The secret of Valentine
Francoise's view 〜





「フランソワーズ……どうしたんだい? その大きな荷物」
 私が2つの大きな紙袋を抱えてバレエのレッスンから帰って来ると、1人リビングでコーヒーを飲んでいたらしいジョーが、ふと私にそう声をかけてきた。
「あ、ああ……これ?」
 しまった! ――と内心思いながらも、それらをキッチンへと運びつつ、動揺を悟られないよう声色に集中する。
(そんな……この時間なら誰もリビングにいないと思ったのに、まさかよりにもよってジョーがいるなんて……)
 ギルモア研究所はその建築構造上、リビングの前を通らないとキッチンに行くことはできない創りになっていた。
 それを知りすぎるほどよく知っていたからこそ――だからこそ、この大きな荷物を持っているところを誰にも見つかりたくなかった私は、帰る時間に『今』を……みんながここへと戻って来る夕方よりも前の時間を選んだ……はずだったのに。
(どうしよう……ホントはジョーにも秘密にしておくつもりだったけど……。でも、これだけならジョーに話しても……構わないわよね?)
 私は誰にともなく心の中でそうつぶやいて、一呼吸置いたあと、何事もなかったかのような素振りで話し始めた。
「実はね、お友達から聞いてきたんだけど……」
 後ろを振り返らなくても、ジョーがすぐそばにいてくれているのがわかる。
 袋の中身のうち、私は彼に見られても大丈夫なものから順番に、次々とテーブルの上へと並べていった。
「今日は、日本では『バレンタインデー』って呼ばれる日で、女性が男性にチョコレートをプレゼントする日なんですって?」
「えっ!?」
 一瞬、ジョーが驚いたような声を上げる。
 その声に――何か間違ったことを言ってしまったのかと思った私も、逆にちょっとビックリしてしまった。
 で、でも、お友達の話だと確かバレンタインデーは2月14日だったはずだし……。
 ジョーも当然知ってるはず……よね?
「……? 違うの?」
 何だか心配になって、つと手を休めジョーの方を振り向くと、彼は、
「あ、ああ……いや、うん……そうだよ」
と、なぜか少し戸惑ったような――はにかんだような表情(かお)をこちらへ向けていた。
 ジョー……よっぽど私がバレンタインデーを知っていたことに驚いているみたい。
 ……でも、それってどういう意味……なのかしら……。
「もう、ジョーったら、全然教えてくれないんだもの」
 高鳴る鼓動を押さえつけるように、私は少し拗ねたフリをして再びテーブルの方に向き直り、作業を進める。
 拗ねたフリ……とは言え、この言葉には少しだけ本心も含まれていた。
 もしもっと早くからこのことを知っていれば、もっと時間をかけてゆっくりと作りたいものがあったのに……。
「だからね、今日は私からみんなに特製のチョコレートケーキとデザートをプレゼントしようと思って……器具と材料をたっくさん買い込んできちゃった、ってわけなの。ホラ、何しろ9人分も作らなくちゃいけないから……」
「ああ……そ、そうなんだ……」
 実は、ケーキとデザートの他にもうひとつ、作る予定のものがあるんだけど……これはジョーにもナイショ。
「フランソワーズの特製ケーキか……楽しみだな」
 ……どうやら彼、私がまだ他にも秘密を持ってることを怪しまずに、私の言葉を信じてくれたみたい。
「ふふっ。あ、ジョー、これ……みんなにはまだナイショにしておいてね。きっとみんなも日本のバレンタインの風習なんて知らないと思うから……ビックリさせようと思ってるの」
 ジョーには……特別よ。
 私はひとつウインクしながら、彼に小さくそう告げた。
 その言葉に――もうひとつの意味を込めて。
 でも、きっとこの意味には……あなたは気づいていない、わよね?
 ううん。
 気づいちゃダメ。
 今気づかれちゃったら、せっかくの計画が台無しだもの。
 そんな私の思惑とは遠いところで……ジョーは言葉での返事の代わりに、いつもの優しい微笑みを贈ってくれた。





 その日の夕方――。
 張々湖には、『今日の夕食は私1人で作るわね』とあらかじめ知らせた後、キッチンでケーキとデザート、そしてもうひとつの『あるもの』を作っていると……外から帰って来たジェットが、何やらいそいそとこちらへやってくるのが『見えた』。
 彼が目の前の扉に近づく前に、慌てて私の方からキッチンの外に出て扉を閉ざす。
「あれ、フランソワーズ……何やってんだ、そんなとこで?」
「ん、ちょっと……ね。ジェットこそ……キッチンに何かご用?」
「いや、何だか腹が減っちまって……。夕メシまでまだ時間があるから、少し腹ごしらえでもしようかと思ってな」
 ええっ!?
 ……思わず口から出そうになった言葉を懸命に喉の奥へと飲み込む。
 ダメよ!
 今キッチンに入って来られたら、『あれ』を作ってるところまで見られちゃうわ!!
 何としても、ジェットをここから遠ざけなくっちゃ……。
「――わかったわ、ちょっとここで待ってて。今、私が何か軽いものを取ってくるから。そうだわ、一緒にコーヒーも持って来るわね」
「? いや、そんなことくらい俺が自分で……」
「ううん、いいの。リビングには、ハインリヒと張さんと……それに、ジョーもいるのね。みんなもきっとコーヒー、飲むわよね?」
「うん? あ、ああ……たぶんな」
「じゃ、少しだけここで待っててね」
「あ……お、おい……」
 ジェットの訝しげな視線を一身に受けながらも、私は微かに開いたドアの隙間から滑り込むようにしてキッチンへ戻り、そこで急いでコーヒーメーカー一式と人数分のカップ、それからクッキーの詰め合わせをトレイに用意する。
「ハイ、これ。落とさないように気をつけてね」
 今度はトレイの分だけ、広く扉を開けなくちゃいけなかったけど……。
 ジェットのこの位置からじゃ、目の前に立った私の影になってテーブルやシンクは見えないはず。
 私はそのままトレイごとすべてをジェットに手渡すと、彼の返事も待たず再びキッチンの中へ引き篭ってしまった。
 扉の向こうできっと『?』マークをいくつも浮かべている彼に、『ごめんね』と小さく微笑みながら。





