サイレス



「ごめんね」
「別に、良いさ」
「…ごめんなさい」
「気にするな」
「本当にごめんね」
「いい加減謝るのは止せ。サイレスかけるぞ」

 延々と続くリノアの謝罪の言葉に焦れて、スコールはついに強権発動をちらつかせて遮る。

「う゛……」

 リノアは、ぐっと次の言葉を呑み込むと、上目遣いに彼を見上げる。
 凍り付く程に澄んだブルーの瞳が、その言葉が脅しでは無く、本気だと充分に証明していた。

「で、でも…」
「でも、じゃない。お前が謝る必要は無い。大人しく寝てろ」

 更に言葉を重ねようとするリノアを、スコールは問答無用の命令口調で遮ると、その言葉使いとは逆に、そっと優しく彼女の額に掌を押し当てる。

(熱い。さっきよりも上がってるな…)

 掌に伝わって来る、彼女の異常な体温。
 スコールは一層険しい表情で、注意深くリノアの容態を観察する。

 赤く上気し、うっすらと汗ばんだ肌。
 何時もよりも荒い、苦しそうな息遣い。
 懸命に隠そうとはしているが、意識も少し朦朧としているのだろう。時折、視線が微妙に合わなくなる。

 ティンバーからF・Hに向かう途中、いきなりモンスターに襲撃され、リノアは猛毒を浴びて倒れてしまった。(当然、そのモンスターは直後にスコールのライオンハートの錆となった)
 直ぐに常備していた毒消しを使い、暫く様子を見たのだが、彼女の容態は良くなるどころか悪化するばかりだった。
 彼女の身体を蝕んでいるのが、『毒』だけでは無いことに気付いたスコールは、このままF・Hに行くと言い張るリノアを無視して、距離的に近いティンバーに迷わずに引き返し、ホテルの部屋に彼女を運び込むと、直ぐにリノアが知っていた医者に往診を頼んだ。

 医師の診断は、過労と風邪。
 それらが、毒の影響で一気に噴出し、悪化したのだろうということだった。

(俺は彼女の何を見ていたんだ)

 リノアが何時も元気に笑っているから、気付かなかった。
 彼女が無理をしていたこと。

 よくよく考えてみれば、アルティミシアとの死闘の後、自分の身体のことは二の次で意識不明の自分を不眠不休で看病し、満足な体力の回復もしないままに、ガーデンへの帰途の旅に出てしまったのだから、リノアが疲労していることは明白だった。

 旅の途中でも、彼女は幾度か深刻な表情を浮かべていた。
 その度に、彼女らしい言葉と笑顔に誤魔化されてしまったが、今思えば、あれは異変を報せる危険信号(シグナル)だったのだ。

 思った事をぽんぽんと偽る事無くスレートに、言葉に変えるリノア。
 けれど……「迷惑がかかる」と思ったものは別だ。
 特に魔女となってしまってからは、負い目と罪悪感から、『自分が我慢して、傷付いて、それで済む』と思い込んだものに関しては、頑ななまでに口にしなくなってしまった。

 彼女のそんな性格(ところ)も理解していた筈なのに…
 それなのに、車に酔ったぐらいにしか思えず、こんな状態にまで追い込んでしまった自分が情けなくて、腹立たしかった。

「謝らなくてはならないのは、俺の方だ。急ぐ旅じゃないと言いながら、無理させていた」
「スコールはなんにも悪くないよ。私が自分の体調管理も満足に出来ないから、だもん」

 スコールの大きな掌が冷たくて心地良くて…、彼が自分を気遣ってくれるのが嬉しくて、リノアは目を細めて微笑むと、「旅の途中で気が抜けちゃうなんて、情けないなぁ〜」と自分を責める。

 彼の負担にはなりたくないのに…。
 また、こうして自分は彼の足手纏いになってしまっている。

「ごめんね、スコール」
「謝るなと言っただろ」
「じゃ、スコールも謝らないでね。私、ね……不謹慎だけど今、嬉しいんだ。スコールと二人っきりの時間が増えたんだもん」
「…リノア」

