puzzle ~ the origin of affair ~





  
(1)


(あ……『また』この視線だ……)
 ――とある春先の日、ギルモア研究所のリビングに置かれた少し大きめのソファーの上で。
 すぐ隣に座るジェットが読んでいた音楽雑誌を横から覗き込んでいたジョーは、ふと『それ』に気づいて顔を上げた。
 最近なぜかよく感じる――何かを思い詰めたような目線。
 ジョーがその視線の送り主を追い求めると、そこには必ず『彼女』の姿があった。
 ちょうど向かい側……窓辺の椅子に腰掛けた彼女の亜麻色の髪が、柔らかな陽射しを浴びて黄金色に輝いている。
「フランソワーズ……?」
 自分の名を呼ぶ彼の声に、フランソワーズは一瞬ハッと弾かれたように表情を強張らせた。
「え……?」
「どうか……した?」
 そんな彼女に、遠慮がちに尋ねるジョー。
 しかし――。
「う、ううん……ごめんなさい、何でもないの……」
 その質問には応えようとしないまま、小さな声でそれだけ言って気まずそうに視線を逸らす。
 それが、いつもと変わらない――彼女からの決まった答えだった。
「で、でも……!」
 いつもならそこで途切れてしまうフランソワーズとの会話に、ジョーはこの日初めて次の一歩を踏み出そうとしていた。
 フランソワーズがあんな表情(かお)で自分のことを何度もじっと見つめるなんて……何でもないワケがない。
 わかってはいたけれど、なかなか言い出せなかった彼女への言葉。
「フランソワーズ、何か心配事とかがあるんじゃ……」
 ジョーがそこまで言いかけたとき……。

 トゥルルル――。

 まるで狙い済ましたかのように彼の言葉を遮って、壁に掛けられた電話機が一定のリズムで呼び出し音を刻み始めたのだった。
「俺が出る」
 2人の様子を察したジェットは、『こっちは気にするな』とでも言いたげな顔でいち早く腰を上げ、コードレスの黒い受話器を耳に当てたのだが……。
「はい……――え?」
 ジェットのその意外そうな声は、2人の関心を惹き付けるのに充分な材料だった。
「ジョー……ですか? はい、いますけど……いや、今代わります」
 そう電話の相手に告げ、保留ボタンを押したジェットが、そのままジョーに子機を差し出す。
「おいジョー、お前にだ」
「ボクに……?」
 訝しげに首を傾げるジョーに対して、ジェットは次のセリフがフランソワーズの耳に入らないよう、彼の耳元でこう囁いた。
『工藤留美さん――っていう人だそうだ』










  
(2)


「ったくジョーのヤツ……電話が終わった途端、慌てて飛び出して行っちまいやがった! しかも、なぁにが『フランソワーズを頼む』だよ……ありゃどう見たってお前が原因、って感じじゃねぇか! そのお前でもどーにもならねぇことを、俺にどーしろっつーんだ、まったく……」
 どっかとソファーに腰を下ろしたジェットはひとり、誰もいないリビングでぶつぶつと文句を呟いた。
 ジェットが言うように、ジョーは短い電話を終えた後、すぐに薄手の白いコートを羽織って研究所を出て行ってしまい――フランソワーズはジョーが電話をしている間にすでに無言のまま部屋を後にしてしまっていた。
 そんなとき、新たにリビングへとやってきた人物が1人……。
「何を1人で騒いでるんだ?」
「ハ、ハインリヒ……!」
 相変わらず器用なヤツだな、と微笑いながら、ハインリヒはジェットが座るL字型ソファーのもうひとつのサイド――つまり、ジェットから見て斜め左前の位置にゆったりと腰掛ける。
「内容までは良く聞こえなかったが……独り言(文句)の原因は、やっぱりジョーか」
「な……何でわかるんだよ?」
「ここに来る途中、フランソワーズの部屋の前では何となくいつにも増して元気のない彼女と、それから階段の下では妙に嬉しそうな表情(かお)をして玄関に向かうジョーにすれ違った」
「なにぃ〜!? 嬉しそう……だってぇ!!?」
 ハインリヒから思わぬジョーの様子を聞かされて、ジェットはつい大きな声を張り上げてしまった。
「――アイツ、いったいどういうつもりで……!!」
「さっきの電話……ジョーにか?」
 イラついたように視線を逸らすジェットに、ハインリヒが鋭く迫る。
 ジェットは半ばあきれた感じで……ため息混じりにこう答えた。
「……そ。相手は『オンナ』」
「女?」
 さすがのハインリヒも微妙に顔を顰める。
「女って……俺たちも知らない女か?」
「ああ。ジョーのあの電話の様子からすると、ヤツも昔からの知り合い、って感じじゃあなかったが――だからって今日初めて話した、って感じでもなかったな。名前は工藤留美っていうらしいんだが……。待ち合わせ場所を決めてたみたいだっからな。そこで落ち合うつもりなんじゃねーの?」
 ジェットは自分でそう言いながら、ますますイライラが募るのを痛いほど感じていた。
 例えば、あの電話がハインリヒや他の誰かにかかってきたのであれば、こんな風に余計な詮索をしてイライラする――などということは絶対になかっただろう。
 ……だが、ジョーの場合はそうは行かない。
 なぜなら――彼にはフランソワーズという、自分たちにとっても大切な仲間である女性がいるのだから。





