破戒の果て ~ phantom of darkness ~

 

黄昏が迫る夕闇の中で
どこまでも広がる荒れ果てた大地に1人――ボクは佇んでいた
ガラスの夢に描いた色褪せた景色
『何か』……
大切なものを失ってしまったあの日に思い描いたままの光景が
そこにはあった



戦いと隣り合わせの死から
すべての疑問は始まっていたのかもしれない
苦しみや哀しみから何もかも解放してくれるのが『死』
誰もが楽になりたいと願っているはずなのに――



それでもボクは……ここにいる



沈黙で保たれたこの世界を壊すために
おそらくボクは目醒めたのだろう
此処はもうボクにとって
何の意味もない場所なのだから……





なぜ此処が何も意味がない場所だと考えるのか
どうして此処が永久の虚無に支配された空間だと感じるのか
理由(こたえ)を導き出そうとするボクの脳裡に掛かるのは
いつも決まった黒い霧
でもそれは
ボクのディープが告げる紛れもない真実



霧の中に浮かび上がる淡い姿は
この世界でどれだけ求めても……もうボクには二度と還らない





思い出せないはずの――失くしてしまったはずの記憶が
また……ボクを狂わせてゆく
風を象る亜麻色の髪にくすぐられた頬
ふと瞳が出逢った瞬間に見せる優しい微笑み
そのすべてが儚い幻だったと――ボクは思いたかった
『もう哀しまないで……』
誰の言葉も届くことのないボクの凍てついた精神(こころ)の壁を
少しずつ溶かしてしまう能力(こえ)を持つキミは――誰……







こんなにも……
閉ざしたはずのボクの心へ
何度も語りかけてくるキミの姿を探し求めているのに



『キミの記憶だけが見つからない』



微かに視界を過ぎる光に怯えたボクは
幻惑の鏡が渦巻く無限の迷宮(ラビリンス)を彷徨い続けた
心の闇から抜け出すことも引き返すこともできないまま……





砕けたガラスの破片(かけら)を拾い集めて
ボクは何処へ行けばいいのだろう
消えかけた灯りのように
この胸に刻まれた得体の知れない痛みも
小さくなればいいのに……








ただ当てもなく黒の世界を彷徨い歩いていたボクの前に
突然小さな――真っ白い羽根がヒラヒラと舞い降りた
霧の中でボクを誘う蒼く澄んだ眼差しが
月光の力を借りた今なら……見える





思い出せないはずの――消えてしまったはずのキミの姿を
心に深く描いて……忘れないように
微かに触れ合った唇の甘く柔らかな感触
この腕にきつく抱き締めた暖かい……そして確かなぬくもり
そのすべてが偽りの虚構ではなかったのだと――
ボクはあのとき以来
初めて現実(いま)を見つめた
『あなたへの想いだけは永遠に……』
割れたガラスの閃きの中にそんな消えた言葉が甦る









……瞬間
空に浮かんだ蒼く透明な月の光が
相変わらず色褪せたままの景色ではあったけれど
広大な草原に立ち尽くすボクを優しく照らし出した



果てしなく続く闇の向こうで交わる空と大地
そこにそよぐ悠久の風の香りはあまりにも切なくて……



ぼんやりと目の前に現れた――ここで唯一色彩を有するもの
白い聖光を纏う大きな銀色の十字架(クロス)を抱き締めて
ボクはゆっくりと歩き始めた
……大丈夫
哀しみに巣食う黒い悪魔の囁きにはもう惑わされないから
だから――もう少しだけ待っていて
課せられた宿命を終えたボクがキミのいる空へ還るまで……
決して失くすことのできないキミへの想いは
二度と流すことのない涙とともに
ボクだけの秘密の場所に大切にしまっておくよ
ボクが空へ帰るまで……空に消えないように……





「…ジ…ョー……ジョー!!」
 微かに聴こえてくる……ボク名を呼ぶ細く透き通った声。
 ――間違いない。
 悪魔に捕らわれたボクの心を光へと導いてくれた、あのときの声だ……。
「う……」
「ジョー!?」
 その声に呼び覚まされて、ボクは『ここ』へと戻って来た。
 ボクの瞳に最初に映ったのは、あの世界の中でせめてもう一度だけ逢いたいと切望していた、たった1人の……大切なキミ――。
「っ……フ、フランソワーズ……!?」
「ジョー!! あ……気がついたのね!?」
「ここは……」
 言いかけて、ボクは見覚えのある海岸線に目を馳せた。
 そうだ……フランソワーズと2人でギルモア博士を空港へ送ったあと、帰りにこの海へ寄って……。車から降りて浜辺を歩いていたら、突然目の前に降り注いだ眩しい光に射抜かれて、それで……。
「よかった……! ジョー……急に倒れて……いくら呼びかけても返事もないし、少しも動く気配がないから、私……!」
 可憐な唇から溢れ出す、途切れ途切れの震えた声――。
 横たわったボクの身体を自分の膝の上に乗せたまま、フランソワーズが思わず両手でその口元を覆った。
 張り詰めていた緊張が解れたのだろうか……。
 彼女の蒼く澄んだ瞳から大粒の涙が零れ落ちて、ボクの頬を濡らしてゆく。
「フランソワーズ……」
 そんな彼女の姿が、たまらないほど――愛しくて。
 ボクはさらさらした砂浜に左手をついてゆっくりと起き上がると、右手の人差し指を彼女の頬に当て、そっとその涙を拭った。
「ごめんよ、心配かけて……」
 そうつぶやくボクに、フランソワーズは何も言わず……ただ何度も首を横に振り続けていた。





 戦うために生まれた『機械』。
 あの現実とも夢ともつかない幻影の中で、ボクはその言葉の意味を思い知らされたような気がした。
 ボクが心を――心の支えであるキミを『あんな風に』失ったら、怒りと哀しみに身を任せて、ただの殺戮の使者と化すときが来るのだろうか。
 相手を滅ぼすためならこの世のすべてをも破壊し尽くす、冷酷で残忍な暗殺者に……。





 でも、もしも……本当にそうだとしても。
 あの悪夢を現実のものにしたくないのなら、そうならない未来を創ればいい。
 ボクがボクのままでい続けることができる未来を……そう、フランソワーズ――キミと……一緒に――。
 キミがそばにいてくれるだけで、ボクは本当の『強さ』を……そして優しさを忘れずにいることができる。
 守るべき女性(ひと)がいるからこそ、ボクは無限に強くなる――。








 ボクは、もう一度……現実(いま)を確かめるように優しくフランソワーズの頬に触れ、未だ小さく泣きじゃくる彼女を思い切り自分の胸に抱き寄せた。
 彼女から伝わる確かな鼓動が、ボクの身体に心地よく響いている。
「あ……っ、ジ…ジョー……?」
 突然の出来事に戸惑うフランソワーズ。
 そんな彼女のセリフに……ボクは何も答えない。
 そして――。






空に浮かべた思い出の中で
鏡の向こう側のキミが天使のように微笑んだ



『どこまでもずっと……離さないでね……』


                                         ~ Fin ~

 


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