 リノアの無邪気な笑顔につられて、スコールも表情を和らげる。

 確かに…
 ガーデンに戻ったら、暫くは任務に追われることになるだろう。
 こんなふうにゆっくり二人だけの時間を過ごすことなんて、当分は出来ないかも知れない。

「スコールと二人っきりで居られるなら…私、ずーっと病気でいようかなぁ〜」
「おい…」
「冗談だよ。寝てるだけなんて、つまんないもん。早く元気になって、ガーデンに帰らなきゃね」
「そう思うのなら、薬飲んだ方が良いな」

 39℃近い熱があっても相変わらずのリノアに、スコールは内心やれやれとぼやきつつ、先程医者から処方された解熱剤に手を伸ばす。
 薬を飲んで、沢山睡眠を取るのが、病気を治す最善策だ。

 が、リノアはそれを見て露骨に嫌そうに顔を歪めると、ばっと毛布で顔半分を…目から下を覆い隠す。

「や、やだっっ」
「あ?」
「薬、飲まないっ」

 子供じみたリノアの断言に、スコールは眉を顰めて、半眼で彼女を直視する。

「薬飲まないと熱下がらないだろ?」
「寝てれば下がるよ」
「苦しいだろ?」
「へーきだもん」
「平気じゃ無いだろう」

 食事も摂ることが出来ず、一人じゃ立ち上がる事も出来ないこの状態の何処が『平気』なんだろうか。

「兎に角っ その薬は絶対にイヤなのっっ だって、とっても、とーーーーっっても苦いんだよ、それ」

 益々幼稚に…3歳児のように駄々を捏ねるリノア。
 どうやら、彼女がこの薬を口にするのは初めてでは無いらしい。

「良薬は口に苦しと言うからな。我慢しろ」
「我慢出来ないよっ」
「あのな………」

 こうなったらスロウかストップでもかけて無理矢理飲ませるか、と、トンデモナイことをスコールは真面目に考える。
 彼が何を企てているのかを悟り、リノアは熱に浮かされて潤んだ瞳を、更にうるうるうると苛められた子犬のように涙で滲ませる。

「じゃあ……口移しで飲ませてくれる?」
「は?」
「スコールが口移しで飲ませてくれるのなら、我慢して薬飲む……なぁ〜んて、冗談だよ、冗談」

 本当は冗談では無かったのだが、スコールに冷ややかに一瞥され、リノアは呆気なく玉砕し、恥ずかしさに真っ赤になりながら、自分の言葉が本気じゃなかったと弁明する。

「………。」

 スコールは小さく溜息を吐くと、半透明の包み紙を開き、焦茶色の錠剤を取り出すと躊躇う事無く己の口の中に放り込み、予め用意していたグラスの水をふくむ。
 そして、彼女の口を隠している毛布を引き降ろすと、驚き、戸惑っているリノアの唇を自分の唇で覆った。

「んっ ……っっ!!」

 唇の隙間から、ゆっくりと水と共に薬が流し込まれる。
 大嫌いな苦い薬の味が、仄かに口の中に広がった。
 けれど、それを感じている余裕すらなく 、リノアは、こくっ こくん、と夢中でそれを飲み干す。

 スコールは口の中にあったものを全て彼女に注ぎ込み、彼女が薬を飲んだのを確認してから唇を開放する。

「び、びっくりし…」

 リノアは閉じていた目蓋を開くと、両手で彼の唇が触れていた場所に触れてみる。
 彼の温もりと柔らかさが…、薬の苦さが未だ残っている。

「こ、これって……キス、だよね?」

 嫌がる自分に薬を飲ませる為の行為だけど…
 正真正銘の……始めてのキス。

「イヤだったか?」
「イヤじゃないっっ 嫌じゃないよ……凄く嬉しい。けど…ごめんね。始めての、キスなのに…」

 スコールにも苦い思いさせちゃったよね…、と、リノアは罪悪感いっぱいに謝罪すると、ひっく、っく、と、しゃくりをあげ肩を震わせる。

 自分で強請っておきながら、驚き、後悔し、泣き出してしまったリノアを、スコールは何時もと変わらぬクールフェイスで見つめる。

「苦くなんて無かったぞ」
「嘘っ むちゃくちゃ苦いんだよ、あの薬」
「お前はどうなんだ? そんなに苦かったか?」
「えっと………あれ??? そんなには……苦くなかった、かも…」