 ジョーとフランソワーズの2人が、それぞれ相手に対してお互いに『戦士としての仲間以上』の感情を抱き合っていることは、ギルモアを含むメンバーの誰の目から見ても明らかだった。
 他のみんなに気を遣ってか、2人は懸命にそんな感情を表に出すのを控えているようなのだが……ちょっとした言葉や仕草、それに咄嗟のときの行動などが、彼らのお互いを思いやる心の暖かさを滲み出させていて――。
 そして、そんな2人の創り出す優しい雰囲気を近くでそっと見守ることは、戦いばかりでなかなか心の休まる暇がないメンバーにとっても、数少ない安らぎの瞬間(とき)だったのである。


 ――それなのに。



「それにしても気になるな……」
「……何がだよ、ハインリヒ?」
「いや……フランソワーズのことさ」
「フランソワーズの?」
「ああ……。彼女、ここ1週間くらいの間……ときどき塞ぎ込んでるようなときがあっただろう?」
 近頃、フランソワーズの様子がどうもおかしいことは、ジョーだけでなく……ハインリヒもジェットも薄々感づいていた。
「そりゃあ、ジョーのヤツが他のオンナとこそこそ逢ってるかもしれないとなりゃ……って、おいっ!!」
「……気づいたか」
 工藤留美から直接ギルモア研究所へジョー宛に電話がかかってきたのは、今日が初めて。
 それまでジェットもハインリヒも、彼女のことはその存在すら知らなかった。
 しかし、フランソワーズはすでに1週間くらい前からジョーに対して、なぜか不審と思えるような態度を取り始めている。
 つまり――。
「ま、まさか、フランソワーズは……!!」
「……知ってたのかもしれないぜ? ジョーがその工藤留美とかいう女と何度か逢っているのを、もっと前から……」
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ!! もしそうだとしても・・・フランソワーズは今日の電話が彼女からだとは知らないはずだぜ!? ジョーに受話器を渡したときは、フランソワーズにバレないように小声で名前を言ったし……ジョーが話し始めたときには、もうフランソワーズはリビングを……」
「ジェット、忘れたのか? フランソワーズの能力(ちから)を……」
「……!!」
 フランソワーズのサイボーグとしての能力――それは、どんな障害物を通してでも物を見ることができる透視能力と……50キロ四方の物音を聞き分けることができる耳……。
「で、でもよ……フランソワーズは他人の話を盗み聞きするような……!」
「そう。普段の彼女なら絶対にそんなことはしない。だが――ジョーへの電話がかかってきて……お前がジョーに代わる前に、小さな声で何事かアイツに囁いた。……ジョーとその女のことを以前からフランソワーズが何か知っていたとすると、彼女はお前が、わざわざこれから電話に出ようとするジョーに『そんなこと』をしなければならない理由はひとつしかない……と考える。そして、それを確かめるために思わずお前の言葉を……」
「……」
 ジェットは、ただ黙ってハインリヒの話を聞くことしかできなかった。
 彼の推理は続く……。
「――だからこそ、フランソワーズはジョーと彼女の会話を聞きたくなくて……自分の行動が許せなくて、そのあとすぐに部屋へ戻った……」
「そ、そんな……」
 言葉ではそう言いつつも……ジェットもおそらくはハインリヒの言うことが正しいのだろうと心の中で予感していた。
 それが事実なら――ハインリヒが見たという、フランソワーズの『いつにも増して元気のない様子』にも説明がつくのだ。
「フランソワーズ……」
 2人はどちらからともなく2階にあるフランソワーズの部屋の方を見上げると、しばらくの間ずっとその切なそうな眼差しを傾け続けていた。










