〜 星に願いを 〜  





「ホラ、ちょうどボクたちの真上――天の川を隔てて光る、わし座の1等星『アルタイル』が牽牛星・彦星。それから、あっちのこと座の1等星『べガ』が織女星・織姫」
「……あのたくさんの星屑の中で一際輝いてる……夏の大三角形の2頂点を司る星ね?」
「そう……。そんな彼ら2人が、1年に一度だけ逢うことを許された夜が――七夕。7月7日の今夜なんだ」
「七夕伝説……」
 太陽が燦々と大地を照らす昼間の猛暑は影を潜め、涼しげな風が緩やかにそよぐ小高い丘の上で。
 ジョーは、淡い紫と白に彩られた浴衣に身を包んだフランソワーズとともに、澄み切った夜空いっぱいに広がる無数の星々を見上げていた。
 今にも吸い込まれてしまいそうな……無限の宇宙。
 星の海。
 毎年7月7日と言えば、梅雨の真っ最中である東京では、かなりの確率で雲や雨に見舞われることが多いのだが――。



「綺麗ね……」
 じっと空を見つめたままのジョーの耳に、フランソワーズの囁くような声が届く。
 彼女が果てしない天空の星々へと向けているだろう優しい眼差しを自分の瞳の中へと収めたくて、右隣に立つ彼女へさりげなく視線を移すジョー。
 ――けれど。
(フラン…ソワーズ……?)
 ……意外にも、晴れ渡った空とは対照的に、ジョーが見止めた彼女の表情は――曇っていた。
 天を仰いで星を眺める彼女の、どこか物哀しく……揺れる瞳。
 きつく唇を結んで、苦しいような……今にも泣き出してしまいそうな、思いつめた表情(かお)。



 数日前、一緒に街へ買い物に出掛けたフランソワーズから、街中の至るところに飾られた鮮やかな笹と短冊を不思議そうに尋ねられ……ジョーは彼女へ日本に古来から伝わる七夕の物語と、それが七夕に行う風習であることを教えた。
 2人が今、他には誰の姿も見えないこの場所で2人きりの時間(とき)を過ごしているのも、そのときフランソワーズが『7月7日には本物の織姫と彦星と、そして天の川を見てみたい』と言い出したことがきっかけだった。



 ……ただ、思えばあのときから……研究所のリビングで、テラスで、折に触れてはフランソワーズのこんな表情を垣間見てきたような気がする……。



 漠然とながらもそんな風に記憶の中で佇む彼女を思い起こしつつ……ジョーがそのままフランソワーズの整った横顔を追っていると。
 ……彼の瞳に映る彼女は、静かに唇を開いてこうつぶやいた。
「1年に一度だけ、天上で逢える恋人同士……。とてもロマンチックな伝説だけど……」
 ……やっぱりそんなことって……哀しすぎる――。
 フランソワーズの深い想いを乗せた最後の一言は、ふいにそよいだ風によってジョーに届くことなくかき消されてしまった。
 ――1年に一度きりでも、愛する人に逢える日は必ずやって来る。
 しかしそれは、言い換えてしまえば……どれだけ逢いたいと願っても、1年にたった一度、その運命(さだめ)の刻が満ちないかぎり絶対に逢うのは叶わないということ……。
「きっと……闘いという名の運命に出逢いも別れも翻弄されて……。例えその『決して望みたくはない運命』の元で出逢えたとしても、今度は一度別れてしまったら、次はいつ逢えるかわからない――ううん、もしかしたら、離れ離れになったままもう二度と逢えないかもしれない、そんな不安が必ず付き纏う運命の中で生きてゆかなければならないことと同じくらい……」
「……!」
(フランソワーズ……!!)
 再び駆け抜けた風の音で、彼女の声を最後まで聞き取ることはできなかったが……。
 瞬間――ジョーはすべてを理解した。
 彼女がこれほどまでに……七夕物語に関心を寄せていた理由。
 『時の流れ』と『闘い』。
 織姫と彦星の2人とは課せられた十字架の名こそ違うけれど、運命(さだめ)の刻が刻まれなければ巡り会うことができない哀しき宿命は……。



「……今だから話せることなんだけど、ね」
 頭上の星の煌きに茶色の瞳を馳せながら、何の前触れもなく突然そう……少し照れたように言葉を紡ぎ始めたジョーに対して、驚いたフランソワーズがぴくっと身体を竦ませる。
「――小さい頃、初めて七夕の物語を聞いたときから、ボクはしばらくの間ずっと……天の川や織姫や彦星は7月7日の夜にしか現れない、って信じて疑わなかったんだ」
「……えっ?」
 思わずきょとんと瞳を丸くするフランソワーズを黙って見つめ返した後……ジョーは吹き出したように小さく微笑った。
「……おかしいだろ? たった一晩であれだけの多くの星が空に現れて、他の日にはすべてが消えて失くなるだなんて……そんなこと、あるわけないのに」
 一筋の舞う風が、ジョーの栗色の髪をなびかせ――フランソワーズのゆったりと束ね上げたそれ以外の、頬にかかる亜麻色の髪を揺らす。
「でも、それが七夕の夜の奇跡なんだって……そのときは思ってたんだと思う。もちろん、『奇跡』なんて言葉は知らなかっただろうけど……」
「ジョー……」
 ほんの少しだけいたずらっぽく微笑いながら、改めてフランソワーズを見遣るジョーへ……彼女はなぜかどこかしらホッと安心したような――そんなはにかんだような微笑みを返していた。
 久し振りに見る――彼女の笑顔。



「フランソワーズ……」
 言いながら、俯きがちにゆっくりとフランソワーズに背を向けて歩き出すジョー。
「……ボクたちは……違うから」
「え……っ?」
 一瞬――虚を突かれたフランソワーズが、弾かれたように顔を上げる。
「……ボクたちの間には『自分では越えられない天の川』なんて流れてない、ってことさ」
「ジっ…ジョー……!?」
 思わず蒼い瞳を大きく見開いて尋ね返すフランソワーズに……背中を見せたままのジョーはもうそれ以上、言葉では応えなかった。
 ――その代わり。
「あ……!」
 急に振り向いたジョーがフランソワーズの身体を思い切り抱き寄せると、彼女のまとめ上げていた亜麻色の髪がふわりとその白く細い首筋に舞い落ちた。
 ほのかに広がる、シャンプーの香り。
 ひとつに溶け合う……2人の鼓動。



『戦いが起こらなければキミのそばにいることができない運命になんて――ボクは黙って従うことはできないから……。もしボクがキミと同じ想いを抱いてくれているのなら……きっと織姫と彦星の分まで運命に立ち向かえるって……信じてる』



 フランソワーズを強く抱きしめたジョーの腕は、確かに彼女にそう告げていた。
(ジョー……!)
 所在なげに宙を彷徨っていたフランソワーズの両手が、優しくジョーの背中を包む。
 少しだけひんやりとし始めた高原で見つけた……誰よりも暖かくて力強いぬくもり。
 うっすらと涙を浮かべた彼女がジョーの胸にすべてを委ねたちょうどそのとき――フランソワーズの蒼きその瞳に、ひとつの流星が激しく煌いて消えた。
 そのままそっと静かに長い睫毛を伏せたフランソワーズは、儚い流れ星に心から世界に平和なときが訪れることを何度も繰り返し祈っていた。


                                     ~ fin ~

 

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