 以前に飲んだ時は、苦過ぎてその後丸1日気分が悪くなってしまって、最悪だったのに……、今は少しだけ苦く感じたけれど、全然我慢出来る。

 リノアの言葉を聞き、スコールはふ、と微笑むと、彼女の目尻から伝い落ちる涙を指先で拭ってから、彼女の両手首を掴んで左右に開き、枕に押し付けると、ゆっくりと屈み、火傷しそうな程に熱い彼女の唇を、端からなぞるように覆う。

「…っん……んん」

 何処までも優しい羽根のようなキス。
 そして、啄ばむ様なキス。

「んっ…はぁ……あ・・・スコール、風邪、うつっちゃうよ」
「構わないさ」
「でも…っう、ん」

 触れ合うだけの軽い口付けは、やがて求めるがままに、溶ける様に甘くて深い恋人同士のキスへと堕ちて行った。





「っくしゅん」

 どんな気を付けていても、我慢していても、生理現象は止められず、スコールは不覚にもくしゃみを零すと、慌てて背後のベッドに眠るリノアへと視線を送る。
 彼女が未だ目覚めていないことを願ったのだが、くりくりとしたおおきな黒い瞳は開かれていて、しかも真っ直ぐに彼を捕らえていた。

 言い逃れが出来ないことを悟ったスコールは、僅かに首を竦め、片手で髪をかき上げる。

「風邪、ひいたの? だから、うつっちゃうよって言ったのに…」
「良いんだ」

 リノアの風邪ならうつっても構わない。
 他の奴の風邪なら、絶対に遠慮だが…。

 それに…
 うつるリスクが高くなると知りつつ、彼女の唇を奪ったのは自分自身だ。

(ちょっと野蛮だったか…)

 具合が悪くて満足に動けない彼女を襲うような真似をしてしまった。
 だけど、止められなかった。
 自分で自分が制御出来ず、貪るように彼女の甘い口径を味わった。
 何度も…何度も……。
 薬の効力で彼女が眠りに落ちるまで、貪欲にキスを交わし続けた。

(ヤバイな…)

 昨夜の自分をやっと冷静に分析出来るようになり、スコールは自分自身に危機感を抱く。

 ずっと触れたいと思っていた彼女の唇は、熱の所為もあって熱くて、マシュマロの様に柔らかくて、そして甘かった。
 キスを重ねる毎に、彼女への愛しさが強まって、危うくそれ以上求めてしまいそうになった。
 辛うじて自分の欲望を抑え込めたのは、彼女が病気だという事実。
 彼女が病気でなかったら、確実に彼女の全てを征服しようとしていただろう。

 彼女が大切だから、急ぐつもりは無い。
 けれど、彼女が愛しいから、欲しいと…
 彼女の全てを感じ、手に入れたい、と思う。

(……俺にそんな資格があるのか?)

 彼女の全てに触れる資格が、自分にあるのだろうか。
 彼女を護り切れる力が、本当に今の自分に在るのだろうか。

「スコール? どうしたの?」

 険しい表情で考え込んでいるスコールに、リノアは不安を抱き、慌てて起き上がろうとする。
 が、それに気付いたスコールが、空かさず彼女の肩を押し、ベッドに貼り付けた。

「未だ起きるな」
「もう大丈夫だよ」
「大丈夫かどうかは俺が判断する。今日一日は大人しく寝てろ」
「一緒に居てくれる? 置いてけぼりにしない?」
「俺がそんなことをするような奴に見えるか?」
「見える」

 スコールの問いに、間髪入れず、こくんと頷くリノア。

「置いていく」

 鋭い眼光を湛え、ベッドからすくっと立ち上がるスコールに、リノアは血相を変え、彼の腕に縋り付く。

「ま、待ってっっ やだよ〜っっ 置いて行かないで!」
「なら、大人しくし寝てろ。早く治せ」
「大人しく寝ていたら、置いて行かない?」
「ああ」
「じゃ、大人しく寝てる」

 嬉しそうに微笑み、毛布をしっかりと被り直すリノアを、スコールは内心「本当に単純な奴だな」と思う。
 そんな「馬鹿」が付くほど自分に素直で、真っ直ぐな性格の彼女だからこそ、自分は惹かれたのではあるが…。

「何か食べた方が良いな。今朝は何か食べられそうか?」
「うん。お腹空いた」
「そうか…」

 昨日は殆ど固形物を口に出来なかったのだから、空腹を感じて当然だ。
 それに、食欲が出てきたということは、良くなってきている何よりの証拠。

 ルームサービスで軽い食事でも頼むかと、決め電話に手を伸ばした時、 再び生理現象に襲われて、スコールはくしゃみを吐く。
 やはり、気のせいでは無く、本格的に彼女の風邪がうつったらしい。

