夏の想い出
 
― Story by Shion ―

 

 


「ジョー……いる?」

 いつもよりも、少し早めの夕食を摂り終えて――。
 シンと静まり返った研究所2階の廊下にやって来たフランソワーズは、遠慮がちに数回、そう言葉をかけながらジョーの部屋のドアをノックする。

「ジョー?」

 全メンバーが揃っての賑やかな夕食の後、スッと独り、すぐにダイニングを後にしたはずのジョーなのに……彼女の声に返って来るのは、ただ静寂ばかり。
 ――どうやら彼は、自分の部屋には戻っていないようだった。

(どこに行ったのかしら……?)

 訝しげに小首を傾げるフランソワーズの手には、いくつかの四角いプラスチックケースが握られている。
 それは、彼女が先日ジョーに借りた音楽CDの数々だった。

 数日前――2人の間でのちょっとした音楽の話題がキッカケで、ジョーが普段どんな曲を聴くのか……どんな曲が好みなのかを尋ねたら、

『それじゃあ、ボクが持ってる中でも……フランソワーズが好きそうな曲を』

と、彼が何枚かを選んで貸してくれたのだ。

 ジョーが渡してくれたCDには、彼の見立て通り、フランソワーズのお気に入りの曲がたくさん入っていて――。
 御礼を言いたかったのはもちろん、ジョーとその曲についての話もしたくて、こうしてやって来たのだが……。

(どうしよう……)

 変に意識をしている訳ではない……けれど。
 どうしても『みんな』と一緒の生活をしていると、彼らの目の前で堂々と『彼』と2人きりになることには……正直ほんの少しだけ、フランソワーズは戸惑いを感じてしまう。
 許されるのであれば許される限り、彼とそうありたい、と願う自分が確実に心の中に棲んでいるのに、逆にそんな想いが、かえっておかしな緊張を呼び起こし――。
 ……だからこそ、こうしてたまたま彼がみんなと別行動を取っているようなときは彼女にとって願ってもない最大のチャンスだった。

 ――それなのに。
 今はその肝心の彼が、いない。

(もう、ジョーったら……)

 人の気も知らないで、と、フランソワーズは思わず心の中でひとつ深いため息をつく。

 一度はそのまま、重い足取りで踵を返しかけた彼女だったが。

(……でも……せっかく持って来ちゃったし……)

 ――そう思い直すとつと立ち止まり、抱えたケースの束に目を落とす。

 フランソワーズはしばらく悩んだ末、とりあえずジョーの部屋の机の上にCDを置かせてもらうことを決め、もう一度扉の方へと向き直ると、そっと左手をドアノブにかけた。



 ――キイ。

 微かに軋む音を立てながら、白いドアはフランソワーズを優しく迎え入れる。
 今日は初めて脚を踏み入れる、ジョーの部屋。
 部屋のあちこちに置かれている黒い小さなスピーカーが印象的で、幾種類かのオーディオ機器にラック、机、そして……ベッド。
 備え付けのクローゼットと少なめの家具で整えられたその様子は、昨日のそれとどこも変わらない――はずだったのだが。

「……あっ!」

 ふいに机の上を覗き込んだフランソワーズの蒼い瞳へと飛び込んできた――1枚の写真。
 昨日彼の部屋に入ったときは、こんな写真はなかったはずなのに……。
 水色のフォトスタンドの中では、海辺で寄り添う水着姿のジョーとフランソワーズが幸せそうに微笑んでいた。

(これって……あ! この間の!! いっ、いつの間に……!?)

 ――思い出した。
 確かに、その写真を撮った記憶はあった。
 それもそのはず……そもそもこれは、フランソワーズ自身が囁いた何気ない一言がキッカケで――撮ることになったのだから。





 2週間ほど前、夏本番。
 久々にオフが重なったみんなでドルフィン号を駆り、誰もいない海へと出掛けたあのときの、カメラマンはジェット。
 以前から、写真を撮るとなると嫌がるジョーを、『今日こそは何とかフィルムに収めてやろう!』と、初めはおもしろ半分……けれど、次第にムキになって追い掛け回していたジェット、それから、ちゃっかりその騒動へ便乗して楽しんでいた張々湖とブリテンの姿がフランソワーズの脳裡に甦る。



『わかったよっ、そんなに1人で写るのが嫌なら、フランソワーズと一緒に撮ってやるからっ! それなら文句はねぇだろ!?』
『な゙……っ! い、いきなり何言い出すんだよ、ジェットっっ!?』
『うるせえっ! いいから黙ってフランソワーズの横に並べ並べ!!』
『だからっ!! そういう問題じゃなくて、ボクは写真は……』
『ジョー……私と一緒に撮るの……イヤ?』
『……っ///;;;』





 ――結局、ジョーは海をバックにフラソワーズの斜め後ろへと腰を下ろし、2人揃ってジェットが構えるカメラのレンズに相対することになったのだが……。



(あ……あのときのジョー……こんな表情(かお)して……?)