  
(3)


 南側の窓からほんの少しだけ差し込むオレンジ色の夕日の輝きが、彼女には何だかやけに眩しかった。
「……」
 その光に照らし出されている――部屋の片隅で。
 フランソワーズはオレンジに染まった水色のクッションの上に座りながら、身を投げだすように上半身をベッドにもたれさせていた。
 蒼い瞳が見るともなく見つめているのは、シーツの波間。
 そして……彼女はまた、今日何度目かの深いため息をつくのだった。
(……ジョー)
 気がつくと、何時の間にか彼の名前を口にしている自分がいる。
 こんなにも彼を想うようになったのは――いつからなのだろう。
 こんなにも……彼に思考の全てを奪われるようになったのは、どうしてなの……?







 10日程前、サーキット場にマシンを走らせに行っていたジョーが、突然大きな薔薇の花束を抱えて研究所に帰ってきた。
 今でもあの燃えるように鮮やかな紅は忘れられない――。





『おいおい、ジョー! どうしたんだよ、このバラ!!』
 何だか照れくさそうにリビングに入るジョーへ、真っ先に声をかけたのはジェットだった。
『あいやぁ〜、これはまた見事に咲いてるあるねぇ!』
 続いて張々湖が感嘆の声を洩らすと、すかさずブリテンが、
『へぇ〜、愛しの姫君にこんなに洒落たプレゼントとは……ジョーも少しはオトナになったもんだなぁ!』
と、ジョーを冷やかした。
 キッチンで夕食の仕度をしていたフランソワーズは、ジョーを出迎えにリビングへ向かおうとしていたのだが、今のブリテンのセリフを聞いて思わず耳まで真っ赤になってしまい、2つの部屋を繋ぐドアに手を掛けたままどうにも動けなくなってしまっていた。
『……して、今日は何の日だったっけ? フランソワーズの誕生日でもないし……』
 相変わらずの調子で、話をどんどん進めてゆくブリテン。
 そんな彼に、ジョーはフランソワーズと同じように顔を赤らめながらも慌ててかぶりを振った。
『ち、違うんだよ、これは……!』
『……チガウ?』
 どういう意味だ、と言いたそうな目で、ブリテンがジョーを見遣る。
『い、いや、その……。実はこれ……貰ってきたものなんだ』
『貰ったぁ!? 誰に?』
 誰もが抱いた当然と言えば当然の疑問を、ジェットは素直に投げ掛ける。
 それに対してやや気まずそうな表情でみんなの顔を見回したジョーは……ゆっくりとこう答えた。
『それが……わ、わからないんだよ』
『……あん?』
『あの……サ、サーキット場のロッカールームに、ボク宛に置いてあったらしくて。もうすぐレースが始まるから、きっとファンからのものだろう、ってチーフが……』
『お帰りなさい、ジョー』
 チャッとドアを開ける音と共にジョーの言葉を遮ったのは、フランソワーズだった。
『た、ただいま、フランソワーズ』
『まあ……綺麗な薔薇! これ……私に?』
『えっ!?』
 そう言って嬉しそうに自分の顔を覗き込むフランソワーズに、ジョーが言葉に詰まって言いよどむと……。
『……なんて。こんなに情熱的な応援を受け取っちゃったんじゃ……次のレースも負けられないわね』
 フランソワーズはクスクスと小さく微笑いながら、ピンと背筋を伸ばして彼に告げた。
『な、何だ……聞いてたの?』
 ジョーがホッと胸を撫で下ろす。
 と同時に――ジョーは一瞬だけ……フランソワーズからフッと視線を逸らした。
 他の誰もが……フランソワーズさえも気付かないくらい、刹那の出来事。
『ふふっ。ね、この薔薇……あの空いてる銀の花瓶に飾らせてもらいましょうよ』
『……テレビの横にある、あれかい?』
『ええ。ちょっと待ってて、今お水を入れてくるわ』
『あ……ボクも行くよ』
 大きな花瓶を腕に抱えて洗面所に向かうフランソワーズの後を、ジョーは何事もなかったかのように花束を持ったまま追いかけた。