「風邪うつっちゃったね」
「みたいだな」
「大丈夫?」
「平気だ。大した事は無い」
「ホントに?」
「ああ」
「じゃあ♪」

 リノアは上半身を起すと、するりとスコールの首に手を絡め、ぐいっと自分に引き寄せる。
 不意を付かれたスコールは体制を崩し、導かれるままに、こつん、と、額と額と重ねた。

「え〜〜〜っと、熱は…」

 真剣な表情で、彼の体温を感じ取ろうとするリノア。
 当然、否応無くスコールも彼女の体温を感じる事が出来、結果…思いっきり眉を顰めることになった。

「おいっ リノアの方が熱いぞ」
「あ、あれ〜〜ぇ?? オカシイなぁ〜 もしかして、スコール平熱低い?」
「お前に未だ熱があるだけだ」
「え〜〜っ そんな筈無いよぉ〜」

 墓穴を掘ってしまった事を自覚しつつ、リノアはしっかりと彼の首を抱き締めたまま、無駄な抵抗を試みる。

「なら、この熱さをどう説明するんだ?」
「ん〜〜っと、スコールに触れているから、かな…」

 恥ずかしい言葉をあっけらかんと告げるリノアに、眩暈を覚えつつ、スコールは目前にある無邪気な彼女の笑顔を、完璧なポーカーフェイスで見返す。

「じゃあ、この手を離せ」
「やだ」
「おい…」

 言葉では迷惑気に拒絶しつつも、自分の手を解こうとはしないスコールに、リノアはほっと安堵する。

 彼の言葉は本当じゃない。
 嫌われてる訳じゃない。
 
「スコール、ごめんね」
「何が、だ?」
「だって、風邪、うつしちゃった…」
「気にするな」
「本当にごめんね」
「謝るのは止せ。サイレスかけるぞ」

 益々強い力で自分に縋りつくリノアの背を、スコールは片手で支えながら、昨日と同じ台詞を告げ、小さく笑う。

「リノアの所為じゃない。俺がそうしたかっただけだ」
「…スコール」

 黒い瞳が嬉しそうに細められ、真珠のようにきらきらと輝く。

 スコールが自分に触れたいと…キスしたいと思ってくれた。
 それだけでリノアは充分過ぎる程に嬉しくて、幸せだった。

「ちゃんと布団に入れ。大人しく寝ていると約束したばかりだ」
「うん。大人しく寝てるよ。だけど……少し、だけ……もう少しだけ…」

 この時間が、ずっと続けば良いのに、と思う。
 手を伸ばせば彼が居て…
 その温もりに触れられる。
 ……キス出来る。

「また熱が上がるぞ」
「熱、高くなっても良いよ。そうしたら、またスコールが薬飲ませてくれるでしょ?」

 彼が眠るまで優しくキスしてくれるのなら…
 病気も苦い薬も悪くない。

「そんなにあの薬が好きなのか?」
「そうじゃないけど…」
「それなら早く良くなれ。キスなら幾らでもしてやる」
「ホントに?」
「ああ」

 ぱっと顔を輝かせるリノアの腰をスコールはぐっと引き寄せると、もう片方の手を彼女の髪の中に入れ、吐息のかかる距離に止まっている彼女の唇を、自分へと導く。

 重なり合う唇。
 昨夜の甘い余韻が忽ち蘇る。

(何で……こんなにも…)

 安心するんだろう。
 
 彼女とキスしていると、心が満たされる。
 自分が一番恐れている『孤独』という闇が、瞬く間に浄化される。

 嫌だと言われても、一度知ってしまったこの禁断の味は、もう忘れられない。
 手放すことなんて出来ない。

「もう…必要ないね」

 彼からのキスを受け止め終え、リノアは頬を朱に染めながら、えへへ、と照れ臭そうに首を竦める。

「何が、だ?」
「サイレス、だよ」

 もうサイレスは要らない。
 自分の唇を塞ぐのは…
 言葉を遮るのは魔法では無く、彼の唇。

 二人は視線を合わせて微笑むと、二つの温もりを再び一つに溶け合わせた。


―Fin―
 

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祐浬 2003/7/14