「……ちょっと待ってて」
 腕によりをかけた夕食を、みんながキレイに食べてくれた後――。
 私がおもむろに、キッチンから大きなチョコレートケーキ、そして、色鮮やかなフルーツ・パフェを運んで来ると……。
「すげぇ……! こりゃうまそうだな!!」
 まず一番最初に、ジェットが『さっきはこれを作ってたのか……!』と言わんばかりに歓声を上げてくれた。
「へぇ……バレンタインデー、か……。日本にはおもしろい……っていうか、ずいぶんいい習慣があるんだな〜!! あ〜〜〜もう、こんなことなら、さっきあんなにクッキーを食べるんじゃなかったぜ!! なぁ、ハインリヒ?」
「お前と一緒にするな。俺は夕食前だったから、そんなに食ってない」
「ちぇっ。ま、いいや。フランソワーズの手料理なら、いくらでも入るぜ!」
「まあ! ジェットったら……」
 調子がいいんだから、と私が続けるよりも先に、ジェットの隣に座っていたハインリヒが、『調子のいいことを』と彼独特の少しニヒルな表情でさらりと流す。
 途端に溢れる、さらに和やかな雰囲気。
「うん、さすがフランソワーズ、おいしいアルよ〜〜〜!! 一流コックのワイが言うんだから、間違いないアル!!」
「『自称』一流コックだろ? お前さんの場合は。でも確かに……こりゃあ美味い!!」
「ワシにまで作ってくれるとは……嬉しいのぉ」
 よかった……!
 張さんもブリテンも博士も……それにみんなも、バレンタインのプレゼントを本当に喜んでくれているみたい。
「ジョーは……どう?」
 食後の紅茶をみんなに配り終え、ジョーの隣に腰掛けて……。
 私は、ケーキの一口目を口に運んだばかりの彼に思い切って訊いてみた。
 ジョーは、横でおずおずと尋ねる私に気づくと、優しそうな眼差しを真っ直ぐに私の方へと向け――。
「もちろん、すごくおいしいよ! まさか、フランソワーズからバレンタインにチョコレートを貰えるなんて思ってもいなかったから……余計に嬉しくて」
「ホント? よかった……!」
 ジョーの言葉に、思わず顔を綻ばせてしまう私。
 彼の何気ない一言が、こんなにも嬉しいなんて……。
 ……これなら、私からのもうひとつのプレゼントも……ジョー、喜んでくれるかしら……?





 その日はそのまま、普段なら早めに休んでしまう博士やジェロニモも一緒に、久し振りにみんなで遅くまで楽しい時間を過ごしていた。
 ジェットやブリテンがお酒を持ち出してきたりして、ふいに始まったパーティーが大きな盛り上がりを見せ始めた頃……。
「それじゃ、私……何かお酒に合うおつまみを作ってくるわね」
 ――計画を実行するチャンスは、今しかないわ。
 そう思った。
「確か納戸に買い置きのものが……」
 みんなに極力怪しまれないように席を立ち、リビングからそっと……そして、大胆に抜け出す。
 後からは誰も出て来ないことを確認して、まず初めに向かったのは――自分の部屋。
 タンスの中に隠しておいたラッピング済みの手編みのマフラーと、今日、みんなへのケーキやパフェと一緒にひとつだけこっそり作った手作りチョコレートを準備して、戸惑いながらも次に隣のジョーの部屋を目指す。
 無断で彼の部屋に入るのは少し気が引けるし、彼がこれを見てどう思うかを考えると、やっぱりとても怖いけど……。
 ……でも、今日だけはほんのちょっとだけ――あなたから勇気を分けてもらって。



 ジョーの部屋に続く扉を開け、すぐ右手にあるライトのスイッチに手を伸ばす。
 少し明るさを抑えた白熱灯に照らし出される、見慣れた風景。
 私は部屋の中へ静かに足を踏み入れると、綺麗に整頓された彼の机の上に、持っていた2つの『特別な』プレゼントをそっと並べた。


 ――ホントはセーターをプレゼントしたかったんだけど、時間がなくて……
             来年こそは、きっとセーターを編むから……だから――


「いけない、そろそろ戻らないと……」
 自分がふと立ち尽くしていたことにハッと気付いた私は、慌てながらも慎重にジョーの部屋を後にした。
 パタン、と扉の閉まる音が辺りの静寂を破る。
 私は再び静けさを取り戻した廊下で、彼の部屋の扉を背に佇みながらゆっくりと瞳を閉じ――心に溢れる想いの続きを、こう綴った。


 ――だから、来年も……ううん、これからもずっと……
             あなたと一緒に、平和な時間を過ごせますように――



― Fin ―


 

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