 フランソワーズの座っていた位置からでは、カメラに向かうジョーの表情を垣間見ることはもちろんできなかった。
 だから、あれほど写真を嫌がっていた彼が、こんなに……これほどまでに優しそうな表情で微笑んでいる姿が写し出されているのが、何だかフランソワーズにはとても信じられなかった。



『ジョー、ちゃんと笑ってくれた?』

 ――シャッターが切られた後、冗談混じりで言ったこの言葉へ、ジョーが困ったように……そして、照れたように首を竦めていたのを覚えている。
 曖昧だった彼のその態度から、きっとジョーは不機嫌そうな表情でカメラに……ううん、カメラに向かっていればまだ良い方で、ひょっとしたら明後日の方向を向いていたんじゃ……とさえ彼女は思っていたのだが……。



「あれ? フランソワーズ?」

 ふいに、背後から自分の名を呼ぶ声がした。
 フランソワーズが思わずビクッと驚いて扉の方を見遣ると、そこには何やらファイルのようなものをたくさん抱えたジョーが立っていた。

「ジョー……!!」

 突然の部屋の主の――写真の持ち主の帰還に狼狽を隠せないまま、フランソワーズは慌てて言葉を紡ぐ。

「ど、どこへ行ってたの?」
「え、どこって……?」
「この前借りたCDを返そうと思って……私、ジョーを探してたのに……」
「本当かい? ……ごめん、ちょっと車に置きっぱなしだった荷物を取りに行ってたんだ」

 彼の腕の中に積み重ねられた色とりどりのファイルケースの中身は、どうやら今日サーキット場から持って来たレース関連のものらしい。

「……ジョー、この写真……」
「え……? あ」

 抱えたファイルの山をベッドサイドに置いてから、ジョーが決まり悪そうにゆっくりとフランソワーズの方へと歩み寄る。

「……早速見つかっちゃったね」
「もう……ずるいわ。現像できてるの、教えてくれないなんて……」

 拗ねたような口調で告げるフランソワーズに、正確には『教えなかった』のではなく『教えられなかった』のだと、危うく言ってしまいそうになる自分を懸命に抑え込んで。
 代わりにもう一度『ごめん』とつぶやきながら、ジョーが微かな苦笑いを浮かべた。

「写真ができたの……昨日?」
「ウン。ちょうど、キミが留守にしていた昼間に――ね。それにしても……あれだけ散々人のことを追い掛け回しておいて、いざ写真を撮ってみたらこれだもんな……ジェットのヤツ」
「……『これ』?」
「メインはしっかりフランソワーズ、ってことさ」
「! ジっ、ジョーったらっ///」

 確かに、そのカメラアングルはジョーの言う通り……彼自身よりも、間違いなくフランソワーズを中心に捉えている。

(まあ……おかげでこんなに……その……素敵なキミがこうしてファインダーの中に収まっているワケなんだけど……)

 心の中ではしっかりとそんなことを思いながらも、やはり彼にはそんなセリフは言い出せない。

 男なら……いや、おそらく女性でさえも見惚れしまうほど、完璧なまでの曲線美に、すらりと伸びた長い脚。
 真夏の太陽よりも眩しい、彼女のプロポーション。
 写真が現像されてきた昨日こそ、みんなの目にも留めることになってしまったけれど――。
 この写真は、もう絶対に他の誰にも見せられないな……と、ジョーは僅かに紅くなった頬を右手の人差し指で小さく掻きながら1人目を伏せ、改めて固くそう決意するのだった。



 一方、フランソワーズは。

 初めてこの写真を見たときからずっと――『ジョーの表情』と同じくらい気になっていた『もうひとつのとあること』に対する別の感情が、時が経つにつれて次第に彼女の中で抑えきれなくなっていた。

 実際海にいるときには、それほど抵抗など感じなかったのだが……。
 改めて自分の水着姿を『写真』というカタチで見ると――しかも、それがよりにもよってジョーの部屋に飾られていると思うと、恥ずかしくて仕方がない。

「ね、ねぇ、ジョー……この写真……飾るのよしましょうよ」

 すでに最初にジョーの元を訪れようとした目的などすっかり忘れてしまっているフランソワーズが、躊躇いながらもやっとのことで思い切ってそう……ジョーに切り出したのに。
 ジョーは彼女の想いを知ってか知らずか、きょとんとした表情であっさりとこう答える。

「どうして? せっかくキレイに撮れてるのに……飾らなくちゃもったいないよ」
「だ、だって……。あ、じゃあ、私の部屋に飾るわ! だから……」
「却下。久々に撮った『自分の』写真なんだから、ここに飾らせてよ」
「だっ、だけどジョー、写真は嫌だって……」
「ん〜……たまには『自分の』写真もいいかな、と思ってね」
「〜〜〜!!」

 あくまでも、『自分が写っている写真だから』、という理由をジョーにワザとらしいまでに突きつけられて、その裏に秘められた彼の真意に気づきながらも――否、気づいているからこそ、思わず返答に詰まるフランソワーズ。
 ――そして。

「それに……一緒に撮ろうって言ったのはキミの方、だろ?」
「……っ!」

 2人きりのときには、いつもよりも少しだけ強気なジョーに、フランソワーズは敵わない。

「でっ、でも……ダメなものはダメなのっ!!」
「おっと、それはこっちのセリフ」
「きゃっ!」

 それでも半ば強引に写真を奪おうとしたフランソワーズの右手は、ジョーの力強い腕に簡単に捕らえられ――。
 次の瞬間には彼女の身体もまた、そのまま彼の腕の中へと引き寄せられるように預けられていた。

「……ジョーの意地悪っ」
「どういたしまして」

 ……一瞬、顔を見合わせた2人が、どちらからともなく微笑い出す。





 この世でたった1枚のフォトグラフの中に息づく、2人だけの夏の想い出。
 ひと夏の甘い記憶は、永遠に……色褪せることなく。





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