない強い想いが、捌け口を求めて何度もボクの中を駆け巡る。
 生命を預けられる仲間として……それ以上に、ともすれば暗い闇の淵へと堕ちてしまいそうになる心の支えとして、どれほどボクがキミという存在に救われてきたか。

 けれど、今それをキミに伝えてしまったら……ボクはまた、キミを離せなくなる。
 キミの気持ちを知りながら、またキミを戦争という名の地獄へと引きずり込んでしまう。
 今度こそ、もう生きては戻れないかもしれない、戦乱の渦に。

「……わかってくれ。フランソワーズ……。ボクは……ボクはキミを……」
「あなたを失いたくないの!」
「――!」

 彼女の凛とした声が紡いだそれは、ボクがキミに届けたかった言葉。
 そして――。

「私にとってジョー、あなたは……。かけがえのない……大切な、たった1人の男性(ひと)だから……!」

 ……彼女が懸命に伝えようとしてくれるそれは、ボクこそがキミに届けたかった想い。

「今度の戦いが、どんなに危険なものになるか……私にも充分わかってるつもりよ。でも、だからこそ――もしここでこのまま離れ離れになって、二度とあなたに逢えないようなことになってしまったら……私……私……っ」



 ――そう。
 例えどれだけの死線を潜り抜けようとも、戦い続ける限り、常に『死』は隣り合わせに付き纏う。
 それが、決して逃れることができない、ボクたちの生きる世界。

 そんな漆黒と紅蓮に染まる世界に、どうして再び彼女を連れ出すことができる?
 誰よりも彼女を失いたくないと願っているのは、ボク自身なのに。

 彼女が抱いてくれた恐れは、紛れもなくボクの抱く恐れそのもの。
 フランソワーズに逢えなくなるなんて、きっとキミよりもボクの方が耐えられない。
 でも、戦場へ連れ出してしまったがために、彼女が傷ついたり、彼女を失ってしまうかもしれないという想いが脳裡を掠めたとき――ボクはそれ以上の恐怖に気づいてしまった。

 彼女さえ無事ならば。
 ボクはどれだけ傷ついてもいい。
 どんなに多くの怪我を負っても。
 この身体が極限までぼろぼろになろうと。
 ボクがすべてに耐え抜き生きて帰りさえすれば、また彼女に逢える。

 だから、絶対に死なないと――そう誓った。
 でなければ……フランソワーズに『来るな』と告げる資格など、ないと思ったから。







 ……きっと、2人の願いは同じはずなのに。
 2人の想いは、遠く隔たれたまま――。







「だから……お願い、ジョー」

 ボクの服を握り締め、小さく身体を寄せて俯く彼女の声に、はっと我に返る。

「私を置いて……1人で遠くになんて行かないで……!」
「フランソワーズ……」
「お願いだから……」

 ――胸が、痛い。
 締めつけられるように。

 じりじりと込み上げてくる痛みから少しでも逃れようと、ボクは静かに瞳を閉じた。

 彼女の優しさにこれ以上甘えてはいけない。
 彼女をこれ以上、危険な目に遭わせたくない。

 ――今も変わらず、そう思うのに。

 彼女に触れようとする右手を懸命に押さえつけようとすればするほど……震える彼女を抱きとめてしまった左手が、彼女を離したくないと叫び出す。







 きつく抱きしめれば儚く壊れてしまいそうな、華奢な身体。
 その身体で、キミは今までいったいどれほどの哀しみを堪え、乗り越えてきたのだろう……。

 離れたくない。
 できることなら、ずっと。

 あれだけ悩みに悩み抜いて出した決断。
 固めたはずの決意。
 それが、キミの前ではこんなにも無力になる。

「戦いは……戦いには行きたくないけれど……。でも、あなたがすべてを懸けて臨むのなら、私もあなたのそばで一緒に戦いたい。それが――あなたには隠さないと約束した、私の本当の想い(こころ)……」
「!!」
(フラン……ソワーズ……っ!)









 ――そう……だった。

 キミが初めて心からボクに縋って泣いてくれた、あの夜。

 暗い部屋の中でたった1人、窓辺に佇み、涙を見せることもせず、何もかもを胸の裡に閉じ込めようとするキミを見ていられなくて……。

『……ボクの前では、我慢することなんかない』

 思わず抱き寄せながら語ったボクの腕の中で、キミはやっと零れ落ちる涙とともに心に巣食う哀しみを――『普通の人間に戻りたい』と告白してくれた。



 いつも、どんなときでも、その限りない強さと慈愛に満ちたぬくもりで優しく包み込んでくれる、ボクの天使。
 キミの苦しみをほんの少しでも和らげることができるなら……。
 そんな願いから、彼女と交わしたひとつの約束。 

 それが――。









「ごめん……ごめんよ、フランソワーズ……」

 この世界で最も愛しい女性(ひと)の名を響かせて、今度は両腕でしっかりと彼女のすべてを抱きしめる。

「キミの気持ち……理解してるつもりだったのに……っ」

 優先してしまったのは、ちっぽけな己の我欲(エゴ)。
 ただひたすらに、『キミを失いたくない』――その一心だけしか見えなくて。
 キミにあんなことを言っておきながら……自分に正直になれていないのは、他ならぬボク自身だった。

 ボクは――ボクも、キミとともに在りたい。
 例え行く手がどんなに深い闇に覆われていようとも。
 キミを傷つけたくないのなら、ボクがキミを護ればいい。
 キミの哀しみも苦しみも、すべてボクが受け止めるから……!

「一緒に行こう、フランソワーズ。――そして、必ず一緒に還ろう。もう一度世界に平和を取り戻して……キミとの大切な想い出が溢れる、この場所に」
「ジョー……」





(――ありがとう)

 夜空に浮かぶ蒼い月の光が降り注ぐ中、ボクは彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ……。
 そして、その甘い唇にそっと口づけた。
 キミとともに生きる未来をこの手に掴み取る、誓いの証に変えて――。





†† 哀しみも苦しみも……ボクが受け止めるから… ††





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