 ザ――……。
 少しくすんだ銀色の真鍮から流れ落ちる大量の水が、勢いよく花瓶の中へと吸い込まれてゆく。
 やがて、水の溜まった花瓶の口へ、ジョーがラッピングをほどいた真紅の薔薇を差し込んだとき――フランソワーズは初めて気がついた。
 ジョーが着ているセルリアンブルーの上着に……左肘あたりを中心として、所々赤黒く滲んだ『模様』が彩られていることに。
『ジ、ジョー! それ……血!?』
『え?』
 フランソワーズに言われて、ジョーがまるで他人事のように自分の衣服を眺める。
 見ると、服にはそれの他にも何かで擦ったような綻びとともに……黒ずんだ痕が点々としていた。
『大変! 早く手当てしないと……!!』
『ああ……大丈夫だよ、これくらい』
『こ、これくらいって……!』
 心配しないで、と軽く微笑むジョーではあったが、上着にまでこんなに血が滲むほどとなると、相当大きなケガであることは容易に想像がつく。
『ごめん、じゃボク……ちょっと先に着替えてくるよ。またジェットたちに見つかると大事になっちゃうし』
『ジョー!』
『そうだ、この花瓶は後でボクが持って行くから、ここに置いておいて。きっとすごく重くなってて……フランソワーズには危ないからね』
『あ……』





 ジョーはあのとき、それだけ言うとすぐに自分の部屋へ上がっていってしまった。
 ふと鏡に映る、残された自分の姿と情熱の紅い薔薇――。
 あの後……花瓶を取りに洗面所へ戻ってきたジョーに、フランソワーズはなぜこんなケガをしたのかを尋ねてみた。



 テスト前のアクシデント――。



 彼はそう言っていたけど……たぶんそれは――嘘。
 だって彼は……テストはもちろん、私服でピットに入るなんて横着なことは、絶対にしないもの。
 でも、それなら……どうして――?
 ジョーはいったい何を隠しているの……?









 初めて『彼女』を見たのは、6日前だった。
 バレエのレッスンからの帰り道……あれは、夕方の5時ごろだっただろうか。
 ちょうど今日のように鮮やかな夕暮れに染まる街を、同じレッスンに通う友人たちと3人で歩いていたとき……その光景は、ふいに視界の中に飛び込んできたのである。
 見慣れすぎるほど見慣れた赤い車。
 そのすぐ傍らに立つ、栗色の髪の青年。
 そして、彼の隣には……清楚な見知らぬ女性の影。

 ――見てしまった。
 いつものようにバレエスクールまで送ってくれたジョーはこの日、この後ちょっと買い物に行くと言っていたのに……。

(……もしかして、あの薔薇の花束をジョーに贈ったのって……?)
 半ば茫然と2人の姿に見入っていた自分を現実世界に引き戻したのは、友人たちの不思議そうな声だった。
『どうしたの? フランソワーズったら……急に立ち止まっちゃって。あ、もしかして……誰かカッコいい人でも見つけたのかしら?』
『そ、そんなんじゃ……』
 言いながら……フランソワーズは『ない』とも言い切れない自分に、思わず心の中で苦笑した。
 もう瞳には映っていないはずなのに、親しげに話すジョーとその女性の姿がどうしても頭から離れない。

 もしかしたら、あの女性(ひと)にはたまたま道を聞かれただけかもしれない。
 もしかしたら、何か落し物を拾ってあげただけなのかも……。
 でも……そんな風に想う度に、心が締め付けられるように痛むのは――なぜ?



 理由は――今日、わかったような気がする。
 ううん、今までもきっと、気づかないフリをしていただけ……。



 今日かかってきたあの電話で、私の儚くも微かな願いは音もなく――いとも簡単に壊れてしまった。
 ジェットが小声でジョーに囁いた相手の名前――『工藤留美』。
 私には、その名前に聞き覚えがあった。
 なぜなら――。



『留美さん』



 あの日、あの女性との会話の中でジョーが口にしていた名前こそ……『留美』だったのだから。
 2人がどんな話をしていたのかは――もしかしたらほんの少し、知らないうちに『聞いて』しまっていたのかもしれないが――まったく覚えていない。
 ただ……彼女をそう呼ぶジョーの声だけが、鮮明に耳に残っていた。









「――ジョー」
 今度はさっきよりもハッキリ……大切な人の名前を声に出して呼んでみる。
 瞬間……瞳から溢れ出した涙が一筋、フランソワーズの頬を伝ってシーツに零れ落ちた。

 私の眼が、耳が……全てが彼を追っていたからわかる。
 彼は――行ってしまった。
 ……あの女性(ひと)のところへ。



 私の心は、ジョーの……ジョーだけのものだけど。
 ……ジョーの心は、私のものじゃ――ない……。




 

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